商会都市編 34.「いいじゃないですか。次の街で少し安く宿に泊まれるかもしれませんよ」
翌朝。
事件から一夜明けた街は、まるで何事もなかったかのように目覚めていた。
だが、表層の平穏の下、深く静かな変化があった。
噂は、すぐに広がった。
“黒鎧の騎士”と“白髪の魔女”が、地下で蠢いていた儀式を断ち切り、呪いに囚われた子どもを救った――
その話は、広場の噴水前、鍛冶屋の裏路地、食堂の片隅、そしてギルドの酒場で囁かれていた。
「見たんだ。あの女の子が、手ぇ翳すだけで毒を抜いたって……」
「魔女ってのは、やっぱり怖えけど……違ぇな、あの子は」
「ガルド? あの騎士だろ。全身鎧の、目の奥が死人みてぇなやつ……だが、剣の速さは化け物だった」
「……あんなやつが旅してんだ。誰かに狙われてんじゃねえのか?」
「おい、それ以上はやめとけ。聞こえると“消される”ぞ」
口調は軽くても、その内容には確かな畏怖があった。
商会都市組合の本部では、管理官が机を叩いていた。
「廃倉庫で魔物の死骸と儀式痕……加えて、魔素に冒された子ども…多数の死体と行方不明者…これは立派な“魔災案件”だ。都市防衛庁に報告を上げるぞ」
「ですが、処理は……」
「すでに完了している。例の二人によってな」
部下がそっと囁く。
「……やつらに対する報酬は?」
管理官は口元をしかめた。
「“感謝だけで十分”だとさ。……あの騎士と魔女は、信用ならんほど無欲だ」
「二人の指名手配の解除と商会都市管理の関所の通行許可を申請しておけ......これで、貸し借り無しだ」
報告書に目を通し終えた管理官は、背もたれに身を預け、静かに息を吐いた。
昼前。
ガルドとリリィは、賑わう市場の外れ、寂れた馬留め場に立っていた。
「行くんですね?」
声をかけたのは、診療所の老医師だった。
「もう一泊くらい、していってもいいだろうに。お前さんらが休んでいる間に、街の連中はずいぶん礼の品を揃えたんだぞ」
「……ありがたいが、受け取ってばかりじゃ、足が鈍る」
ガルドが静かに言うと、医師は苦笑する。
「堅いな。ま、そういうとこも“騎士”らしいってことかね」
「……あの子の容態は?」
リリィが尋ねると、医師は満足そうに頷いた。
「ああ、目を覚ましてた。しっかり飯も食って、母親の膝で寝てる。……あの子は、すっかり健康だ。あんたらのおかげだよ」
リリィはそれ以上、何も言わずに一礼した。
馬車の荷台に手をかけたとき、ふと、背後から声がした。
「“黒鎧の騎士”と“白髪の魔女”――」
声をかけてきたのは、痩せた少年だった。まだ十五にもならないような年齢。あの子の兄だった。
「……ありがとう」
それだけを言って、彼はすぐに人混みに紛れた。
ガルドが苦笑する。
「……また名が広がるな」
「いいじゃないですか。次の街で少し安く宿に泊まれるかもしれませんよ」
「……それだけで済めばいいがな」
ふたりは並んで馬車に乗り、進行方向を見つめた。
西の山岳を越えれば、さらに山林が続く道が待っている。
「……このまま行けば、まだ登りは続きそうだ」
「山の道中、また、変な人たちが出てくるかもしれませんね」
「戦いは避けられんさ。……だが、誰かを守れるなら、振るう剣に迷いはない」
「ふふ。らしいですね、“黒鎧の騎士”」
「お前もだ、“白髪の魔女”」
ゆっくりと馬車が揺れ動き、街の門を抜ける。
人々の暮らしの音が遠ざかり、風の音と、車輪の軋む音だけが続いた。
――旅は、終わらない。




