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ノル村編 40.「……その位置、見えてますよ」

 ◆


 少年は盗賊の一人に腕を掴まれ、ずるずると引きずられていく。


 手から滑り落ちた、刃こぼれだらけの斧が地面に落ちて、カランっと乾いた音だけ立てた……。


 少しの間だけ、周囲が静まり返った――冷たく深く。

 そして、光る粒が撒き散らされている夜空に、爛々と光る星が一つ、二つと流れた。


 ――そののち、盗賊たちの下品な笑い声が再びこだまする。


 そんな時だった。


 ――遠く、森の木々が、風もないのに揺れた。


 ざわ……と草木が鳴り、地面が低く唸ったような感覚。


 何かが、こちらに向かってきていた。


 人間とは思えない、冷たい殺気。


 山の斜面から、黒い影が降りてくる。


 それが、“地獄”の始まりだとは、まだ知らなかった。


 盗賊たちの焚き火の前、笑い声が響いていた。


 「はっは! あのガキども、すぐに泣き出してよ。なんて顔してたか……」


 「村からの物資も届いたし、次はどうする? 女はまとめて隣村にでも売るか?」


 「次の見せしめには……白い髪の嬢ちゃんだな。ああいう顔の女は、使い道が色々とあるぜ」


 下卑た笑いとともに、どす黒い欲望が言葉として吐き出される。


 それが、最後の“日常”だった。


 ――風が、止んだ。


 ひゅう、と。何かが風を切る音が一つ。

 次の瞬間、見張り台の上にいた斥候の首が、胴から滑り落ちた。


 血飛沫も、悲鳴もない。ただ“死”だけが、静かに落ちていた。


 「な、なんだ……?」


 「見張りの奴が……え、え? 上……?」


 慌てて空を見上げた盗賊のひとりが、絶句した。


 ――黒い影が、降ってきたのだ。


 岩肌を蹴り、真上から斬りつけるように。


 「……」


 黒い鎧の男は、重装の鎧に血を飛ばしながら地面に着地した。


 その姿はまるで、夜の帳から生まれた殺戮者のようだった。


 「なんだ!? 何者だあいつは――!」


 「黒…鎧……!? あいつ、まさか、あの……!?」


 動揺が広がった。だが、もう遅かった。


 「≪断ち切れ≫」


 今度は別の方向――霧の奥から、透明な魔力の波が放たれた。


 白い髪を揺らした少女が、手をかざし、詠唱と同時に“杭”を地へと放つ。


 突如現れた霧が視界を奪い、足元の罠が軋みを上げて起動する前に、魔法の杭が地面ごと封じていた。


 「な、何も見えねぇ――うあっ!?」


 霧の中から、一人、また一人と倒れていく。

 悲鳴すら許されないほどに速く、確実な一撃。


 「う、撃てぇ! クロスボウを使えぇ!」


 盗賊の隊長格が叫ぶも、それは虚しい反応だった。

 矢が霧の中をすり抜け、どこにも当たらずに消えていく。


 「……その位置、見えてますよ」


 白髪の少女が小声で囁き、次の瞬間には相手の背後を取っていた。


 剣が閃き、音もなく二人が崩れる。


 一方、黒鎧の男は正面から突撃していた。


 真正面から。包囲の中心を貫くように。


 「うおおおっ……!」


 叫びながら突っ込んできた斧兵の攻撃を、黒鎧の男は軽く弾いた。


 「浅い」

 その一言と同時に、ショートソードが喉元を裂いた。


 続けざま、二人目が槍を構えて突き出す。

 黒鎧の男は体を捻り、槍を避けながら、ツバイヘンダーで肩から胴へと斬り伏せる。


 返す刃で三人目の足を断ち、膝をつかせたところへ頭部を一撃。


 「な、なにが起きてやがる……あ、あんな奴、聞いてねぇ!」


 恐慌状態に陥った盗賊たちは、もはや指揮も統率も失っていた。


 「化け物だ……あの二人……!」


 「なんで、こんな奴らが……!」


 砦は、もはや戦場ではなく、処刑場だった。


 ◆


 僕は、壊れかけた棚の陰で、膝を抱えていた。


 暗い。冷たい。臭い。

 腐った肉と、獣の毛皮と、人間の汗と、何かが焼け焦げたような匂いが鼻にこびりついて離れない。


 さっきから、声がする。

 誰かが、叫んでる。女の子の声だ。

 ミナの声じゃない。違う誰か。でも、それでも胸が苦しい。

 僕は……捕まったんだ。


 盗賊のひとりが、僕のすぐ近くで笑っていた。

 鼻が潰れたような顔をして、歯が何本か欠けていた。


 「こんなガキ捕まえたのか? こんなもん連れてきてどうするんだよ。金になんのかよ」

 「いいから黙ってろ。男のガキだろうが、顔がよけりゃ高く売れる」


 吐き気がした。心が何度も崩れていった。

 情けなくて、悔しくて、怖くて――でも、立てなかった。


 そのときだった。


 「何だ……?」


 誰かが言った。


 ドン、と地面が揺れるような音がした。


 続けて、壁の向こうから、鈍い衝撃音が何度も響いた。


 「なんだあれ……誰か来てんのか?」


 ざわつく声。足音。武器を構える音。


 「見てこい!」


 怒鳴り声。


 その直後――


 バァンッ!


 扉が吹き飛んだ。


 何が起きたのか、僕にはわからなかった。

 ただ、目の前にいた盗賊が、何かにぶつかって吹き飛んだのは見えた。


 鉄の塊のような何かが、暗がりの中から歩いてきた。


 最初は人間だとすら思えなかった。

 だって、真っ黒な鎧を着て、頭から爪先まで鉄に包まれていたから。


 「魔物だ……! 化け物が来たぞ!」


 盗賊の誰かが叫んだ。


 でも、違った。

 その鎧の後ろから、白い髪の、小さな女の人が現れたんだ。


 月明かりのような髪。透き通ったような顔。

 けれど、その目は冷たく光っていた。


 彼女が、何かを呟いた。


 「《縛れ》」


 その瞬間、盗賊の一人の足元から鎖のような魔法が噴き出し、足を絡めとった。


 動けなくなった男に、黒い騎士が近づいた。


 ゆっくりと、大きな剣を振り上げて――


 ドシャッ。


 音だけで、全てが理解できた。


 「あいつら、何者だ……!」


 盗賊たちが怯えた声を上げた。


 黒い騎士――男は無言だった。ただ、確実に、一人ひとりを斬っていった。


 太刀筋は重く、速く、止まらない。


 やがて、白い髪の少女が霧を呼んだ。

 砦の中が、白く霞んでいく。


 「《視界を奪って》」


 霧の中で、悲鳴がいくつもあがった。


 姿が見えない。なのに、声だけが近づいてくる。


 まるで、幻のようだった。


 霧の向こうで、影が動いた。


 剣を振るう音。誰かが倒れる音。重い鎧の足音。


 そして……


 「……大丈夫か?」


 その声は、僕に向けられていた。


 気づけば、目の前にいた。


 黒鎧の騎士が、僕の目の前にいた。


 僕は、声が出せなかった。


 ただ、こくりと頷くと、騎士は頷き返し、再び霧の中へと戻っていった。


 ――何者なんだ、あの人たちは。


 ――どうして、こんな場所に。


 わからない。でも、確かに思った。


 「神様、って……いるのかもしれない」


  心の底から、そう思った。



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