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王都ガラルヘルド編 56. 「特別指導」1

 合格発表の翌日――


 騎士団の新人宿舎は、本部建物の東棟にある石造りの質素な建物だった。一人一部屋が割り当てられるが、部屋は狭く、窓も小さい。


 簡素なベッドと机、そして衣装箪笥があるだけの機能性を重視した作りで、装飾らしい装飾は一切ない。


 それでも、村の狭い家で育ったガルドにとっては十分すぎる環境だった。何より、ここは騎士団の一員として認められた証でもあった。


 朝早く、まだ日の出前の薄明かりが窓辺に差し込む頃、部屋の厚い木の扉を叩く音が響いた。


 コンコンコン――


 規則正しく、上品なリズムの扉叩き。急かすような音ではなく、むしろ優雅さすら感じられる響きだった。


「ガルド、起きていますか?」


 聞き慣れた、美しい声。昨日の試験で初めて会ったばかりだというのに、なぜか懐かしささえ覚える声音だった。


 ガルドは急いで跳び起き、寝間着から訓練着に着替えた。まだ慣れない騎士団の制服に袖を通しながら、慌てて扉を開ける。


 そこには、いつものように優雅な微笑みを浮かべたリリアナが立っていた。今日は普段の正装騎士服ではなく、動きやすい紺色の訓練着を着ている。


 それでも、彼女が身に着けると普通の訓練着が高級な衣装に見えた。髪は普段より高い位置で結われ、美しい首筋が露出している。


 朝の冷気で頬がほんのり赤らんでいるのが、十四歳の少年の目には眩しいほど美しく映った。


「おはようございます、リリィさん」


「おはよう、ガルド。準備はできていますか?」


 彼女の瞳が、ガルドの顔を隅々まで見回した。まるで彼の体調や精神状態を確認するような、注意深い視線だった。医師が患者を診るような、慈愛に満ちながらも分析的な眼差し。


「はい!」


「それでは、私の特別訓練場にご案内しましょう。他の人は立ち入り禁止の、私だけの場所ですよ」


 リリアナに案内されて向かったのは、本部建物の地下深くにある、隠された訓練場だった。


 石の階段を降りていく。段数を数えれば五十段以上はあるだろう。途中で何度も曲がり角があり、まるで古い遺跡の迷路のような複雑な構造になっている。


 壁には等間隔で松明が掲げられ、石材の隙間から冷たい地下の風が吹き込んでくる。どこからともなく地下水の滴る音が聞こえてきて、その音が石の壁に反響して幻想的な響きを作り出していた。


 やがて、重厚な鉄の扉が現れた。扉には複雑な魔法陣が刻まれており、強力な結界が張られていることが分かる。リリアナが腰の鍵束から複雑な形をした特殊な鍵を取り出し、慣れた手つきで錠を開けた。


 扉の向こうに現れた光景は、ガルドの想像を遥かに超えていた。


 松明と魔法の明かりに照らされた、地下とは思えないほど広大な空間。天井は驚くほど高く、まるで地上の大聖堂のような荘厳さがある。


 壁には様々な武器が整然と掛けられていた――剣、槍、斧、弓、そしてガルドが見たこともない奇怪な形状の武器まで。それぞれが完璧に手入れされ、美術品のような輝きを放っている。


 空間の奥の一角には、精密なガラス管や蒸留器、色とりどりの薬品の瓶が並ぶ錬金術の実験台が設置されている。


 古い書物や巻物が積み上げられた書棚、複雑な魔法陣が刻まれた石板、そして中央には人間大の精巧な作業台まで――まるで一人の研究者が生涯をかけて築き上げた、知識の宝庫とでも呼ぶべき空間だった。


「すごい……」


 ガルドは思わず声を漏らした。村で見た鍛冶場や道場とは比較にならない設備の充実ぶりに、ただ圧倒されるばかりだった。


「気に入ってくれましたか? ここは私が個人的に作った場所なのです。騎士団の正式な施設ではありませんから、誰にも邪魔されることはありません」


 リリアナの声に、誇らしげな響きが混じっている。まるで自分の子供を自慢する母親のような、温かい感情が込められていた。


「こんな場所があったなんて……」


「そうですね。でも、ここに入ることを許されるのは、あなたが初めてですよ」


 リリアナは振り返り、意味深な笑みを浮かべた。その笑みには、秘密を共有する喜びと、特別な存在として選ばれた者への愛情が込められているように見えた。


「つまり、あなたは特別ということです」


 その言葉に、ガルドの頬がわずかに赤らんだ。十四歳の少年にとって、美しい年上の女性からの特別扱いは、心臓の鼓動を早める出来事だった。


「それでは始めましょう。まず、あなたの剣技をもう一度見せてください。今度は本気でお願いします」


「本気で……でしょうか?」


「そうです。昨日の試験では、まだ余裕があったでしょう? 私には分かるのです」


 確かに、昨日の試験では手加減していた。相手が木人形とはいえ、全力で斬りつけるのは少し気が引けたのだ。周囲の目もあり、あまり目立ちすぎるのも良くないと考えた結果だった。


「でも、木人形だと壊れてしまいます」


「大丈夫ですよ」


 リリアナが優雅に手をかざすと、訓練場の中央に複雑な幾何学模様の魔方陣が浮かび上がった。青白い光が石床に美しく刻まれ、空気が微かに震える。魔力の波動が空間全体に広がり、神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「《堅固なれ、鋼の如く》」


 美しい声での詠唱と共に、木人形が金属光沢を帯び始めた。魔法により強化されたそれは、もはや並みの武器では傷一つつけることができないだろう。表面が鈍い銀色に変わり、まるで鋼鉄製の人形のような佇まいとなった。


「これなら全力でも大丈夫です。さあ、やってみてください」


 ガルドは剣を構え、深く息を吸った。リリアナの期待に応えなければという気持ちと、本当の実力を見せたいという欲求が心の中で混じり合っている。


 そして――


 ◆


 三閃。


 今度は、昨日とは比較にならない速度と威力だった。


 最初の一撃で魔法強化された木人形の首が宙に舞い、二撃目で胴が真横に裂け、三撃目で残った下半身が粉々に砕け散った。魔法の光が四方に四散し、木屑と金属片が宙を舞う。強化魔法すらも、ガルドの剣の前では意味をなさなかった。


 刃が空気を裂く鋭い音、魔法が崩れ去る轟音、破片が石床に落ちる無数の音――それらが重なって、訓練場に壮大な残響を作り出した。


「……」


 しばらくの沈黙の後、リリアナが小さく息を吐いた。


「完璧ですね」


 彼女の声には、心からの感嘆が込められていた。同時に、期待していた以上の逸材を手に入れた深い満足感が、表情の端々に現れている。まるで、長年探し続けていた宝物をついに見つけた探検家のような表情だった。


「昨日の試験、やはり手を抜いていたのですね。賢い判断です」


「申し訳ございません、嘘をついたみたいで……」


 ガルドは申し訳なさそうに頭を下げた。


「謝る必要はありませんよ。むしろ、状況に応じて力を使い分けられるのは素晴らしいことです」


 リリアナはゆっくりとガルドに近づいた。彼女の足音は相変わらず静かで、香水の上品な香りが近づくにつれて濃くなる。


「ねえ、ガルド」


「はい」


「あなたは、なぜ騎士になりたいのですか?」


 突然の質問に、ガルドは少し戸惑った。しかし、すぐに真剣な表情で答える。


「正義のためです。弱い人を守り、悪を討つ。それが騎士の使命だと思っています」


「正義……」


 リリアナは目を細めた。その瞳に、何かを測るような光が宿る。


「いい答えですね。でも、現実はそう単純ではないのですよ」


「えっ?」


「この騎士団にも、王国にも、綺麗事だけでは済まない部分がたくさんあります。それでも、あなたは自分の正義を貫けますか?」


 ガルドは迷わず頷いた。


「はい。どんなことがあっても、正しいと思うことをします」


「……そうですか」


 リリアナの表情が、わずかに変わった。慈愛に満ちた笑顔の奥に、何か満足したような光が宿る。まるで、期待していた答えを聞けた時の安堵感のような色だった。


「それなら、私があなたを完璧な騎士に育てて差し上げましょう」


 彼女はガルドの肩に手を置いた。手袋越しでも感じられる体温と、かすかに伝わる魔力の波動が、少年に安心感を与える。


「私の全ての技術を教えますよ。剣術も、魔法も、錬金術も。そして何より……本当の『正義』とは何かを」


 その手の温もりに、ガルドは心から感謝した。


「ありがとうございます、リリィさん。必ず、ご期待にお応えします」


「期待なんてしていませんよ」


 リリアナは首を振ったが、その表情は優しい。


「期待を超えてもらうのです。私の想像を、はるかに上回る騎士になってください」


 そして、声を落として囁いた。


「あなたは私の理想の作品になるのですよ」


 その言葉の意味を、ガルドはまだ理解していなかった。ただ、師となる人への憧憬と感謝で胸がいっぱいだった。褐色の瞳が純粋な光で輝き、頬は興奮と緊張で薄紅色に染まっている。


 リリアナは、そんなガルドの表情を静かに見つめていた。


 この子は、間違いなく自分のものになる。


 そして、自分の意志を永遠に継承してくれる、最高の器となるだろう。


 その確信が、彼女の心を静かな歓喜で満たしていた。



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