番外編・武闘祭ハラルヘリ 46. 第二話「煙たい拳と、決勝戦」
午後の太鼓がドンドコ景気よく鳴り、観客席の串焼きは二周目に突入していた。
脂の滴る音と歓声が混ざり、空気は少しだけ煙たい。
トーナメント表の中央、次に呼ばれた名前にざわめきが走る。
観客の視線が一点に集束する瞬間、空気が重くなる。
「“火吹き拳のオズマ”だってよ!」「手から煙が出るやつ!」「あれ反則じゃないの?」
「燃やしはしない! 煙いだけ!」と係員の必死の声もセットで聞こえる。
声に笑いが起きる。祭りは、少し“危ない”方が盛り上がる。
控え区画。ガルドが軽く肩を回し、革手袋の紐を締める。
皮の擦れる音が小さく鳴る。呼吸は浅くも深くもなく、最も“うまい”ところ。
リリィは藍黒に染めた髪を低い位置でまとめ直し、ふっと息をついた。
頬の熱を指先で払う。客席で騒ぐだけでも、相応に熱を食う。
「ガルドさん、煙吸いすぎないように。咳き込むと“渋い”が“オジサン”になります」
「渋みは火入れで決まる」
「料理で返すのやめて」
声音はあくまで軽い。けれど瞳は真面目だ。安全第一。
入場の角太鼓。
砂を撒いた舞台に、オズマが跳び出す。裸足、手に白い松脂。拳を擦り合わせると、たちまち“モワッ”と白煙が立った。観客が「おお~」と沸く。
彼の足裏の皮は厚く、砂の温度を物ともしていない。
「いくぜ旅剣! 今日はいい煙、上がってんだ!」
「安全管理上、燃やすなよ」審判が念押しする。
「わかってるって!」
掛け声の輪郭が明るい。悪意はない。派手好きなだけだ。
対峙したとき、ガルドは鼻を一度だけ鳴らした。
匂いを読む。松脂と柑橘、少しの樟脳……掌の滑りを調整する配合だ。やるな、と目で褒めた。
審判の手が落ちる。
砂の上で最初の足音が弾ける。
「はじめ!」
ドッ、とオズマが踏み込む。
煙のヴェールの向こうから、左右の拳がリズムよく振り子のように迫る。
視界が濁る分、耳と皮膚で読む必要がある。ガルドは半歩、半歩。受けない、当てない、ただ“ずらす”。肩で、肘で、空気の流れごと。
「おらッ!」拳が頬を掠め――ない。
風だけが通り過ぎ、煙がふわりと裂ける。
「なんだよ、その“ひらり”! 踊ってんのか!?」
「踊りは胃袋に良い」
「会話ぜんぶ腹に落ちるタイプか!」
場内に笑いが起き、緊張が少しほどける。
オズマの拳が一瞬だけ止まる。
呼吸の間。そこに、ガルドの右手が前に“そっと”伸びた。
柄頭でオズマの肩甲骨の際を“コツン”。
筋肉の走りが一瞬違う方向へ曲げられ、力の通る道がズレる。
「う、うぉ?」
観客がざわつく。「今の何!?」「触れただけやん!?」
驚きと笑いが入り混じる。祭りは、理不尽に見える技に歓声を上げる。
オズマは歯を見せ、ニカッと笑った。
拳の煙が夕日に薄く透ける。
「いいじゃねえか……! もう一服、いくぜ!」
再び掌を擦る――煙が濃い。
今度はフェイントの嵐。正面から叩き割るふりをして、肘、前蹴り、裏拳。
ガルドは前に出た。煙幕に自ら入り、胸の前で一拍。
煙の粒がまつげに触れ、視界の粒度が荒くなる。
「……」
オズマの眉が跳ねる。「見えねえだろ? だったら――」
言葉の途中で、視界が“すっと”晴れた。
見晴らしが良くなったのではない。オズマの上体が“そっと”傾いて、煙の層から顔が出たのだ。
足の置き場を一寸ずらされ、重心が自ら姿を見せる。
「なっ」
ガルドの左足が、オズマの踵を“撫でる”。ただそれだけで、体重の落ち方が片寄る。
右手で胸骨の前を“トン”。崩れる角度を作る。
ドサリ、と背中がついた瞬間、バッサと上がる審判の旗。
「一本!」
「うそだろおい!」「優しいのにえぐい技」
オズマは一拍、天を仰いだあと、拳をコツンと自分の額に当てた。
潔い負け方に、観客が手を打つ。
「負けだ。次、飯奢らせろよ」
「承知した」ガルドが短く頷く。
握手した手は、松脂でべたべたしていた。
「……お前、手洗え」
「すまん」
二人の笑いが、煙を少し薄めた。
勝利コールの後、観客席の端っこでリリィが立ち上がる――と、背後から声を掛けられる。
周囲の視線が少し彼女に集まった。リリィの白い首筋は、染め粉の色が汗で少し浮いている。
「ねえお嬢さん、さっきから見て思ったんだけど、あの男、どっかで……」
振り向くと、賭け屋の親父がぬうっと顔を寄せていた。
唇の端に噂話の癖が見える顔。
「“黒鎧の――”」
リリィは笑顔のまま、親父の袖口にこっそり指先を当てる。
指先が肌に触れた瞬間、空気が静かに沈む。
「《ちょっと眠って》」
「ふごっ」
親父はその場でコテンと座り込んだ。
周囲の客が「飲みすぎだろ」と肩をすくめ、誰も気にしない。
リリィはほっと息を吐き、髪の結い目を直した。
首筋に沿って汗が一筋、顎の先で消える。
「危ない危ない……汗で染め粉が……」
すっと祈るように掌をかざし、髪に微量の水気を戻す。《質感、保って》。
「よし」
小さな自己満足が、瞳に一瞬ひかる。
準決勝。
相手は“ぬめりのサラサ”。猫背の長身、手足がやたら柔らかい。
柔術系、絡みついてくるタイプ――リリィは観客席でメモを取り始める。
出場前の準備を整えているガルドが突っ込む。
木陰の涼しさが、汗をひとつ冷やす。
「何の資料だ」
「“ガルドさんの普段みせない動き図鑑”」
「やめろ」
短い突っ込み。だが口元は笑っている。
舞台に出るガルド。
舞台の上で靴底が一度だけ音を立て、すぐ消える。無駄がない。
ゴング。
サラサは最初から距離を詰め、襟もないガルドの軽装の胸元を“とろん”と掴みにいく。
掌の湿り気が、絡むための準備を物語る。
ガルドの肩がふっと落ちる――捕まえどころが消える。
逆にサラサの手首と肘の“間”を、指の腹でそっと撫でた。
重心の置き場を、一寸だけ“迷子”にする。
「え、ちょ、あれ……?」
「相手の肘を返すときは、パンをそっと掴むように――」
ガルドが囁く。
「ふざけたことは、言わせません!」
サラサは粘る。足で、腰で、絡んで、落として、丸め込む。
汗が砂を湿し、足跡が濃くなる。
ガルドは受けを嫌わず、しかし決して決めさせない。
組みの最中、観客席から嬌声。
「背中!」男たちの声
「筋肉!」女性たちの声援
観客席で、リリィが膝を指でトントン叩く。
「あ、ガルドさんそこ、見ない!」
やがて、サラサが最後の畳み掛けに来た。
内側から足を絡め、体を反らせる。豪快な捻り投げ――
ガルドはその“前”、サラサの後頭部の一寸手前、空間を叩いた。
空気が“パンッ!”と鳴る。反射的に人は音へ目をやる。
視線がずれるだけで、首の筋がゆるむ。
その瞬間だけ、肩口を“軽く”押す。
コロン。
舞台の砂の上で、きれいに転がる音がした。
「一本!」
「え、今の音なに!?」
「空気、叩いてましたよね!?」
リリィは膝に顔を伏せ、「ガルドさん、たまに“悪戯っ子”」と小声で笑った。
決勝前の休憩。
陽が傾き、会場の紙灯籠に火が入る。
風が熱を運び去り、代わりに香ばしい煙を連れてくる。
控え幕の裏、ガルドが水袋を飲んでいると、声が掛かった。
影からすっと現れた男は、足音が驚くほど軽い。
「旅剣」
現れたのは、準決勝の別ブロックを勝ち上がった男。
痩せているが芯の通った立ち姿、顔の下半分を布で覆った仮面――名前は“鳴砂のナハル”。音を殺す足運びが売りだという。
「……強い。お前、強いな」
「…そうか」
短い会話に、相手を測る視線が交差する。敵意はない。
「ひとつ頼みがある。全力で来い。俺も“喰うため”に闘ってる」
リリィが首を傾げる。「喰う?」
「賞金だ。村に、食える畑がもうない――しかし、情けをかけられては武闘家として名折れ、俺の想いを知ったうえで全力で戦ってくれ!!」
言葉は乾いているのに、そこに湿り気と熱意があった。
ガルドは頷き、同じだけ真剣に言葉を返す。
「準優勝でも賞金出るぞ?」
「え、あ、そうなのか……」
二人の視線が短く絡み、すぐほどけた。
リリィは「今の流れ何だったんだ」と思ったが、二人が純粋に戦えるなら良いかっと納得した。
決勝。
太鼓に笛、紙吹雪。観客席は最高潮。
紙片が光を反射し、空に小さな白い魚の群れが泳ぐみたいに舞った。
リリィは両手を口に添えて叫ぶ。「ガルドさーん! 勝ってくださいー!」
声は少し裏返る。自分でも驚くくらい必死だ。
別の観客も負けじと叫ぶ。
「ナハル――勝てぇええ!!」
応援の熱が交差し、土俵の上に高く柱のように立つ。
ナハルの初動は、静かだった。
音がない。砂を踏む谷風のように、近づいて、離れて、消える。
彼の呼吸は短く、無駄がない。
ガルドは、自身の呼吸だけを聞く。吸って、吐く。心拍が整う速度を、料理の湯温に見立てて。
湯が騒がない温度――そこが、彼の“強さの沸点”だ。
「…行くぞ」
ナハルが地面を滑り、懐に入った。
肘。膝。掌底。硬い音がしない。全部“押し付ける”打撃。崩しに特化している。
ガルドは一打も“叩き返さない”。
肩を貸し、肘で受け、角度を流す。
二人の足元に描かれる“八の字”が、徐々に小さくなる。
観客は息を止め、音が消え、ただ砂の擦れる微かな気配だけが残る。
やがて、ナハルの呼吸が浅くなった一瞬――
「今だ」
ガルドの右手の“影”が伸びた。
影――照明の角度を利用した、視覚の欺き。
影の手が奥へ届いたと脳が錯覚した瞬間、現実の手は“手前”で手首を包む。
左足で踵を“撫で”、肩で“押す”。
ナハルは支えを失ったように膝をつき、土に手をついた。
砂が指の間からこぼれ、時間が戻る。
静寂。
次の拍、歓声が爆発した。
太鼓が追いかけるように連打を響かせる。
「決まり!」審判が両手を上げる。
「優勝――“旅剣のガルド”!」
紙吹雪が舞い、笛が鳴り、太鼓が跳ねる。
ガルドはナハルの肩を抱き起こし、短く言った。
「お前は強かった、だが俺のほうが上手だったな」
「……あっさり負けちまった。でも、準優勝の賞金でも十分喰える。次は勝つ」
「待ってる」
握手が、男たちの約束になる。短い未来が一本の糸で結ばれた。
観客席から、リリィが全力で手を振る。
染め粉の藍が夕陽にきらめいて、ほんの少しだけ白がのぞいた。
ガルドは目線だけで「後で直せ」と伝え、リリィも目線だけで「わかりました」と返す――二人だけのやり取り。
そして夜。
優勝者のための長いテーブル。
白い布の上に置かれた銀器が火を映し、窓の外では焚き火の赤が静かに揺れる。
総料理長・金狐のアルヴェが、腕を組んで立っていた。
金色の髭、狐のような目尻。皿の上には、芸術が並ぶ。
「よく来たね、旅剣の君。それと同伴の嬢ちゃん。約束通り、胃袋に芸術を」
「胃袋に文化を」ガルドが返す。
料理人と食べ手の合言葉が、音をそろえた。
「味のわかる客は嬉しいね。まずは前菜――“灰の塩で締めた白身、焦がし皮の音を添えて”」
皿が置かれる音が、楽器のように澄む。
リリィが横で小さくガッツポーズ。「皮!」
フォークが触れるたび、皮が“ぱりっ”と歌う。
ガルドはひと口食べて、目を細めた。
「……完璧だ」
言葉は短いが、音程が違う。心の底から出た温度だ。
「よかった。今日だけは、戦わないで、食べましょう」
「ああ」
炎の赤が、二人の頬にやわらかく映る。
そのとき、遠くの屋根の上で、誰かがひと笛。
祭りの合図ではない。短く、鋭く、獣を追う笛。
ガルドとリリィは目だけで合図を交わし――
「……明日でもいいか」
ガルドの声が、今だけは柔らかい方を選ぶ。
「そうですね。今日は、食べる日」
「皮をよこせ」
「どうぞ」
二人の笑いが、湯気の向こうでほどけた。
胃袋から始まった優勝の夜は、胃袋の幸せで終わった。
明日の“仕事”は明日。
今だけは、よく食べ、笑って眠ろう。二人で。




