ノル村編 44. いつか、誰かに心から“ありがとう”って言われるような。
◆
――終わった。
それは、風の音が戻ってきたことでわかった。
あれほど響いていた怒声や剣戟の音が消え、ただ、静寂と、血の匂いと、どこか焦げ臭い空気だけが残っていた。
僕は、砦の裏手――砕けた石壁の隙間から、そっと顔を出す。
目に映ったのは、瓦礫と血で染まった地面。そして、その中心に立つ、黒い鎧の騎士の姿だった。
動かなくなった盗賊たちが、そこかしこに転がっている。
脅してきた片目の大男も、村人に暴力を振るっていた目つきの悪いの男も――もう、いない。
その異様な光景に、僕は震えながらも、声を上げてしまった。
「……すごい……」
言葉が漏れた。
本当に、たったふたりで、全部倒したんだ。
最初は、幻でも見ているのかと思った。
でも――二人は、黒鎧の男と白髪の少女は来てくれた。
そして、間に合った。助けてくれた。
「……そうだ……!」
我に返って、僕とミナは砦の奥へと走った。
あの女の子たちが捕まっていた小屋へ。
扉は砕かれ、鉄の檻も壊れている。
その中で、震えていた少女たちが、こちらに気づいて顔を上げ、恐る恐る周りを見渡し、そして涙する。皆んな助かったんだ。
僕はミナを近くに寄せる。
「……お兄、ちゃん……?」
僕は何も言えなかった。
涙を流しながら、その小さな身体を抱きしめた。
「ごめん、ごめんな……うっ……」
ミナは何も言わずに、僕の背中に腕を回した。
どれだけ怖かったか、どれだけ不安だったか。
その細い手の震えが、すべてを物語っていた。
――僕は、何もできなかった。
あの時、砦に一人で忍び込んでも、ただ怖くて、震えて、何もできなかった。
でも――
「……ありがとう……ありがとう……!」
遠くで、黒い鎧の男が砦を見上げていた。
黙って、何も語らず、ただ静かに、剣を鞘に収めている。
その隣にいる、白髪の少女――も、どこか寂しそうに、けれど優しい目でこちらを見ていた。
僕は、彼らの背中に向かって叫んだ。
「ありがとう! 本当に、ありがとう!!」
僕のこんな言葉は、二人は求めてないのかも知れない。
でも、それでも、僕は叫ばずにはいられなかった。
命を、村を、妹を救ってくれた彼らに。
あのふたりは、英雄だった。
伝説の中の騎士のように、現れて、すべてを終わらせてくれた。
忘れない。絶対に、忘れない。
あの夜の静けさと、星空の下で見た、ふたりの影を――
その夜――
僕たちは砦を離れ、村へと戻った。
盗賊のいない山道は、驚くほど静かだった。
いつもは不気味だった木々のざわめきも、今日はどこか優しく聞こえた。
村に戻ったとき、みんなは声も出なかった。
だって、信じられないだろう。
あの山賊の砦が壊滅して、捕まっていた子たちが、全員無事に戻ってきたなんて。
でも、それは現実だった。
倒れたまま戻らなかった村の男たちのことを思えば、素直に喜ぶことはできなかったけど……
それでも、ミナが帰ってきたことだけは、何よりの救いだった。
朝になっても、誰も眠らなかった。
ミナは、おばさんに抱きしめられて泣き続けていたし、僕も村の端で、ずっと空を見上げていた。
そして、朝焼けの中――あのふたりは、村の真ん中に立っていた。
ガルドさんと、リリィさん。
何も言わず、ただ静かに、村人たちの方を見ていた。
すぐにお礼を言おうとした人もいたけど、ガルドさんはその前に、ゆっくりと頭を下げた。
「……遅くなった」
その一言だけだった。
でも、村の誰もが分かっていた。
本当なら、誰も助からなかったかもしれない状況だった。
命が、ただの“品物”みたいに奪われていく――そんな未来を、ふたりが壊してくれたのだ。
「ありがとう……本当に……!」
殺された村長の代理をしていたお爺さんが、そう言った。
誰もが皆、感謝の言葉を発した。ミナも、泣きながらお礼を言っていた。
でも、ふたりは多くを語らなかった。
リリィさんが、静かに微笑んで、僕に手を振ってくれた。
「……さようなら――妹さんとこれからも仲良くね――」
言いたかった。僕も何か、言葉を返したかった。
でも、なぜか声が出なかった。
胸がいっぱいで、うまく息すらできなかったんだ。
ガルドさんは、ゆっくりと歩き出した。
リリィさんがその隣に並ぶ。
ふたりの背中が、村の外れの坂道を登っていく。
誰も、引き留めようとはしなかった。
あの背中には、“英雄”の重みがあったから。
僕は、いつまでも見送っていた。
――僕も、強くならなきゃ。
そう、心の奥で誓っていた。
あのふたりのように、誰かを守れる人になりたい。
いつか、誰かに心から“ありがとう”って言われるような。




