贅沢な夢を見る
時は二ヶ月ほど前に遡る。
この世全ての災いを封じた箱があるのをご存知だろうか?
名をパンドラ。
その箱は触れてはならぬもの、災いの原因とされていた。
妖精に愛された国、メイア王国。
妖精の加護により資源豊かなその国では、誰もがしあわせに笑顔で暮らしていた。
豊かな実りを分け合い、温かな火を灯し、愛を囁き合う。
そんな幸福に満ちた国でたった一人、この国のありとあらゆる災いをその身に宿した女性がいた。
――名をパンドラ。
この国の第一王女であり、呪われた存在。
パンドラ・メイア。
彼女は生まれてからずっと、王宮から出たことがなった。
まさにパンドラの箱。
その名の通り、開けてはならぬ、触れてはならぬと、隠されて育った。
そんな彼女の元には、親すら近づかない。
やってくるのは身の回りの世話をする侍女と、婚約者であるラルフだけだった。
嫌われている自分に唯一接してくれる人たち。
せめてその人たちだけでも大切にしたいと、パンドラは彼らの訪れを心待ちにしていた。
「パンドラ様。こちらお食事です」
「ありがとうございます」
目の前に置かれたのは、パンとスープだけだ。
王族の食事としてはあり得ないほど質素なのだろう。
しかし部屋に監禁されているパンドラにはじゅうぶんすぎるほどだった。
今日も食事をすることができる。
そのことをこの国を守り愛してくれる妖精に感謝するため、祈りを捧げた。
「妖精様。ありがとうございます」
するとパンドラの周りを美しい光の粒子が舞う。
それを見ていた侍女がぽつりと呟いた。
「……パンドラ様こそ、妖精姫の名にふさわしいのでは? 光は妖精様のお姿だと言います。しかし普通の人は祈りを捧げた程度では、そのようなことにはなりません」
「……いいえ。私は呪われた女です。妖精に愛されているのは妹のアリーシャだけ……」
腹違いの妹。
妖精に愛された王女アリーシャは、それはそれは見目麗しい女性らしい。
らしい、というのもパンドラはアリーシャに会ったことがないのだ。
家族の集いにも呼ばれたことのない呪われた王女は、腹違いの妹すら見たことがない。
「……アリーシャは妖精様の姿が見れるといいます。……彼女こそ、妖精姫の名にふさわしいのです」
メイア国の誰もが妖精を信じているが、その姿を目視できるものは数少ない。
ほとんどのものが先ほどのように、光の粒子でしかそこに妖精がいるということはわからないのだ。
だからこそその姿を見れるアリーシャこそ、妖精姫と呼ばれ誰からも愛されている。
――嫌われ者のパンドラとは真逆だ。
「……羨ましいなんて、思ってはいけないですね」
毎日食事ができる。
屋根のある場所で寝られる。
ベッドだってある。
これ以上を望むのはきっと罰が当たってしまう。
だからこそこれでいいのだ。
パンドラはもう一度祈りを捧げると食事を始める。
小さなパンをゆっくりと噛んでお腹を満たし、具がほとんどないスープを一口一口大切に飲んだ。
そして全てを食べ終えたパンドラは、また祈りを捧げる。
「妖精様。今日も食事をとることができました。ありがとうございます」
またしてもパンドラの周りがキラキラと輝く。
もしこれが本当に妖精ならば、姿が見れたらいいのに。
そうしたらその目を見て、直接お礼が言えるのに。
この国を愛して守ってくださって、ありがとうございます……と。
もちろん、そんなことできるはずもないが。
「……パンドラ様。そろそろラルフ様がいらっしゃいます」
「――そうですね。教えてくださってありがとうございます」
婚約者のラルフは、パンドラに優しくしてくれる。
呪われたこの身に婚約者なんて贅沢な上に、その相手が自分を大切にしてくれるのだ。
これ以上を望んだらバチが当たってしまう。
パンドラは急ぎ着古したものの中でもまだ綺麗な方のドレスを身に纏うと、くすんだ赤色の髪を結った。
申し訳程度の装飾品を身につけて、ラルフの到着を待つ。
この時間はいつもドキドキワクワクが止まらない。
外の世界を知らないパンドラにとって、ラルフの訪れは唯一の楽しみだ。
また外の世界のことを聞こう。
カフェと呼ばれる場所ではケーキに紅茶を楽しみ、恋人同士は愛を育むらしい。
お友だち同士でブティックに行ったりもするようだ。
「…………」
目を閉じて想像する。
愛する人と外を歩き、語らい合うその姿を。
友だちとおしゃべりをして、好きな人の話をするその時を。
「――…………そんな日は、一生こないはずなのに」
しょせん自分はパンドラの箱。
誰も触れない、誰も見ない、誰も愛さない。
そんな存在なのだから――。
「なにがこないんだい?」
「――ラルフ様!」
そんなことを口にした時、パンドラの部屋に婚約者のラルフがやってきた。
彼はパンドラに優しく微笑みかけると、近くのソファへと腰を下ろす。
「久しぶりだね。元気かい?」
「はい。ラルフ様はお風邪をひかれたと聞きましたけれど大丈夫ですか?」
「――あ、ああ。大丈夫だよ」
元気そうなラルフの姿を見れて本当に安心した。
ずっと心配していたのだ。
彼が体調不良だと聞いてから、毎日妖精に祈りを捧げていた。
彼の体調がよくなりますように、と。
もしかしたら妖精がその願いを聞き入れてくれたのかもしれない。
ありがとうございますと、心の中で妖精に感謝した。
「ラルフ様。もしよろしければまた外のお話を聞かせてくださいませんか?」
「もちろん。――あ、そうだ。君に頼まれていた本を持ってきたんだ」
「本当ですか!?」
外の世界で人気だという恋愛小説。
庶民の出でありながらも王太子に愛され、王太子妃となった人の物語。
それを読んでみたいとラルフにお願いしていたのだ。
部屋でできることといえば本を読むくらいで、パンドラの世界は本の中だけ。
そんなパンドラのために用意してくれた本を渡そうとするラルフ。
ありがたく頂戴しようと手を伸ばした時だ。
「――やめろっ!」
ラルフが大声を上げて、パンドラの手を本ごと叩いたのだ。
「――…………あ、ご、ごめん。パンドラ」
「いいえ! ……私こそ申し訳ございません」
赤くなった手をさすりつつ立ち上がると、本を拾い上げた。
それは確かに望んでいた本で、表紙には愛し合う男女が抱きしめあっている。
「…………」
そんなこと、どれほど夢見ようともパンドラには無理だ。
婚約者であり大切にしてくれているラルフですら、一度も触れ合ったことはない。
でもそれが普通なのだ。
パンドラは今後も誰とも触れ合うことはない。
この世の災いは全て、この身にだけ宿せばいいのだから。
「気にしないでください。……こうして会いにきてくださだけで私は嬉しいです」
「――パンドラ……。ありがとう」
優しく微笑んでくれるラルフ。
それだけでじゅうぶんだ。
呪われたパンドラと目を合わせ話をしてくれる。
そんな人がいるだけで、恵まれているのだから……。
「…………」
そっと手の中の本を見る。
表紙に描かれた男女のしあわせそうな顔から、目を離すことができずにいた。
羨ましいなんて思ってはダメ。
そんなこと思うことすらおこがましいのだから。
(けれどもし……もし許されるのなら……)
たった一度でいい。
誰かに抱きしめてほしい。
誰かのぬくもりを感じたい。
愛を囁いてほしい。
(……そんなこと、一生無理なのはわかっているのに)




