突然のできごと
王宮での食事会はうまくいった。
ハデスの家族関係も知ることができたし、なによりパンドラ自身も彼らと親しくなれた気がする。
なにごとも問題なく追われたことにホッとしつつも、パンドラはまだ王宮の一室に残っていた。
「……旦那様、お兄様とたくさんお話をできているでしょうか?」
ハデスが兄のゼノと話があると出て行って、もう三十分は経っている。
たくさん話せているだろうか?
メイア国の不作であったり、いろいろなことが他国でも起こっているようだ。
王子として、責務を果たさねばならぬのだろう。
「…………」
こういう時に、ふともどかしさを感じてしまう。
パンドラがもっと普通の王女だったら、ハデスの力になれたかもしれないのに。
与えられるばかりで、なにもハデスに返せていない。
もっと彼のためになることをしたいのに、それができないことが歯痒かった。
「……なにかお返しが出来ればよいのですが」
なんて口にした時だ。
扉がノックもされず、かなりの勢いで開け放たれた。
「――ハデス!?」
「…………ゼノ王太子殿下? 旦那様はまだいらっしゃいませんが……」
その言葉を口にした時、いいしれぬ不安が体を巡った。
走ってきたのだろう。
汗をかき息を荒げているゼノの表情には絶望が滲んでいた。
それを見た時、イヤな予感がしたのだ。
だってハデスは、ゼノと話をしているはずなのに……。
その当事者の彼が、ハデスを探しにくるのはおかしい。
パンドラはソファから立ち上がると、ゼノへと駆け寄った。
「王太子殿下。……旦那様とお会いになっていたのでは……?」
ゼノは悲痛な表情を隠すことなく、弱々しく首を振った。
「会っていないんだ。……ハデスが遅れてくるなんておかしいと思って、探しにきたんだ」
「…………旦那様がこの部屋を出て行ってから、三十分は経っています」
パンドラの言葉に瞬時に踵を返したゼノは、しかしすぐに立ち止まると改めてパンドラへと振り返った。
「大丈夫。きっと迷っているんだろう。……だから君は、屋敷に戻るといい。今、使用人を呼ぶから」
「――お待ちください!」
そんなはずがない。
いくらハデスが王宮で暮らしていないとはいえ、迷ったのなら誰か使用人に聞けばいいだけだ。
それにゼノのこの慌てようは、普通ではない。
きっとゼノはなにか知っているのだ。
パンドラの知らない、ハデスのなにかを……。
「旦那様は一体……?」
「………………憶測だよ。だからこれが確定だと思わないでくれ」
ゼノの言葉に頷きつつも、きっと今から言われることが真実なのだろうと、なんとなくだが納得してしまった。
「ハデスは……マーレ国に誘拐された可能性が高い」
「――マーレ……? 彼の国がなぜ旦那様を……?」
マーレの名前はつい最近も聞いた。
確かシオンがハデスに報告をしていたはずだ。
きちんとは聞きとれなかったが、確かにマーレ国の名前を出していた。
その国がなぜ、ハデスを誘拐なんてするのだろうか?
「以前にもあったんだよ。あの国の王は野心家で、他国を侵略することをよしとしていた。そんな国なら、ハデスの力があればもっと楽に進められると考えたんだろう」
たとえばハデスを王宮に忍び込ませられれば、それだけでどれだけの人数の命を奪うことができるだろうか?
武器を持たない彼を警戒するものは少ないはずだ。
国王に近づき触れられさえすれば、それだけでいい。
トップを失い混乱する国を奪うのは、きっと簡単なのだろう。
「そんな奴らに誘拐されかけたことは、一度や二度ではなかった。だからこそ護衛をつけていたのに……」
シオンはそのための存在なのだ。
ハデスを影から守るための。
「ここ最近マーレの動きがおかしいとは聞いていたんだ。だがまさか、王宮に忍び込んでいるなんて――!」
強く拳を握りしめ感情を吐露したゼノは、しかしすぐにハッと息を呑む。
「すまない。とにかく僕はハデスの身を探す。……君は帰って、ハデスの帰りを待っていてあげておくれ。大丈夫。必ず無事に帰すから」
「…………」
パンドラはなにも言えなかった。
せっかくゼノが気を使って安心させるよう言葉を紡いでくれたのに、鼓動が耳の奥で鳴って聞こえなかったのだ。
耳鳴りがする。
視界が黒く染まってゆく。
(――旦那様…………!)
ハデスの身に危険が迫っている。
誘拐されたハデスが無事なのだろうか?
もし。
もしもう、この世にいないなんてことになったら――。
「――奥様!」
「………………あ」
「大丈夫ですか? 意識をしっかり保ってください」
ブラックアウトしようとしていた視界が、ゆっくりと色を取り戻していく。
目の前には心配そうな顔をするエルとアルがいた。
「奥様。殿下なら大丈夫っすよ。命に別状はないはずです」
「あいつらの目的は殿下の力を使うこと。今すぐに殺したりなんてしません」
二人の言葉を聞きながらも、パンドラは己の手をじっと見つめてしまう。
ハデスが誘拐された。
その話を聞いた時から、ずっと脳裏によぎっていたことがあるのだ。
「………………私の、――私のせいです」
けっきょく自分は、不幸を呼ぶ存在なのだ。
災いを呼ぶパンドラの箱は、ハデスにとんでもないものを降り注いだのだ。
「私が、旦那様を不幸にしたんです!」
ハデスなら大丈夫なんて、そんな保証はどこにも無かったのに。
あのぬくもりに甘えてしまったのだ。
「私が――!」
手が震える。
指先が冷たく凍えているのがわかる。
パンドラは自分でも気付かぬうちに、パタパタと涙をこぼした。
「旦那様がお戻りになられるか……不安で仕方がないのです。痛い思いはしてないでしょうか? 苦しい思いは? なにかひどい目にあっていたら……! どうして……こんな、ことに――!」
パンドラは両手で顔を覆った。
自分はなんて愚かなのだろうか?
いくら王宮だからって、ハデスを一人にするなんて。
その場にいたのなら、せめて盾となり彼を逃すことくらいならできたかもしれないのに。
「旦那様……っ!」




