希望の箱
「とにかく、殿下を探さないと。エルは奥様と屋敷に戻ってくれ」
「わかったわ」
こんなところで待つことしかできないこの身が歯痒い。
男ならば、アルのようにハデスを助けに行けるのに。
パンドラは拳を強く握りしめる。
悔しくて悔しくて、また涙が溢れた。
「奥様、手をお離しください! 血が出ております……!」
わかっていても力がこもるのを止められない。
生まれて初めてこんなに力を入れた。
奥歯がギチッとイヤな音を鳴らす。
それくらい、悔しかったのだ。
「――無力なこの身が……くやしいっ」
ハデスを救いに行きたいのに……。
「――……なら行きます?」
「……はあ!? あんたなに言って……!」
パンドラはパッと顔を上げ、目の前でふくらはぎを伸ばすように動くアルを見る。
彼は今にも怒りだそうとしているエルを止めると、だって、と続けた。
「俺さ、ずっと思ってたんすよ。奥様って妖精に愛されてますよね?」
「それは……」
「それこそ妖精姫なんかより、ずっと。そんな奥様なら、妖精も力を貸して殿下を見つけてくれるんじゃないかなって」
「……そんな感で奥様を危ないところにお連れしようとしてるの? ぶん殴るわよ」
眉間に皺を寄せたエルは、言葉どおり拳を振り上げた。
しかしそれをまあまあと止めると、アルは話を続ける。
「藁にもすがる思いってやつよ。俺たちの命は殿下に捧げてる。……ならなにをしたって、あの人を無事に見つけ出すより他にないでしょ」
「それは……」
「奥様も同じ思いでは?」
その通りだ。
この身がどうなろうとも、ハデスを救い出したい。
けれど……。
「私がいては、また災いが……」
ハデスを救い出せなくなってしまうかもしれない。
自分はやはり、彼のそばにいないほうがいいのではないだろうか?
足手まといどころか、とんでもない不幸を振り撒いてしまうかもしれない。
そう思うと、パンドラはなにも言うことができなくなった。
ハデスを救いたい。
けれど己では……。
黙り込んだパンドラの前にアルが立つと、両手でパンドラの頰をヴェール越しに優しく挟み込んだ。
「奥様。奥様の育ってきた環境を配慮して仕方ないと思ってましたけど、さすがにネガティブすぎっす。殿下の誘拐と奥様は一ミリも関係ありません」
「ですが……」
まだ言い訳をしようとするパンドラに、アルは盛大なため息をついた。
「ならなおさら一緒に行きましょう。これで殿下を救い出せれば、奥様はパンドラの箱なんかじゃない。殿下にとっては幸運を呼ぶ……妻? っす」
「あんたいい例が思いつかなかったんでしょ。――希望の箱、でいいんじゃない? パンドラの箱に唯一残ったのが、希望なんだから」
「んじゃそれで」
アルがエルを指差すと、すかさずエルがその指を掴み反対側に折ろうとする。
慌ててそれを止めるアル。
そんな二人のやりとりを見ていて、パンドラはふと肩から力が抜けるのがわかった。
「……希望の、箱」
「奥様がいらっしゃって、殿下はしあわせそうですよ」
「俺たちだって日々楽しいっすよ。それは全て、奥様が運んできてくださったものっす」
そうだろうか?
そう思っても、本当にいいのだろうか?
自分なんかが、本当に――?
(――いいえ)
自分なんかがなんて、思うのはもうやめよう。
ハデスもアルもエルも、こう言ってくれているのだから。
自分のことは信じられなくても、この人たちのことなら信じられる。
ならもう、答えは決まっていた。
「私、行きます。旦那様を迎えに」
「――奥様……」
「わかりました。なら、エルと服を変えてください。ドレスじゃ動きにくいっしょ」
「はぁ!? あんた……っ、ほんとに! 帰ってきたらぶん殴ってやるんだからね!」
エルはそう言いつつも、ジャケットを脱ぐ。
そういうことならと、パンドラもアクセサリーを外しているとアルが部屋の隅に移動しながら言う。
「そうだ、奥様。顔のヴェールも外してくださいね。そんなのつけたままじゃ、目立つし探しにくいでしょ」
「――……そう、ですね」
パンドラはゆっくりとヴェールに手をかけた。
心の中では本当にいいのかと、問う自分がいる。
そんな感情に無理やり蓋をして、意地でヴェールを取ろうとした時だ。
「奥様。俺たちにとって、一番の不幸は殿下を失うことっす。今それが起こってしまってるんだから、今更奥様から不幸をもらうなんてことないっすよ」
「殿下を救い出すこと。……どうか奥様の手で、しあわせを掴み取ってください」
「……お二人とも……。――ありがとうございます」
その通りだ。
ハデスが隣にいないこと以上の不幸なんてない。
今が一番最悪ならば、あとは上がっていくより他にないだろう。
パンドラは震えの止まった手でヴェールを掴むと、ゆっくりと脱ぎ去った。
真っ黒なヴェールが床に落ち、視界がクリアになる。
もう、卑屈になるのはやめよう。
希望の箱になってみせる。
「旦那様を救い出しましょう」
「……」
目の前にいるアルは、パンドラを見て大きく目を見開いた。
しばしの沈黙。
その後アルはへにゃりと笑う。
「奥様って、全部綺麗っすね。……殿下が羨ましいや」




