旅の始まり編 6.「でも人と違って、“純粋に生きている魔物”の方が、私はやりづらいです」
森が、湿気と血の匂いに沈んでいた。
森に充満するのは、湿った腐葉土の香りではなく、鉄錆のような血の気配だった。
どこかで獣が死に、どこかで人が殺された後の、沈んだ呼吸。
小鳥の鳴き声すらなく、風のざわめきだけが、木々のあいだから忍び寄るように耳を撫でた。
傾いた太陽の光が、枝葉の隙間から斜めに差し込んでいる。
ガルドとリリィは泥濘の道を進んでいた。雨は止んだが、足元はまだ柔らかい。
「この前の男たち……盗賊上がりですよね。言動も戦い方も雑でした」
「戦争があれば、盗賊上がりでも重宝される。そして、戦場がなくなれば、そういう連中が蔓延る。生かしても、また人狩りを繰り返すだけだ」
リリィは小さくうなずいた。だが、その表情は少しだけ険しい。
「……酷くて下種な性格だからって、それを他人に向けていい理由にはなりませんよね」
「性格も評判も関係ない。“今”何をしたかだけで判断する」
ふたりの会話が途切れた瞬間だった。
――バキン!
木が弾けたような音とともに、脇の藪が吹き飛んだ。
跳び出してきたのは、巨体の獣だった。
全身に骨のような装甲をまとう四足の猪型の魔物――牙が伸び、背から炎を吐く。
「……火喰い獣」
「“魔物”ですね」
リリィがすぐに身を低く構え、ロングソードを抜いた。
「《足を縫い止めなさい》」
地面に魔方陣が浮かび、獣の足元を魔力の糸が絡め取る。
しかし、火喰い獣は咆哮とともに無理やり引きちぎり、突進してきた。
ガルドは咄嗟にショートソードに持ち替え、獣の側面へ回り込む。
「リリィ、囮になる。吹き飛ばせ」
「了解。タイミング合わせてください!」
獣がリリィへ牙を向けて飛びかかった瞬間――
「《爆ぜろ》!」
リリィの詠唱とともに、足元が破裂するように爆風を放った。
火喰い獣の動きが一瞬止まり、その隙に――
「喉元をもらう」
ガルドの声とともに、ショートソードが一直線に獣の顎下へ突き立った。
重さをかけて刃を深く押し込み、最後にツバイヘンダーで首を断ち切る。
魔物は、呻きもあげずに崩れ落ちた。
リリィは肩を上下させながら、ほんの少しだけ膝に手をついた。
「……殺意強めですね、あの子」
「“人”じゃないだけ、まだマシだ」
「でも人と違って、“純粋に生きている魔物”の方が、私はやりづらいです」
リリィは魔力の残滓を指先で払いながら、ふっと息をついた。
「まだ来る?」
「……風が止まった。いるな。気配が三つ。……木の上だ」
すぐさま、枝の上から矢が放たれた。
「旅人狙いか、罠にかけるつもりか……」
矢を剣で弾きながら、ガルドは無言でツバイヘンダーを構えた。
再び、戦いが始まる。