番外編・武闘祭ハラルヘリ 48. 第四話「夜は“非殺傷”でお願いします──街の食材を守れ!」
夜更け。港から内陸の大広場へ向かう石畳の輸送路は、祭りの余韻でまだ甘い匂いを抱えていた。
波止場から吹く夜風が、魚介と塩の香りを少し運び、その上に――牛骨を煮たスープの濃厚な香り、ハーブ樽の青い匂い、干した果物の糖が焦げる気配が重なって漂う。鼻腔をくすぐるその香りは、空腹の者なら足音を早めさせるに十分だった。
「……侵入者の鼻に、ぜったい反応しますね」
「匂いは罪」
「ガルドさん、それだと私たちも共犯です」
ガルドは鎧を外した軽装。影の中で肩の動きが滑らかに見える。黒染めの髪のリリィは、屋台仕込みの籠を抱えた“売り子”姿で、腰には目立たない短杖を差している。
屋根の上から、合図が三度。左右の屋根に伏せるのは、“屋根裏配達組合”の面々だ。猫目の少女――本日から“おやつ番”――が影の中で親指を立てて見せる。
「目標、四。いや、五。……あ、六? 多い!」
「多いほど“盛り合わせ”が映える」
「例えが完全に厨房」
港口から離れた一本の街灯が、ふっと消えた。暗がりの中に動く影。
革ベストの連中がぬらりと現れ、鼻先に布を巻き、猫のように軽やかな足取りで石畳を進んでくる。
先頭の男――顎に点々と剃り残しの髭があり、笑みは自信と油断を混ぜていた。
「よォ“夜の売り子”。その籠、ちょいと味見させてくれや」
「夜食は配給制です。整理券をどうぞ」
「持ってねぇよ。だから力ずくで――」
言い切る前に、ガルドの指がわずかに動く。
男の手首が空を切り、そのまま人差し指と親指を“つままれた”形で固まる。肩から先がまるで止まってしまったようだ。
「……ぅお? 指が……塩つまみの角度で……動かねぇ……!」
「“つまみ止め”。摘むと、摘まれた側は反射で止まる」
リリィが呆れ気味に口を挟む。
「そんな名称、今作りましたよね?」
背後から後続が押し寄せてくる。
双短剣を持つ細身の女、でかい袋を背負った搬出係、腕っぷしの太い鈍器男。まるで厨房の――まな板、荷運び、肉槌。
リリィは一歩下がり、籠を石畳にドンと置く。
「では、夜の非殺傷コース、提供開始です。――《滑れ》」
足元の石畳が一瞬で水を含んだようにしっとりと変質。
突っ込んできた鈍器男が見事に前のめりに滑り、樽へ頭から突入。樽のフタがカコンと閉まる音と同時に、「ぼぼぼぼぼ」という困惑した音が反響する。
「一名、樽漬け」
「塩分は控えめで」
「そこまで管理できません!」
双短剣の女が霧を切り裂きながら斜めに切り込む。
ガルドは木箱の間を抜けるように身体を小さくまとめ、右の手首に“コツ”、左の肘に“トン”。
「……あ、痛くは、ない? でも、握れな……あれ? 短剣が……」
両の短剣が軽い音を立てて宙へ舞い、屋根の上に乗る。おやつ番が落ちた短剣を拾った。
「危ないから没収! 後でクッキー一枚あげる!」
「手を怪我しないようにな」
搬出係の大男が網袋を投げかけてくる。
リリィはその網を自分の籠へかぶせ、中身――砂で詰まった袋―を魔法で紐を固く結び、大男の足首に絡ませた。
自縄自縛で転がる大男。
「わ、わぁ、自分で自分を……!」
「自家製。安心安全」
「食品表示みたいな言い方」
残る二人のうち、細目の男は笛を咥えて仲間を呼ぼうとする。
「合図は、料理で言うと?」
「……“仕上げの合図”は、料理人の顔。笛はいらないぞ」
「真顔で名言みたいなのを産出するのやめてください」
笛にガルドのデコピンが飛び、金属音と共に笛は妙な音を出して折れた。
「音程、ずれてる」
「そりゃ折ったらそうなります」
素手の手練れが懐に踏み込み、掌底。
ガルドは箸置きのように手を重ねて衝撃を受け流し、膝を軽くコツン。膝が素直に石畳に“座る”。
「……今の、技名は」
「“お行儀よく座りましょう”」
「幼児の教育ですか」
戦いは一皿ずつ片付けられていくように終息し、誰も血を流さず、骨も折らず、気絶と拘束だけが残る。屋根の上の配達組が縄を垂らし、拘束された者を引き上げていく。
――と、最後尾で動く影。
煤けた顔の子供が、両腕に偽券束を抱えて樽の陰から飛び出した。
リリィが駆け出し、ガルドは一拍置いて歩く。
子供がつまずきかけたところへ、おやつ番が屋根から降りて襟をつかむ。
「危ない! 落っこちると、夜食に間に合わないよ!」
子供が戸惑いながら呟く。
「夜食……?」
「そう。働いたら食べられる。ね、姉さん――リリィさんが言ってた」
息を整えたリリィがしゃがみ込み、子供と目線を合わせる。
「誰かに、無理やりやらされてる?」
首を横に振る子供。「……お腹、減るから。やるしか、なくて」
短く考えた後、リリィは印章を取り出す。
「じゃあ、仕事を。この紙、落ちてた“偽物”を破いて“回収済み”にする係。報酬は、夜食と……明日の朝の残りパン」
「パン!」
「バターは“香り付け”程度」
「え?――うん!」
子供は偽券束を抱え直し、配達組に混ざった。
ガルドが隣で呟く。
「美食が、正義だ」
「だから名言ぽさを武器に、意味不明なこと堂々と言わないでください!!」
詰所長が駆けつけ、現場を見て安堵の息を吐く。
「……見事だ。血一滴、石畳に落ちてない。助かったよ」
詰所長の部下が報告する。
「夜食の搬入、時間どおり行けます」
詰所長は、ガルドの目をじっと見て言う。
「礼は、明朝の“市場定食”でどうだ?」
「受ける」
「腹からの返事が早い」
リリィは呆れ顔を隠せなかった。
荷車は無事広場へ入り、街はまた昼の笑いの仕込みを得る。
夜風の中、四人(+おやつ番+新入りの子)が並んで歩く。
「ところでガルドさん。非殺傷コース、今日の反省点は?」
「樽のフタ、改良。次は香りが逃げない構造に」
「料理の反省になってる!」
「あと、肩甲骨の調整――詰所長、では明朝に」
「お、おう」
宿への帰り道、夜気が頬を撫でる。
「……ねえガルドさん。こういう夜、好きですよ」
「腹が満ちて、誰も死なない夜」
「はい。あと、皮が“ちょっと多め”の夜」
「よい夜だ」
そして二人は夜食へ向かった。
樽から救出した蒸し鶏(皮は控えめ)、市場の余りパン(香り付けバター)、温かい白身スープ(七口まで)。
笑いは小さく、湯気はやさしく、食事は美味だった。




