番外編・武闘祭ハラルヘリ 49. 第五話「優勝は済んだ、胃袋はこれから──荷造りと未練と出発前つまみ食い」
朝の鐘が三回、石畳にひびいて、ようやく広場の屋台も片づけに入った。昨夜の熱気はうそのように薄れ、代わりに、木槌の音や荷車の軋む音が静かに響く。優勝祝賀の名残で、紙吹雪がまだ靴の底にくっつき、歩くたびにひそかな音を立てた。
「――で、優勝トロフィーは?」
「重い。置いてきた」
「重さの問題じゃないんですけど! 栄誉ですよ、ガルドさん!」
「栄誉は胃に入らない」
リリィは額に手を当て、深くため息をひとつ。今朝の彼女の髪はいつもの白。昨夜までの黒染め粉はすでに落とされ、その染め粉は、なぜかガルドの荷の底に紛れ込ませてある。朝の光が白髪にきらめき、風に揺れた。
大会実行委員からの賞金は、革袋にずっしりと詰められている。手に持つと心地よい重さと金属音。副賞の“一生使える高級フライパン”は見た目以上に重量があり、荷車の一番下へと押し込み、その上に毛布と干し肉を整然と積み上げる。ガルドは紐をきゅっと締め直しながら、優勝した夜に食べたフルコースの品書きを脳裏でなぞっていた。
「前菜の温度、完璧だった」
「はいはい。次の街のご飯は前菜から決めましょうね」
「異議なし」
見送りに来た屋台の面々が、次々と包みを押しつけてくる。油紙や布から、温かな匂いがもわっと立ち上る。
「揚げパン四つ! 冷めても美味い!」
「昨夜のお出汁、固めてゼリーにした! 旅先で切って食べな!」
「これ、倒れてもこぼれにくい徳利! 優勝者専用!」
「……増えたな」
「“胃に入る栄誉”は歓迎でしょ?」
衛兵詰所からも顔なじみが二人やって来る。手にはこの都市の手配解除の正式文書、そして署長印の入った殴り書きの謝礼状。「たすかった。次は出場者名簿に有名な方で書け」と追記されていた。
「黒鎧の騎士だと目立つ」
「えぇ……もう今回ので十分目立ってますけど」
門へ向かう道すがら、予選で当たった“紙片投げのユナ”が駆けてくる。包帯の隙間から覗く笑顔は、昨日よりもずっと明るい。
「次は絶対ノックアウトとるから!」
「踏み込みの半歩、置いていくな」
「置いていく……半歩……メモした!」
城門の影に入ると、さっきまでの喧噪がふっと遠くなった。外からの風が、山林の清涼な匂いを運んでくる。緑と湿った土の香り、そして朝露で冷えた木の香りが混じり合い、旅の匂いがした。
「……この都市での用事、全部終わりましたね」
「ああ。勝った。食べた。ついでに疑いも晴れた」
「じゃあ、出る前に最後の確認。忘れ物は?」
「していない」
「優勝トロフィー」
「重い」
「やっぱりそこ!」
ふたりで笑う。リリィは荷車の縁に腰掛け、靴紐をきゅっと結び直す。結び目がしっかりと締まる小さな音が聞こえた。
「次、どこへ行きます?」
「風上と、乾いた道。保存の効く街道菓子が多い方角」
「食べ物基準、清々しいですね……でも、嫌いじゃないです」
そのとき、実行委の文官が息を切らして駆け寄ってきた。手に封蝋の手紙を握り、目は期待に輝いている。
「四年後の招待状です! ついでに“優勝者推薦グルメ審査員”のお願いも!」
「任務が増えたな」
「お受けするんですか?」
「審査は嫌いじゃない」
リリィの肩がぴくっと震えた。「隠れグルメでもなんでもなくなってきましたよ、ガルドさん」
門外の土道に足を踏み出す。朝日が木々の葉を透かし、地面に小さな影の斑点を落とす。振り返れば、街の屋根と煙突がゆっくりと遠ざかっていった。
「……行きましょう、ガルドさん」
「ああ」
歩き出して数歩、リリィがふと立ち止まり、荷車から包みを取り出す。昨夜、屋台の姐さんが押しつけた“名残の一口”と墨で書かれた包み紙だ。
「出発前の、ひとかけ。縁起物ですって」
「割るか」
「じゃ、半分こ」
ぱき、と乾いた音がして、甘い香りが鼻先をくすぐる。ふたりで同時にかじると、やさしい甘味が口いっぱいに広がり、都市での記憶が舌の上でほどけた。
「……これで、ほんとに区切りですね」
「区切りは胃でつくる。覚えておけ」
「それ、名言にしないでください」
ガルドは荷車の取っ手を握り直し、少し考えてから言った。
「次の街では、食祭がいい」
「ふふ、武術大会はしばらくお休み?」
「腕は上がった。次は舌の番だ」
「わぁ、頼もしい。……でも、出発一分で“腹ペコグルメ宣言”は前代未聞ですよ」
リリィの笑い声が、木立の奥へ吸い込まれていく。
こうして、都市での目的はすべて片づいた。あとは道が、また新しい面白さを運んでくる。
――優勝者の荷の底からフライパンの金属音が、カリィンと鳴るたびに、今日も平和にお腹が減った。




