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番外編・武闘祭ハラルヘリ 47. 第三話「優勝翌朝は胃袋筋トレと、屋根からの来訪者」

 翌朝。鐘の音が三つ。

 街全体が目を覚ますより一歩早く、柔らかい陽光が宿の窓辺を染める。昨夜の祭りの紙片がまだ通りの端に散っていて、夜の余韻が薄く漂っていた。


 リリィは窓を開け、ひやりとした朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら大きく伸びをした。藍黒に染めた髪を指で梳き、染め粉の感触を確かめる。鏡の前で前髪を整え、小声で呪文。


「《色、保って。艶は控えめ》……よし」


 背後で布の擦れる音。

 ベッドの端で座っていたガルドが、ふいっと鼻先を上げる。戦場でも使う仕草だが、今は血の匂いではなく香ばしい香りを嗅ぎ分けていた。


「……香ばしい匂い」

「朝市の炙りパンですね。ガルドさん、優勝の翌日は胃袋のクールダウンからですよ?」

「そうだな」

「......」


 宿を出れば、石畳の道はすでに賑やかだった。昨夜の熱気がまだ街の隅々に残り、屋台の人々が後片付けと新たな仕込みを同時にこなしている。鍋の蓋が鳴り、炭の弾ける音が通りを満たす。

 昨夜の総料理長アルヴェが、台車を押しながら笑顔で手を振った。香ばしい匂いが風に乗って二人の鼻先をくすぐる。


「おはよう、旅剣! 優勝者の胃袋を朝から甘やかしに来たよ」


「甘やかされる」

 ガルドが惚けたことを言う。

「はいダメです」

 リリィがすっと前に出て、紙束を掲げた。


「“優勝翌日の胃袋ケア・メニュー”(リリィ監修)。一、油少なめの白身スープ。二、焼きたてパンは端を軽く。三、甘味は小皿で――」

「三は守れるとは言っていない」

「読む前に交渉しない!」


 軽口の応酬に、周りの屋台の人々がくすりと笑う。

 そんな時、昨夜の“鳴砂のナハル”が通りの端から姿を見せた。

 頬を覆っていた布は外れ、素顔は年相応の青年のもの。両手に抱えた大荷物で肩が沈み、呼吸は少し荒い。


「旅剣。……いいところに――」

 ガルドはわずかに首を傾げる。

「なんだ?」

「村へ持っていく保存食。賞金の一部で、買えるだけ買った。けど……運ぶの、ひとりじゃキツい」

 言葉に混じる苦笑は、頼み慣れていない不器用さの表れだった。

 ガルドは何も言わず、片側の荷を軽々と担ぎ上げ、短く告げる。


「行くぞ」

「え、ちょ、今?」

「腹は道すがら満たす」

「い、いやそれ絶対満たしすぎるやつ!」


 結局――通りの屋台に寄り道しながら、港倉庫区の運送屋まで荷を運ぶことになった。蒸し籠の湯気が視界をぼやかし、炙った肉の香りが風と混ざる。乾いたハーブの香りが、行き交う人々の衣に淡く残っていた。

 リリィは“胃袋ケア表”を片手に、隣を歩くガルドを監督する。


「はい、スープは七口まで。パンは耳を二角。バターは“香り付け”程度」

「香りが付けば、味も付く」

「理屈は強いのに顔が子どもなんですよね、今」

 ナハルが肩を揺らして笑う。「……賑やかだな、君たち」


 倉庫で荷を降ろし、木枠の隙間に最後の包みを詰めた時――屋根の上から物音がした。

 リリィが眉を寄せ、髪の結い目を押さえる。


「ガルドさん」

「ああ」

 通りは一見いつも通りの賑わい。しかし、屋根の上で別の動きが生まれる。三方向からの気配、瓦の上を軽い足音が駆けた。


「来たな」

 降りてきたのは黒ずくめの三人組。顔は布で覆い、腰は軽装――だが手に持っているのは武器ではなく、木箱や包み袋だ。


「優勝おめでとうございます~~~!」

 三人が一斉に敬礼。

 リリィとナハルが同時に固まる。

 ガルドは首だけ傾け、短く問う。


「誰だ」

「“屋根裏配達ルーフランナー組合”と申します! 旅剣殿のファンでして! 今朝の“胃袋ケア”に合わせた街の名店ハシゴセットを――」

 地面に次々と置かれていく箱。

 アルヴェの焼き菓子、名物の果実氷、老舗の蒸し鶏、屋台の名スープ……色と香りが目と鼻を満たす。


「……これ、全部食べる気ですか」

「ケア」

「ケアじゃない!」


 三人の代表が顔を上げ、真顔になった。


「実はお願いが。祭りの裏で、偽の“優勝記念コース”が出回ってまして……腹を壊す人が続出。組合の名も汚れる。あなた様に“本物”を一口だけでも食べていただき、印をつけたい!」


 リリィが小声でガルドの袖を引く。「……これは乗っていい案件ですね」

「胃袋に正義」

「そう、それです」


 やがて即席の“試食会”が始まった。


 配達組は、提供元の屋台や店を順に呼び出し、ガルドは寡黙にひと口ずつ味を確かめ、短い言葉で返す。


「骨の火入れ、良い」「塩、半つまみ減らせば完璧」「皮は神」


「最後ポエムになってきましたね」


 リリィは魔法で削った“公式印”をペタリと押す。

《この店は胃袋が微笑みます》――その文字に、人々の顔が安堵で和らぎ、拍手が広がる。


 ……と、雑踏の陰で別の影が動いた。


 腰に鈴を巻いた小柄な影が、ガルドの肩掛け袋へ指を伸ばす。


 リリィの耳がピクリと揺れ、視線だけで合図。

 ガルドは顔も動かさず、袋の口を一寸ずらす。指先は空を掴み――


「うにゃっ」

 小さな悲鳴。

 その場が緊張する前に、リリィが前へ出てしゃがみ込んだ。


「こんにちは。声、かわいいですね」

 顔を上げたのは、猫目の少女。手には偽の“優勝記念コース”の券束。


「……ごめんなさい。お腹、空いて」

 リリィは柔らかく微笑み、手を差し出す。


「じゃあ、仕事しましょう。偽物の券、回収して。回収できた分だけ、配達組の“おやつ番”に推薦します」

「えっ、ほんとに?」

「うそは胃もたれのもとです」

 少女はぱっと笑い、頷いた。

 ガルドは紙袋から“皮多め”の小包をひとつ渡す。

「働け。食え」

「うん!」


 通りの喧騒が戻り、配達組は泣き笑いで頭を下げた。ナハルが肩をすくめる。


「……戦わず解決したな」


 リリィが真面目な顔をして返事を返す

「戦ってますよ。ガルドさんの胃袋と」


 ナハルが少し顔を引きつらして呟く。

「それは君だけでは」


 午後、表彰台の脇で“エキシビション”の告知が掲げられた。優勝者VS市警の模範隊――例年は軽い組手で終わる余興だ。

 リリィが立て看板を見て、袖を引く。


「ガルドさん。出ましょう」

「胃袋のクールダウンは」

「ほら、あの模範隊の隊長さん、肩の内旋が固い。放っておくと将来、スープが持てない肩になります」

「それは良くない」

「ですよね」


 広場中央、模範隊の掛け声が響く。

 ガルドは軽装のまま、木剣すら持たず輪の中へ。

 隊長は厳めしい顔で一礼。


「市民の前だ。安全第一で」

「同意」


 始まったのは組手ではなく“整体ショー”だった。隊員の突きを受けず、肩を“コツ”、腰を“トン”、足首を“くる”。倒れず、痛みもない――それでいて体の動きだけが良くなる。


「う、あれ? 腕、軽い……」

「膝が、鳴らない」

「隊長! 肩! 上がります!」

 観客から笑いと拍手があふれる。「優勝者、医者だった?」「なんの祭りだっけこれ」


 締めは隊長との一対一。一本取らせてから観客席へ“どや顔”を向けさせ、最後は肩甲骨の下への軽いタッチで一本。

 隊長は満面の笑みで礼を返し、マイクを握った。


「本日の教訓! 日々の鍛錬と、適切な“皮”!」

「最後どこから来たスローガンですか」リリィが顔を覆う。


 夕刻、陽が傾きはじめる。

 屋根の上から、また“ひと笛”。今度は配達組ではない。乾いて短い、訓練された音。

 ガルドとリリィは無言で目を合わせ、歩く方向を変えた。


「仕事、します?」

「おやつは持った」

「準備万端ですね――はぁ」


 角を曲がると、屋根から影がひとつ滑り降りた。

 市の“衛兵詰所長”が帽子を片手に直立している。


「旅の二人。昨夜、屋根からの笛に気づいたろう。あれは――盗賊の合図だ」

「合図?」

「そうだ――――衛兵や観客の中で、お前らの正体に勘づいた奴らは”居る”。だが“今だけは”誰も口にしない。街は祭りだ。英雄譚は酒のつまみにはするが、通報はしない。……代わりに一つだけ、頼みがある」


 詰所長の表情に、少しだけ困惑が混じる。

「今日の深夜、食材の大搬入がある。輸送路を狙う盗っ人崩れがいる。血は流さず、まとめて“気絶”させてくれないか」

 リリィがほっと笑って、ガルドの肘を軽くつつく。


「非殺傷、ガルドさんの得意分野」

「胃袋の準備は」

「夜食なら持っていきます。皮サンド」

「行く」


 祭りの夜は、まだ続く。

 笑いながら、食べながら、少しだけ働いて――また食べる。

 

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