商会都市編 29.「……これは人がしていい行為では、ありません。貴方は、ただのこの子達に苦痛を与えているだけです」
通りの雑踏が背後に遠のいていく。
ガルドとリリィは再び街路の裏手、人気の少ない倉庫街の奥へと足を進めていた。
かつての交易貨物の一時保管所として使われていた区画の汚れて傷んだ木造の倉庫は、どれも鍵が壊れ、窓は板で打ち付けられている。風が吹くたび、戸板の隙間から軋む音がして、まるでそこに何かが蠢いているかのようだった。
二人が進む先の足元の土に、小さな足跡があった。裸足の子どものものだ。
「……ここですね。子どもが倒れていたっていう場所」
リリィが言いながら、地面にかがむ。枯れた草の陰に、小さな人形の腕が落ちていた。布の部分は濡れて黒く染まり、赤錆のような斑点が付着している。
ガルドは近くの壁に目を留めた。そこには、かすかに血で書かれたような何かの印が刻まれている。輪を描いた中に、逆さの三角。その周囲には子どもの手のひらで押されたような掌紋――魔術か呪いの痕跡があった。
「術者の痕跡だな。見覚えのあるような印だ……人間を呪具に変える連中のやり方だ」
「……まだ、終わってませんでしたね」
リリィが目を伏せる。人形の腕をそっと拾い上げ、膝の上で握った。
ガルドは血の匂いのする倉庫の扉に手をかけると、ゆっくりと押し開けた。古びた蝶番が軋み、ほこりと血と獣のような臭気が空気と共に流れ出す。
中は、ほの暗い。棚や積まれた木箱が埃を被って静かに並んでいた。
その奥で、何かが動いた。
「気配、複数。……七、いや八体。様子が…まともじゃありません」
「外道どもが……また、下種な術を使ってるか」
次の瞬間、物陰から跳ねるように飛び出したのは、人の顔を模した異形の獣だった。人の骨格に獣の皮を縫い付け、関節には釘や鉄片が打ち込まれている。四足だが、背中にねじれた腕があり、口からは歯ではなく錆びた刃が並んでいた。
リリィが前へ出る。
「≪動きを止めなさい≫」
足元に展開された魔法陣から光が走り、異形の獣の動きが瞬間、硬直する。しかし、その拘束を力任せに破った個体が一体、叫び声とともに跳びかかってきた。
「ぉぁぁ――あぁああッ!」
声――。それは人のものだった。獣の口から、子どもの断末魔のような音が混じっていた。
リリィの顔が歪む。次の瞬間、彼女は剣を引き抜き、跳びかかってきた個体の頭部を一閃に斬り払った。刃は肉と骨を断ち、魔力の芯を断絶させる。
「……こんなものを、作って……っ」
後方からはガルドの剣が振るわれ、三体が連続して沈んでいく。鎧に引かれるように突っ込んでくる異形を、重い一撃で次々に粉砕していく。
戦闘は数分にも満たなかった。だが、倉庫の中に広がっていたのは――それだけではなかった。
ガルドが壁際の覆いをめくると、そこには小さな檻がいくつも並び、その中に、縛られたまま倒れている子どもたちの姿があった。
「……まだ、生きているな」
リリィが近寄り、ひとりずつ呼吸を確認する。いずれも魔素に当てられて意識はないが、手遅れではなさそうだった。
そのとき――倉庫の二階――バルコニーのような場所から、足音がした。
「まったく……“掃除”が甘すぎるな、騎士どの」
不快な笑みとともに現れたのは、かつて殺した術者だった。痩せぎすの体に、黒衣。片手には小瓶を握っている。もう片方の手は、血で湿った棒状のようなものを持っていた。
「貴様……!」
「おっと、近づくな。ここにいる子どもたちの命が惜しいなら、少しは交渉に応じてくれるだろう?」
術者が振り上げた瓶の中には、どす黒く光る魔素液がうねっていた。爆ぜれば、周囲に瘴気をばら撒く類の呪詛だ。
ガルドがわずかに足を止める。
「その顔……あのとき、リリィが倒した術者に似ているな」
「弟だよ。愚かで未熟な――だが可哀想な弟だった」
術者の兄の目が、氷のように冷たい光を宿す。
「だからね。代償は払ってもらう。“殺し返す”なんて、野蛮な真似はしない。ただ、そちらが持っている“情報”と“器”を引き渡してくれれば、それでいい」
「器……?」
リリィが眉をひそめる。
「君だよ、白髪の魔女。君の身体が、僕の計画に必要なんだ。旧世界の術式の宿主として、十分すぎる素材だ」
周囲の空気が一瞬、震えた。
「……話にならないわ」
リリィの声は冷たかったが、表情は変わらない。むしろ淡々としている。
「交渉の“ふり”をしてるだけで、あなたはすでに罠と逃げ道を用意している。人質は“盾”ではなく“囮”……違う?」
術者の兄の口元が歪んだ。
「読まれたか。さすが、“魔女”だな。だが、君が欲しいのは変わらない。器とは、つまり――“意思を保ったまま、高品質な魔力を抱え続けられる人工の構造体”のことだ。君はそれができている。弟には作れなかった成果物さ」
「子どもを巻き込んで、何が成果物ですか。あなたのやってることは――」
「神への接触だ」
術者の兄が静かに言った。
「この世に真なる秩序をもたらすためには、“旧き者”と繋がらねばならない。人の命? 個の感情? そんなものは、塵のようなものだよ。君もいずれ、そう理解する」
その言葉に、ガルドの表情がわずかに揺らぐ。
「……お前の言葉には、破滅の匂いがする」
「当然だろう。神に至るには、門を開けなければならない。門の先には、破滅を齎す神もいる。そして、門の鍵となるのが、“生きた魂”だ」
言い終えると同時に、術者の兄の手に呪力が集まる。
リリィが即座に叫ぶ。
「≪抑えろ≫!」
地面から白光が走り、棒を握った術者の兄の手首を縛り上げる。
「っ……甘いな!」
術者の兄が囁くと、子どもたちの背後に設置された呪陣が発光を始めた。
その瞬間、広間のあちこちから、杭を打ち込まれた所々欠損した継ぎはぎの遺体が立ち上がる。
――屍の兵たちだ。かつて拷問され、命を奪われた旅人や浮浪児たちが、肉の鎧をまとい、命令を待つように呻いている。
「交渉は、ここまでだ。僕はもう、待たない」
「……そうか」
ガルドは剣を抜いた。
「ならばこちらも、“説得”の手段を変えるだけだ」
「≪落ちよ≫」
リリィの詠唱が重なる。空間の温度が一気に下がり、屍兵たちの動きが鈍る。
「子供たちを助ける手段は、まだある。絶対に逃がさない」
「ふふ……なら、君たちの理想を見せてくれ!」
術者の兄が呪陣を起動させ、戦闘が始まった。
術者は瓶を懐にしまい、背後の巨大な木箱を開いた。
ガタン、と音がして、中から這い出したのは――巨大な融合体だった。
六本の腕。半ば剥き出しの脊椎。人の顔が複数、歪んで浮き上がった胸郭。
「どうだ、我が“業”の結晶。……どれか一つぐらい、見覚えがある顔もあるかもな?」
「……ッ、貴様……!」
ガルドが剣を構え直す。
「まだ、プレゼントがあるぞ」
術者の兄が指を鳴らした。
カチリ、とどこかで板の外れる音がした。次の瞬間、倉庫の天井から、鉄鎖に吊るされた肉塊がひとつ、ぶらさがって落ちてきた。
それは――人だった。
首を縄で吊られた、すでに命を落とした少年。顔は青黒く腫れ、片腕は切断されている。胸元には何かの呪術文字が血で刻まれていた。
「……これは、昨日“助けられなかった子”だ。君たちが悪党の掃除し損ねたせいでね。面白いくらい泣き喚いてさ――ほら、聞こえるかい? まだまだ“助けられなかった子”が残ってるぞ」
スレイドが指をもう一度鳴らす。
その合図とともに、倉庫の壁の奥――かつて魔物を仕込まれていた区画の裏側から、複数の呻き声が響いた。
「うぅ……あぁ……ッ……だして……おねがい……」
人語。だが、人間の声ではなかった。
引きずるように現れたのは、顔だけは人間のままで、体は蜘蛛のような脚に改造された少女。瞳は濁り、口からは黒い涎を垂らしている。
背中には“生きたまま”縫い付けられた赤子が、呻くように泣いていた。
リリィの顔が一瞬だけ、怒りに歪む。彼女は静かに呟く。
「……これは人がしていい行為では、ありません。貴方は、ただのこの子達に苦痛を与えているだけです」
「そう。まったく、その通りだ。“治す”のが得意なお嬢さんには、理解できまい。壊すことの“快楽”を」
術者の兄は懐から短い管を取り出し、口に咥える。
「そして、君たちにも苦しみと嘆きを味あわせてあげる。さあ、始めようか。君たちの痛みと、僕の怒りと、弟への弔いを!」
その合図とともに、倉庫の床板が崩れた。
地面に仕込まれた魔方陣が輝き、瘴気の霧が吹き上がる。瓦礫と鉄骨が交差するように落ちてくるその空間で、術者の兄の高笑いが木霊していた。
「ようこそ、“弟と同じ墓場”へ――!」
倉庫の奥で、ふたたび血と鋼がぶつかり合う音が鳴り響こうとしていた――。




