私じゃなければもっと違ったのだろうか?
「傷ついてはいないか?」
「私は怪我をしておりません。それより旦那様の怪我の手当てを――」
「心が、だ。……私と一緒にいることで、あれこれ嫌なことを言われただろう? 奇異の目にも晒されたはずだ。……傷ついてはいないか?」
ハデスだってつらいはずなのに。
パンドラのことを思って、心配してくれるなんて。
屋敷へと戻ってきたパンドラは、エルにお願いして包帯やガーゼを持ってきてもらった。
ソファに腰掛けながらハデスの傷を手当てしていると、そんなことを聞かれたのだ。
「……旦那様がいてくださいましたから、なに一つ怖くなかったです。ありがとうございます」
「こちらこそだ。君がそばにいてくれたから、私もなに一つ怖くなかった」
ハデスの手に包帯を巻いていると、そんなパンドラの手を見つめてきた。
「人に手当てをされるのははじめてだ。なんだか……温かい気持ちになるな」
「……私は旦那様が怪我を負われた時、心配で胸が張り裂けそうでした」
「心配をかけてすまない。だが本当に大丈夫だ」
包帯を巻き終わった手で、パンドラの手を優しく握ってくれる。
そのまま軽く引っ張られたので、パンドラはハデスの胸に額を押し当てた。
「……呪いが解けず、残念でした」
「なんとなくそうだろうなとは思っていた。あの程度の女に解けるほど、この呪いは甘くない」
ハデスのその言葉で、彼の呪いをきちんと理解していないことに気がついた。
「……旦那様。もしよろしければ、なぜそんな呪いを受けることになったのか、お聞きしてもよろしいですか……?」
「マグリアとメイア、両国の歴史は知っているか?」
「元は一つだったこと。それが別れ、二つの国になったこと。……ハデス様の呪いは、妖精様の怒りを買った王族に代々伝わるものだと聞いております」
本を読んだ知識と聞き齧った程度は知っているが、あまり詳しくはない。
ゆえにそのくらいしかわかっていないと伝えれば、ハデスはこくりと頷いた。
「マグリアとメイアの王族は、ある意味血縁とも言えるな。遠い昔のことだから、もうほとんど血のつながりなんてないはずだが」
「そうなのですね」
つまりパンドラとハデスも、一応親戚ということになるのだろうか?
まあハデスの言うとおり、血は薄まりもうほとんど他人だろうが。
「マグリアの初代国王は、兄と王位を争い負けこの地にやってきた。そしてここで自らの国を作ったんだが……」
ハデスは難しい顔をする。
「その時、メイア国から妖精の女王を無理やり連れ去ったと聞いている。そのせいで妖精たちから王族は呪いを受け……今の私のようなものが生まれているらしい」
「妖精の……女王……」
聞いたことがなかった。
そんな存在がいたことも、マグリア初代国王がそんなことをしたなんてことも。
それならば妖精たちの怒りもわからなくはない。
「この呪いは妖精たちの怒りによるものだ。だからその愛を一心に受ける妖精姫なら、彼らの怒りも消せるかと思ったんだが……。そもそもあの女は本当に妖精に愛されているのか?」
「そう……言われていますが……」
「私にはあの女がそう呼ばれるに値するとは思えないな」
そうだろうか?
アリーシャをよく知らないパンドラには、答えることができないでいた。
黙るパンドラにハデスが声をかけようとした時、扉がノックされる。
「少し待っててくれ」
ハデスがドアを開けると、そこには彼付きの影のもの―シオン―がいた。
彼女は部屋の中にいるパンドラを一瞥すると、すぐに小声でハデスに報告し始める。
内容はあまり聞き取れなかったが、断片的な言葉だけは伝わってきた。
「ハデス様……予測…………マーレが不審な……」
「…………しばらく……警戒…………」
マグリアと大きな川を挟んだ先にある国、マーレ。
メイアとはほとんど国際的な関わりはなかったはずだが、マグリアとは隣国なこともあり関わりがあるのだろう。
そこがどうかしたのだろうか?
会話を終えて戻ってきたハデスの顔は優れない。
「……いかがなさいました?」
「いや、なんでもない。少しやらねばならぬことができてしまった。手当はこれでじゅうぶんだ。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました。それでは、また明日」
パンドラはハデスに頭を下げて、部屋を後にした。
とぼとぼと廊下を歩みながら、ちらりと窓の外を見る。
細く輝く三日月を見ながら、ハデスの話を思い出す。
パンドラはアリーシャか妖精姫であると信じて疑わなかった。
父である国王が唯一愛する娘。
たった一人のお姫様。
パンドラとは違う、愛された存在。
そんな当たり前を疑うなんて、あるわけがないと思っていたのに。
「……旦那様と話していると、新しいことをたくさん知れます」
この国と母国の歴史もだ。
まさか妖精たちの女王を連れ去ったせいで、マグリアの王族が呪われたなんて。
「……妖精様。どうか旦那様の呪いを解いてください」
そんなことを祈る。
いつも通りパンドラの周りがキラキラと輝きだすが、やはりそれだけなのだ。
「私が妖精姫だったら、旦那様をお救いできたかもしれないのに」
そんなことを口にした時だ。
「――ハデス様のためを思うのなら、今すぐ母国にお帰りください」
突然聞こえた声に振り返れば、廊下の曲がり角からそっとシオンが現れた。
彼女はパンドラを見ると、眉間に皺を寄せた。
「あなたのような呪われた女を妻にしたハデス様に、周りがどれほど失礼な言葉をぶつけているか、ご存知ないでしょう?」
「え?」
「ハデス様はお優しいかたです。ですからその優しさにあぐらを描くあなたを、私は許せません」
どういうことだ。
知らないうちにハデスに迷惑をかけてしまっていたということか?
「あの、私――」
「せめて他の女性ならよかったのに……。あなたではハデス様の役に立つどころか、迷惑をかけているだけです。ハデス様のことを思うのなら、今すぐ母国にお帰りください」
シオンはそれだけ言うと、一瞬で姿を消した。
「あ、待って――! ……くだ、さい……」
止めようとしたが、パンドラの願いを聞いてくれはしなかった。
シオンがいた場所をぼーっと眺めながら、パンドラは己の胸をおさえる。
ハデスに迷惑をかけてしまっているのはわかっていた。
こんな呪われた女よりも、もっとハデスのためになる縁談はたくさんあっただろう。
それに元々は妖精姫が望まれていたのだ。
騙されたと怒る人がいてもおかしくはない。
「…………でも」
わかっていても、どうしようもできないこともあるのだ。
ハデスのそばを離れたくないと思うこの気持ちに、嘘はつきたくない。
「……旦那様」




