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王都ガラルヘルド編 55. 追放騎士ガルド

 王都ガラルヘルドの朝は、青銅の鐘楼から響く重厚な音色と共に始まった。


 鐘の音が石造りの騎士団本部の厚い壁を震わせながら、建物の奥深くまで染み渡っていく。朝霧がゆっくりと薄れ始めた訓練場には、既に汗と鉄の匂いが立ちこめていた。


 砥石で刃を研ぐ規則正しい音、革鎧を叩く乾いた音――それらが重なり合い、武の殿堂にふさわしい厳粛な空気を作り出している。


 古い石畳には、長年にわたる鍛錬によって削られた無数の傷跡が刻まれ、その一つ一つが先人たちの血と汗の証だった。


「今年度の王国騎士団入団試験を開始する」


 試験官の声が、高い天井に何度も反響しながら訓練場の隅々まで届いた。声の主は五十代の初老の男――グンター・リグレッド准将。


 顔には魔物との戦いで負った古傷が縦横に刻まれ、右の眉から頬にかけて走る深い傷跡は、かつて巨大なワイバーンの爪によるものと言われている。


 左手の小指は第二関節から先を失っており、二十年以上の戦場経験が刻み込んだ重厚な威圧感を纏っていた。

 胸に輝く騎士団の紋章は、古参騎士だけに許される金の縁取りが施されている。


「受験者は前に出ろ。年齢順に並べ」


 朝の柔らかな光が射し込む石畳の上に、五十名の若者たちがゆっくりと整列した。彼らの表情には緊張と希望が入り混じり、握りしめた剣の柄に手の汗が滲んでいる。


 その中で、明らかに一人だけ小柄な影があった。


 ガルド・マリウス――十四歳の少年は、周囲を見回しながら列の最前列に並んだ。髪は短く刈り込まれ、瞳には年齢にそぐわない強い意志の光が宿っている。他の受験者たちは皆、十六歳から十八歳程度で、がっしりとした体格と既に戦士としての風格を備えた者も多い。体格も体力も、まだ発展途上の少年とは比較にならない威容を誇っていた。


 しかし、ガルドだけは周囲の視線を気にする様子もなく、まっすぐと前を見つめて立っている。


「……あのちび、なんで混じってんだ?」


「間違いじゃないのか? あんなガキが騎士になれるわけ……」


 背後で交わされる囁き声は、軽蔑と困惑が入り混じったものだった。ガルドは振り返ろうとはしなかった。ただ、背筋を一本の剣のように真っ直ぐに伸ばし、足元にわずかな揺らぎも見せずに立ち続けている。


 その手には、父が遺してくれた古いロングソードが握られていた。刃には使い込まれた証拠として細かい刃こぼれがあるものの、手入れは完璧に行き届いている。柄革は長年の使用で飴色に変わり、少年の手にしっくりと馴染んでいた。


 重心は少年の体格に合わせて鉛の重りで微調整されており、鞘の金具にも小さな凹みがあるが、それすらも丁寧に手入れされて鈍い光を放っている。この剣一振りに、ガルドの全てが込められていた。


「受験番号七番、ガルド・マリウス」


 名前を呼ばれると、彼は軽やかな足音を響かせて一歩前に出た。その動きには無駄がなく、まるで舞踏を見ているような優雅さすらある。


 試験官が深く刻まれた眉をひそめた。


「……年齢は?」


「十四歳です」


 声は少し高めだが、はっきりとして迷いがない。緊張の色は確かに見えるが、怯えてはいない。むしろ、挑戦への期待すら感じられる。


「十四……受かったら最年少記録だな」


 准将が苦笑いを浮かべた。これまでの最年少記録は十五歳だったが、それすら例外中の例外だった。


「まあいい、規定上は問題ない。始めろ」


 ◆


 訓練場の中央に設置された木人形の前に、ガルドは静かに立った。


 樫の木を削り出して作られた木人形は、人間の体格を正確に模している。関節部分には革が巻かれ、実戦に近い感触を再現するよう工夫されていた。


 表面は長年の使用で削れ、無数の刃傷が刻まれている。その傷跡の一つ一つが、これまでの受験者たちの技量を物語っていた。


 周囲の受験者たちが、固唾を呑んで見つめている。誰もが、この小柄な少年が一体何をするのかを見届けようとしていた。

 嘲笑的な視線を向ける者もあれば、純粋な好奇心で見守る者もいる。

 しかし、そのすべての視線がガルド一人に集中していることは間違いなかった。


 ガルドは深く息を吸い、静かに剣を抜いた。


 鞘から抜かれた鋼の刃が、高い窓から射し込む朝の光を弾いて、美しくきらめいた。刃紋が浮かび上がり、古い剣でありながら名工の手によるものであることが一目で分かる。空気を裂く音さえ立てずに、剣が構えられた。


 そして――


 風のような速さで、剣が閃いた。


 一瞬の出来事だった。


 木人形の首が、まるで羽毛のように軽やかに宙に舞った。切断面は鏡のように滑らかで、一撃で完全に断たれている。

 続いて放たれた横薙ぎの一撃が胴を真横に両断し、木の芯まで深々と食い込んだ。最後に繰り出された突きが心臓の位置を正確に貫き、剣先が背面まで突き抜けて止まった。


 三撃。すべて人間なら即死に至る致命箇所への完璧な攻撃。無駄な動きは一切なく、各撃の間隔は機械のように正確で、ガルドの呼吸すら乱れていない。


 木屑が舞い散る中、ガルドは流れるような動作で剣を鞘に収めた。納刀の動作も美しく、刃が鞘に収まる小さな金属音だけが静寂の中に響いた。


 訓練場が、墓場のように静まり返った。


「……」


 試験官の口が半開きのまま固まっている。深く刻まれた皺が驚愕で歪み、戦場で培った冷静さを完全に失っていた。他の受験者たちも、呆然と木人形の残骸を見つめている。中には口をあんぐりと開けたまま、まばたきすら忘れている者もいた。


「次の課題をお願いします」


 ガルドが礼儀正しく問いかけた。声に興奮や得意げな色はない。まるで日常の一部をこなしたかのような、自然な調子だった。


 その時、訓練場の隅から拍手が響いた。


 パチパチパチ――


 ゆっくりとした、上品なリズムの拍手。音は訓練場の高い天井に反響し、まるで音楽堂での演奏会のような響きを作り出していた。


 振り向くと、そこには一人の女性騎士が立っていた。


 ◆


 白銀の長い髪を後ろで一つに優雅に結い、整った顔立ちに穏やかな微笑みを浮かべている。


 年齢は二十代半ば程度に見えるが、その美貌は王都でも評判になるほどだった。身長はガルドより頭一つ以上高く、しなやかな体つきでありながら、腰に下げた剣の柄に刻まれた精緻な紋様と、纏っている独特の雰囲気から、相当な実力者であることが見て取れる。


 騎士服は上質な布で仕立てられ、胸元には特殊術科部隊の銀の徽章が誇らしげに光っていた。


 その美貌は確かに印象的だった。


 白磁のような透明感のある肌に、知性的な瞳。


 薄く上品な唇は、微笑む時に見える白い歯をより美しく見せている。


 しかし最も印象深いのは、その瞳の奥に宿る測り知れない深さだった。


 まるで静かな湖の底を覗き込んでいるような、神秘的な魅力がある。


「素晴らしい剣技ですね。基礎がきちんとできています」


 女性騎士がゆっくりと近づいてきた。

 その足音は驚くほど静かで、まるで床に触れていないかのような軽やかさだった。


 歩く姿には武人としての凛とした美しさがあり、同時に女性らしい優雅さも兼ね備えている。近づくにつれ、薄い香水の香りが風に混じって漂ってきた。

 上品で控えめでありながら、どこか記憶に残る印象的な香りだった。


「あなたのお名前は?」


「ガルド・マリウスです」


 声は緊張で少し上ずったが、はっきりと答えることができた。


「ガルド……」


 彼女は名前を口にする時、なぜかとても嬉しそうな表情を見せた。まるで久しぶりに会った親しい友人の名前を呼ぶような、親愛に満ちた響きがあった。


「私はリリアナ・アルフィード。この騎士団の特殊術科部隊で副隊長をしています」


「リリアナ副隊長……」


 ガルドは慌てて背筋をさらに伸ばした。

 特殊術科部隊の名前は、新人候補生でも知っている。


 騎士団の中でも最も精鋭とされる部署で、魔法と武術を組み合わせた高度な戦闘技術を専門とする、まさにエリート中のエリート部隊だった。


「副隊長は堅苦しいですね。リリィでいいですよ」


「リリィ……さん」


「そう、それでいいのです」


 リリアナ――リリィは優しく微笑んだ。

 その笑顔には、まるで宝石を見つけた時のような輝きがあった。瞳の奥で、何かが満足そうに煌めいている。


 試験官が遠慮がちに咳払いをした。


「リリアナ副隊長、まだ試験の途中ですが……」


「ええ、もちろんです。でも、もう結果は明らかでしょう?」


 リリアナは振り返って微笑んだ。


「この子の剣技は、あなたたちより上手ですもの」


 場内がざわめいた。確かに、ガルドの剣技は他の受験者とは次元が違っていた。速度、精度、威力――すべてが規格外だった。


 特に、無駄な動作が一切ないその剣筋は、長年の修練を積んだ騎士でも到達困難な領域に達していた。


「残りの試験も受けてもらいますが、結果は確実でしょうね」


 リリアナは細い腕を組み、満足そうにガルドを見つめた。その視線には、まるで希少な美術品を鑑定する収集家のような、何か特別な光が宿っている。


「ねえ、ガルド」


「はい」


「もし合格したら、私が個人指導をしてあげましょうか?」


 ガルドの瞳が輝いた。特殊術科部隊の副隊長から直接指導を受けられるなど、夢のような話だった。


「本当でしょうか?」


「ええ、本当です。私、才能のある子を育てるのが何より好きなのです」


 リリアナの口元に、微かな笑みが浮かんだ。

 それは慈愛に満ちた表情に見えたが、その奥に何か別の感情――深い満足感や、獲得の喜びのようなものが潜んでいることに、この時のガルドは気づくはずもなかった。


 ――あなたは私の最高の作品になるでしょうね......


 小さく囁かれたその言葉は、訓練場の喧噪と他の受験者たちのざわめきにかき消されて、ガルドの耳には届かなかった。


 ◆


 その後の試験も順調に進んだ。


 筆記試験では、戦術理論から騎士道精神まで、幅広い知識が問われた。ガルドのペンが羊皮紙の上を滑るように走り、設問に対して的確な答えを記していく。


 文字は年齢にしては整っており、内容も理路整然としていた。村の学校で学んだ基礎教育に加え、独学で身につけた知識が遺憾なく発揮されている。


 体力測定では、腕立て伏せ、懸垂、長距離走と項目が続いた。


 十四歳という年齢を考慮しても、その成績は群を抜いていた。特に持久力は驚異的で、他の受験者が息を切らして倒れ込む中、ガルドだけは呼吸すら乱していない。


 規則正しい呼吸を保ったまま、最後まで一定のペースを維持していた。


 そして最後の魔力適性検査――水晶球に手を触れた瞬間、測定器の針が勢いよく振れた。

 そのまま最大値を超えて振り切れ、水晶球自体が眩いばかりの青白い光を放ち始める。


「こりゃあ、間違いなく合格だな」


 試験官が苦笑いを浮かべながら、記録用紙に結果を書き込んだ。羊皮紙にインクが染み込む音が、ペン先から小さく響く。


「しかし、十四歳でこの成績とは……将来が非常に楽しみです」


「でしょうね」


 リリアナが横から口を挟んだ。彼女はいつの間にか試験官の隣に立ち、記録用紙を興味深そうに覗き込んでいた。


「私が責任を持って育てます。必ず、騎士団の誇りとなる人材に仕上げてみせましょう」


 その言葉には強い自信と、何か別の深い感情が混じっていた。まるで、希少な原石を手に入れた宝石商のような、抑えきれない満足感に満ちた響きがある。


 試験官は深く頷いた。


「頼もしい限りです。では、正式な合格発表は明日行いますが……」


 試験官はガルドの方を向いた。古傷で歪んだ顔に、久しぶりに見る逸材への純粋な驚嘆が浮かんでいる。


「君は間違いなく合格だ。おめでとう、ガルド・マリウス新人騎士」


 ガルドの胸に、熱いものが込み上げてきた。


 幼い頃から夢見ていた騎士への道。村の剣術道場で、毎日血が出るまで素振りを続けた日々。父の形見の剣を握りしめ、いつかきっと騎士になると誓った夜。それらすべてが、ついに現実となったのだ。


「ありがとうございます!」


 深く頭を下げるガルドの肩に、リリアナが手を置いた。彼女の手は意外に温かく、薄い手袋越しでも伝わる体温が、少年の緊張を和らげた。


「よくやりましたね、ガルド。明日から、私があなたのすべてを教えて差し上げます」


 その手の温もりは、少年にとって何よりも安心できるものだった。憧れの騎士団への入団と、理想的な師との出会い。すべてが完璧すぎる展開に、ガルドは夢を見ているような気分だった。


 しかし、リリアナの瞳の奥には、獲物を捕らえた肉食獣のような光が静かに宿っていた。その光の意味を、純粋なガルドが理解できるはずもなかった。


 月日が流れ、季節が変わっても、この瞬間の記憶だけは、二人の心に深く刻まれることになる。運命の出会いとして――あるいは、悲劇の始まりとして。



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