53.「次の道へ行きましょう。まだ誰かが困っているなら」
夕刻、街道の手前。雑木林の切れ目から、怒鳴り声が風に乗って流れてきた。
ガルドは足を止め、鼻先で空気を嗅ぐ。土と湿り気、そして鉄の匂いがうっすらする。
「……血の匂いが混じる。近い」
「人数、四……いえ五人、。動きは二と三で分かれています」
リリィが低く告げる。聴覚と足音の間隔から割り出した数を、迷いなく示す。
茂みを抜けると、小さな沢を跨ぐ丸太橋の上で、若い男女が追い詰められていた。革鎧の少年は肩口から血を流し、震える手で短槍を構える。後ろに庇うように立つ少女は、弓を抱えたまま唇を噛んでいる。対するのは三人組の先輩風の冒険者。二十代半ば、刃は使い慣れているが目つきが濁っていた。
「さっさと袋置け。山の向こうの“依頼人”が待ってんだ。おめーはここで死ね、女は高く売るからよぉ」
先頭の顎髭が、鼻で笑う。少年が震え声で返した。
「同じギルドの先輩でしょう! 助け合うのが……!」
「助け合う? 現実見ろ。持たざる奴は“資材”だ」
ガルドはゆっくりと橋の手前に進み、二人と三人組の間に立った。
「まず、話を聞かせろ」
三人の視線がこちらへ刺さる。顎髭が舌打ちした。
「関係ねえ奴は引っ込んでろ。こいつら、荷をもって逃げやがった裏切りだ」
「その“荷”は何だ」
「商売のタネだよ。依頼人に秘密にするように言われているだけで、ただの荷だ」
「ならばギルドで審査を受けろ。街まで同道して、帳場で話をつける。ここで人を殺すな」
短い説得。ガルドの声には熱がない。ただ筋だけが通っている。
顎髭が肩をすくめ、後ろの二人に合図を送った。
「……ダメだ。こいつ、面倒くせえ奴だ。先に殺る。女の方は——」
三人組の一人がリリィの手首を掴もうと伸びた。
リリィは一歩だけ下がって、静かに目を伏せる。
「警告します。触れないでください。《縛れ》」
地面に薄い魔法陣が走り、男の足首に見えない糸が絡みついた。膝が抜け、泥へ膝をつく。
「っな、足が——!」
もう一人が少年へ突進する。ガルドは半歩だけ前に出て、ショートソードの“鞘”で相手の手首を軽く打った。叩かない、角度だけをずらす。刃が地面を掻いて跳ね、男の肘が空へ開く。そこに肩で“押す”。
どさり、と転がる。骨は折っていない。立てなくなる角度だけ奪った。
顎髭が舌を鳴らし、本気の踏み込みでガルドの喉を狙う。
「話は終わりだ!」
ガルドは右足で丸太の端を踏み、体重を沈める。刹那、男の刃筋が喉へ上がる“前”。柄頭で胸骨の際を“押す”。呼吸が止まる。視界が一瞬白く飛ぶ。
間合いが空いた瞬間、ガルドの左が伸び、男の喉元に“触れる”だけの突き。皮膚は破らない。喉の軟骨が反射的に守り、男の視線が落ちた。
「武器を置け。まだ戻れる」
「舐めんなぁ!」
返ってきたのは、逆手の短剣。喉に来る角度。言葉は終わっていた。
ガルドは一呼吸だけ黙り、刃を弾いた手のまま、肋の下へ浅い斜めの一閃を入れた。致命へ落ちない深さで、身体の表面に傷をつける。
が、顎髭はなおも喉へ刃を伸ばした。
ため息ほどの間。
ガルドは視線を落とし——剣を返した。今回は止めない。刃が一寸深く入り、命を失った男の膝が砕けたように崩れる。
「……説得は終わりだ」
そのとき、背で二人組の少女の悲鳴。振り向けば、拘束を破ろうとした男がリリィ体を掴もうとしていた。
リリィは表情を消し、指先をひらく。
「《動きを止めなさい》」
重力が一点だけ増す。男の手は体に届く前で止まり、その肘へリリィの剣の柄が“軽く”触れる。痛みではなく、動きの道を消す触れ方。男の肩が落ち、リリィは喉の前に刃を置いた。
「あなた達は、さっき自分で言いました。“資材”にする、と。——人を、普段から物みたいに扱う人間の言葉です」
穏やかな声のまま、刃だけが冷たい。
「撤退の意思は、ありますか」
男は歯を剥き、リリィの袖へ空くぼみの目を向けた。
「ねぇよ!!死ねぇ!」
男は、袖から抜き出したナイフをリリィに向けようと振りかぶる。
「了解しました」
刃が閃き、言葉は終わる。
最後の一人は、少年へ向き直っていた。瀕死と見て仕留めるつもりだったのだろう。
「来るな!」
少女が震える指で弓を引く。弦が鳴り、矢は男の頬を掠めた。
「ふ――ッ」
ガルドはその隙に距離を詰め、男の腰へ膝を当てる。膝が曲がり、男の顔が落ちたところに、ショートソードで後頭部を斬る。静かに、確実に。最後の男は倒れ、そのまま動かなくなった。
沢音が戻る。風が梢を揺らし、鉄の匂いが濃くなる。
ガルドは血の付いた刃を布で拭き、少年に近づいた。
「座れ。深く呼吸するな。肩の傷を見せろ」
少年は素直に座り、顔色を失って肩を差し出す。矢ではない。短剣で浅く裂かれ、泥が入っていた。
「洗います。《水、清めなさい》」
リリィが掌をかざし、透明な水膜を薄く降らせる。血と泥が流れ、創縁が浮き上がる。
「縫合は不要。圧迫と固定をするぞ」
ガルドは手拭いを裂いて帯を作り、肩から脇に巻いて結ぶ。動脈を避けて圧を分散させる巻き方——戦場で何度もやった手だ。
「痛みは?」
「……大丈夫、です」
「そうか…」
ガルドは苦笑もなく答え、指で脈を取る。落ち着いてきている。失血は軽度。問題は心だ。
少女が矢を握ったまま、震える声で尋ねた。
「わ、私たち……殺されるところでしたか」
「そうだ。だから止めた」
言い切る声は乾いているが、温度がないわけではない。
「二人はギルドへ戻れ。今日の出来事を全部、書面で。——ああ、まずは近い町だ。護衛する」
「でも……その、先輩たちは……」
少女の視線が倒れた三人へ揺れる。リリィが短く目を閉じた。
「“人を売る”と言いました。あの言葉を選んだのは彼ら自身です」
橋を外れ、土手の上でひと息置く。夕陽が斜めに差し、草いきれが濃い。
「歩けるか」
「はい……」
少年が立ち上がろうとして膝をつく。ガルドが肩を貸した。
「歩幅を俺に合わせろ。息が上がったら合図しろ」
「ありがとうございます……」
礼の声は小さいが、芯があった。
街道へ戻る途中、リリィが並んで歩きながら、少しだけ声を落とした。
「……最初の“話し合い”、少しだけ、期待していました」
「……」
「でも、すぐに手が出てきましたね」
「人を物と呼ぶ傲慢な習慣は、思った以上染み付いて離れない。だから引き際も間違える」
短い会話。それきり二人は黙り、足音と風だけが続く。
やがて、町の柵が見えてきた。宿場の見張り台に灯りがともる。
門兵がこちらを見つけ、血の匂いを嗅ぎ取ったのか、身を乗り出した。
「負傷者、二! 道を開けろ!」
ガルドが声を上げ、簡潔に状況を伝える。
「街道手前の丸太橋で襲撃。冒険者三名が新人二名を殺害・売買しようとしたため制止。抵抗あり、三名は戦闘不能。遺体は仮埋葬せず現地。後で回収を」
門兵は顔をしかめたが、頷いた。「詰所へ。記録員を呼ぶ」
詰所の手前、リリィが少年の包帯に指を添える。
「《痛み、鈍れ》」
温い感覚が走り、少年の呼吸がゆっくりになった。
「今日は眠れるはずです。明日、医師に見せてください」
「……ありがとうございます」
少女も深く頭を下げる。「命を、助けてくれてありがとうございます。今日のこと――忘れません」
詰所の扉が閉まり、二人きりの夜気が戻った。
街道からの人声、酒場の音。鍋の匂いに混じって、ほんのわずか血の気配が残る。
ガルドは空を見上げ、短く息を吐いた。
「……“先輩”の顔をした悪党は、どこにでもいる」
「はい」
「だが、今日の二人は生き残った。——それでいい」
リリィは横顔を見上げ、小さく頷いた。
「次の道へ行きましょう。まだ誰かが困っているなら」
「ああ。歩くしかない」
背中の剣を確かめ、二人は詰所を後にした。
灯りの列を抜ければ、また暗い道が続く。
足音は二つ。
その前には、守るべき誰かが、きっといる。
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