諦めない
部屋を移したパンドラは、ハデスと向き合うようにソファへと腰を下ろした。
まだ顔の赤いハデスは、二と三度と深呼吸をした後落ち着きを取り戻したようだ。
いつものように表情を引き締めて、パンドラに質問を投げかけた。
「どうしたんだ? わざわざこんな時間にくるなんて、なにかあったのか?」
「……旦那様に聞いていただきたいことがございます」
パンドラはそう前置きをすると、ハデスにエルとした話をそのまま伝えた。
ハデスの呪いが解けるのは嬉しいけれど、それによって彼がアリーシャを気に入ってしまうのでと不安を抱いていること。
彼が触れることができる人が増えたら、呪われたパンドラは足手まといなのではないかと考えていること。
……ハデスに捨てられるのが、とても怖いこと。
「……身勝手で申し訳ございません」
自分で言っておきながら、あまりの身勝手さにどんどん頭が下がってしまう。
完全にうなだれるパンドラに、ハデスは小さく笑った。
「なんだ、そんなことか。よかった。君の身になにかあったのかと思った」
「そんなことなんて……」
「あ、すまない。そういう意味で言ったわけではない」
ハデスはうなだれるパンドラの隣へと移動すると、その手を優しく握ってくれた。
まだ素肌は怖いのか、手袋越しだが。
「君の不安は全て杞憂だ。そもそも妖精姫は君を身代わりにするような人だぞ? その時点でたとえ呪いを解いてくれたとしても、気にいるわけがない」
「……本当ですか?」
「本当だ。呪いが解けたとて、私にほかの縁談がくるとは思えない。きたとしても断る」
ギュッと握ってくれる手。
手袋越しのその手を見ながら、パンドラは心の中で思う。
ハデスの素肌に触れたいと――。
「この先なにがあろうとも、私の妻は君だけだ。約束しよう」
「…………旦那様、ありがとうございます。とても嬉しいお言葉です」
ハデスがここまで言ってくれるのだ。
信じなくてなにが妻だ。
パンドラは深く頷こうとして、ふと頭に名案が浮かんだ。
いそいそとハデスから手を離すと、シルクの美しい手袋を引き抜いた。
「信じます。旦那様のことを……。ですから、そのご褒美ではありませんが……この手に触れていただけませんか?」
言っててなんだか恥ずかしくなってきた。
顔を赤くしつつもパンドラは手を下ろすことはしない。
はじめて触れた時のように手のひらをハデスに向け待つが、一向に手が触れ合うことはない。
しばしの沈黙。
耐えられなかったのはパンドラだった。
「……ご、ご褒美なんて厚かましかったですよね。私が一人で不安になっていただけなのに……!」
いたたまれず降ろそうとした手を、ハデスが握る。
「違う! ……その、嬉しくて……。私に触れようとしてくれる人なんていないから」
ハデスは改めて手を離し、手袋を脱ぎ捨てた。
そしてぎこちなくもパンドラの手に、己の手を重ねる。
指と指が絡み合うように握ると、見つめ合う。
「これでは私への褒美になってしまうな。……君を不安にさせたというのに」
「そんな……! 私のほうこそ、申し訳ございません。旦那様を信じきれずに……」
「いいんだ。……嫉妬してくれて嬉しいと思った私はもっと悪いからな」
「まあ……! 旦那様ったら……」
嫌だと、煩わしいとは思われなかったことにホッとした。
いや、それよりもエルの言うとおり、喜んでもらえたようだ。
ハデスに受け入れてもらえた喜びで心が軽くなったパンドラは、ハデスの肩に頭を預けた。
「旦那様の手、好きです。温かくて、優しい。でもところどころマメ? がありますね?」
「剣を握っているからだ。これでも王子としての最低限は学ばされたからな」
「旦那様が剣を? ……もしよろしければ、いつか見せていただいてもよろしいですか?」
「剣を降っているところをか?」
「はい。旦那様のいろいろな姿を見てみたいのです」
ハデスが剣を降っている姿はきっとかっこいいはずだ。
想像するだけで胸がときめく。
「そうだな……。では交換条件で……いつかでいい。ヴェールを外してくれないか? 叶うなら君の顔を見ていたいんだ」
「で、ですがほかのかたに不幸が……」
「君がここにきて、むしろみなしあわせそうだが……。まあ、君が不安だと言うのなら、二人っきりならいいか?」
「……はい。それなら」
ハデスと二人ならいいだろう。
パンドラも彼の姿をよく見たい。
楽しみだなと微笑んでいると、ハデスが思い出したようにあ、と声を上げた。
「そういえば妖精姫が婚約者を連れてくるそうだ」
「………………それ、は……」
「ああ、聞いた。……君の元婚約者だそうだな」
楽しい気持ちが一変。
お腹の底が重たくなったような気がした。
パンドラはハデスからの問いに、小さく首を縦に振る。
「……はい。私に会いにきてくださる、数少ないかたでした。ですがその優しさに甘えて……私はラルフ様のお気持ちを察することができず、苦しい思いをさせ――」
「パンドラ。それは違う」
ハデスは力強く否定した。
「君の婚約者なら会いに行くのは当たり前だ。そんなことを君のせいにする必要はない」
「……ですがラルフ様がおっしゃっていたのです。ずっと恐ろしかったと。……親の命令で仕方なく婚約したと。だから私は……」
申し訳なかったと言おうとしたパンドラは、強く握られた手に気がついた。
思わず横を見れば、そこには瞳をスッと細めたハデスがいる。
「……旦那様?」
「始末しよう」
「え?」
今なんて言ったのだろうか?
パンドラが瞳を瞬かせていると、ハデスは一人静かに告げた。
「二度と君にそんな口がきけないよう消そう。いや、姿を見るのも嫌だろう? なら今から私が行って命を奪って――」
「旦那様!? 大丈夫です! もうラルフ様にはなんの感情もございません」
「君を傷つけたという時点で死罪だ」
「…………ですがそのおかげで旦那様と結婚できました。旦那様の優しさを、きちんと心に刻めたのです」
ハデスはむすっとしつつも、パンドラの言葉に心打たれたようだ。
仕方ないとラルフを害することは諦めてくれた。
ほっと息をついたパンドラに、ハデスは繋がる手とは逆の手を見せる。
「殺すと脅すのはいいか? 触れてやるぞと言えば怯えて腰を抜かすんじゃないか?」
「旦那様……」
諦めてなかった。




