ノル村編 42. まるで、夜の闇に沈む――希望そのもののように。
◆
僕は、瓦礫の影に隠れていた。
震える膝を押さえ込んで、動かないよう必死だった。指の先が冷たい。息を吸えば、喉の奥が焼けつくように痛んだ。爆音はもう三度目だ。耳の奥で、いつまでも響いている。
でも、目は……逸らせなかった。
目の前で、何かが起きていた。
白い霧が吹き込んだ砦の廊下で、黒い鎧の男が、斧を持った男と対峙していた。
いや、“戦っていた”なんて言葉じゃ足りない。
……まるで、嵐みたいだった。
斧が振り下ろされる。振動が石床を割った。
でも、その重さを感じさせる前に、黒鎧の男――ガルド、という名前だったか――が姿を消す。
「どこだ……!? ッ……ぐぅ!」
斧の男が呻いた。
気づいたときには、肩から血が吹き出していた。
いつ、どうやって剣が入ったのか、僕にはわからなかった。
次の瞬間にはもう、別の男が喉を裂かれ、壁に叩きつけられていた。
「……うそだろ……」
思わず、声が漏れた。
こんなの、見たことない。
剣を持ってるってだけで、自分の村の男たちと同じだと思ってた。
でも違う。あれは……同じ“人”じゃない。
人と魔物の間。いや、もっと強い。恐ろしくて、でも――目が離せなかった。
「霧の中は、わたしのほうが速いですから」
今度は少女の声。
霧の向こう、髪の白い少女が、小柄な体で敵のあいだを舞うように走っていた。
彼女の周囲だけ、時間が違うみたいだった。
槍を構えた男の手首が、魔力の光に貫かれる。
叫び声が上がる前に、その足元に何かが出現し、爆ぜた。
「《崩れなさい》!」
魔法。詠唱。よくわからない言葉。でも、確かに力があった。
岩壁が崩れ、通路を塞ぐ。敵の視界が奪われる。
その隙に少女は駆け抜け、別の敵の喉を、軽やかに――でも、正確に――突いた。
殺すことを、怖がっていない。
ただ静かに、敵を“止めて”いる。
(……この人たちは、いったい……?)
砦の廊下が、叫びと斬撃と魔力の光で満たされていく。
怖かった。
でも、その倍以上――僕は、見惚れていた。
妹を奪った奴らが、ひとり、またひとりと倒れていく。
逃げていた心に、何かが、戻ってきた気がした。
――希望、って言うのかな。
たぶん、僕が初めてこの数日で、ちゃんと息をした瞬間だった。
涙が出そうだった。
悔しくて、情けなくて、それでも――
「ミナ……っ」
呟いた声が、霧に溶けて消えた。
何人目だろう。
またひとり、あの黒鎧の男が突き倒した。呻き声が短く響き、すぐ静かになる。
その隣で、白髪の少女が霧を引き連れながら、回避と反撃を繰り返していた。
誰も、あの二人には触れられない。
罠も、待ち伏せも、罵声も、何の意味もないまま、ただ次々と“倒されて”いく。
やがて、砦の中が不気味な静けさに包まれた。叫び声も、金属の打ち合う音も止まった。
霧が薄れ、崩れた壁の隙間から、月明かりが射し込んできた。
僕は、瓦礫の影からゆっくり立ち上がる。
脚はまだ震えていたけど、それでも――進みたかった。
「……終わった、のか?」
誰にともなく呟いたその声に、返事はなかった。
でも、足音が近づいてくる。
ガルドだった。血に濡れた剣を納め、無言のままこちらに視線を向けた。
目が合う。
怒ってる? それとも呆れてる? ――違った。
そこには、ただ静かな、まっすぐな光があった。
「……他の娘達はどこだ?」
僕はすぐに頷いて、砦の奥を指さした。
「牢屋がある……はずです。残りは、砦の広場の小屋に、村娘達が――そこには僕の妹は居なかった...!」
「牢屋を探す、ついてこい」
その言葉に、思わず足がすくみそうになった。
でも、今は――逃げたくなかった。
「……わか、わかりました!」
僕は黒鎧の男と妹と似た髪色の少女の後を着いて行きながら、砦の奥へ走った。
息が切れる。足音が響く。どこかで誰かがまだ潜んでるんじゃないかと、心臓が早鐘のように鳴った。
けど――
牢屋の扉の前に着いたとき、僕の手は震えながらも、格子に手を伸ばしていた。
「ミナ! ミナ、いるか!?」
中から、かすかな声が返ってくる。
「……にい……ちゃん……?」
ミナだ。
白髪の少女が魔法で鍵を外し、扉を引いた。
中には、ぐったりとした妹がいた。
手首は縄で縛られていたけど、顔には傷はなく、目には涙が浮かんでいた。
「ミナ!」
飛び込むように抱きしめた。
泣いてたのはミナじゃない。僕の方だった。
「遅くなって、ごめん……ごめん……!」
何度も何度も呟いた。
後ろで、白髪の少女がそっと近づいて縄を解いてくれた。
「……よかった、無事で」
その声に、また胸が熱くなった。
黒鎧の男は何も言わず、入り口のほうを睨みながら剣に手をかけていた。
そのときだった。
――ドドドドッ!
砦の外から、馬の蹄と怒声のような音が響いた。
リリィが顔を上げる。
「……来ます。この砦の主力かも。砦の外にいた連中です」
「残党が戻ってきたか」
ガルドが即座に反応し、剣を抜く。
その気配に、ミナがびくっと震えた。
「ミナ、後ろに下がって。すぐに帰れるからね」
そう言いながら僕は、妹をかばうように立った。
「黒い鎧の騎士さん、魔女さん……!」
唇が震えた。
でも、どうしても言いたかった。
「ありがとう……ほんとうに、ありがとう!」
ふたりは振り返らなかった。
ただそれぞれ、武器を手に取り、砦の外に向かって歩き出す。
まるで、夜の闇に沈む――希望そのもののように。




