商会都市編 24.「でも、“悪いお店”は潰しやすいです。目印があるぶん」
街は賑やかだった。商業都市の中心部、広場に面した露店通りは、人と物と声であふれている。
甘い果物の香り、焼いた肉の煙、粗悪な香水の匂いまでが混ざって、少し息苦しい。
けれど、リリィは人混みの中を、楽しげに歩く子どもを演じながら、その実、周囲の音に神経を張り巡らせていた。
――聞こえる。誰も気づかないような、小さな声。
(……あのやばい競売、また昨夜も開いてたってさ)
(見たのか? あそこ、近づくだけで睨まれるぞ。物騒な連中が出入りしてるって話だ)
(ま、俺らみたいな小商人には関係ない話だがな……中には“金で何でも買える”って連中もいるらしいぜ)
リリィは立ち止まった。売られていた布製のぬいぐるみを手に取るふりをしながら、声のする方向にわずかに体を向ける。
(“物”って言い方がもうヤバいだろ。前にいた奴が言ってた、動く薬とか、捕まえた魔物を売ってるとか……)
(いや、それだけじゃねぇよ。人間も、って話まで聞こえてきた。女とか、子どもとか……)
(まさか、子どもまで? ……ほんとに?)
(声に出すな。誰が聞いてるか……)
「……ガルドさん。違法な売買所がこの街にあります」
「確かか?」
リリィは笑った。
「人の声って、案外素直です。とくに、自分が無関係だと思っている内容のときは」
ガルドは小さく頷いた。
ふたりは再び、人混みを縫うように歩き出す。
陽が傾きかけた頃。
ガルドとリリィは、街の外れにある「赤錆の瓶」と呼ばれる薄汚れた酒場に足を運んでいた。
中は薄暗く、酔い潰れた労働者たちが卓を囲み、粗末な酒で喉を焼いていた。
だが、目当てはその先――厨房裏手の扉。そのさらに奥にある個室だ。
ガルドが無言で扉を開けると、男がひとり、椅子にふんぞり返っていた。
痩せぎすで、どこか蛇を思わせる目をしている。
「……これはこれは、“黒鎧の騎士”と“白髪の魔女”のお出ましか」
「名乗ってないはずだが」
ガルドの視線に、男は肩をすくめた。
「都市ってのは、噂が通貨なんでね。あんたたちが街に入った時点で、少なくとも五人は尾けてたよ。まあ、ほとんど戻ってこなかったが」
リリィが首をかしげる。
「でも、生きて戻ったひとりが、あなたってわけじゃないですよね?」
男はニヤリと笑った。
「俺は追う側じゃなく、“売る側”だ。……欲しいのは、“裏市場”の入り口、で合ってるかい?」
リリィの表情は変わらない。けれど、服の袖を掴む指が少し強く握られた。
“市場の裏で行われている、名前のない“夜の市”――それが“裏市場”。
合法のふりをして蓋をした、もう一つの街の顔。
「“命が値札で並ぶ場所”があると聞いた」
ガルドの問いに、情報屋は卓に置かれた酒瓶をぐいと傾けた。
「あるさ。……倉庫街の一番奥、“錠前付きの木戸”が目印だ。昼は物置に見えるが、日が沈んでからが本番。中じゃ武器も薬草も、それに“人”も売ってる。表じゃ手に入らない連中の趣味も、な」
「主催は?」
「商会の名前は出てこないが……あそこまで物資が集まる場所、誰かが見逃してるのは確かさ」
ガルドが懐から小袋を出す。中には銀貨数枚が沈んでいる。
「……十分か?」
男は袋を受け取り、軽く振って音を確かめた。
「十分すぎる。あんたらなら、きっと壊してくれる。……あの、薄汚い地下の“値札付き地獄”をな」
リリィがやわらかく笑った。
「じゃあ、私たちは見学に行ってきます。買い物は……未定ですけど」
「ふ、はは。期待してるぜ、“黒鎧の騎士”と“白髪の魔女”」
ふたりは席を立ち、再び夕焼けの街へと歩を進めた。
夜の街灯が灯り始めた頃。
ガルドとリリィは、宿を探すふりをしながら、人気の少ない石畳の裏路地へと足を踏み入れた。
「“倉庫街の一番奥”……あの男、確かに“人”も売ってる”って言ってましたけど」
「罠でも構わん。敵が出てくるなら狩るだけだ」
路地の向こう、開きかけた倉庫のシャッター。その隙間から、甲高い口笛が鳴った。
すぐに、ふたりの目の前を女と少女が駆け抜けた。
その背後から、粗末な鎧を着た男たちが五人、商会の関係者を示す刻印のある装備で追ってきた。
「おいコラッ、待てっつってんだろうがァ!」
「この時間の通行は制限中だァ、嬢ちゃん、おとなしくついてきなァ!」
リリィは軽く首を傾げる。「市街地の通行制限、でしたっけ?」
ガルドは即答した。「聞いていない。……悪党だ」
追い詰められた女が叫んだ。「助けてください……! この子は、何も――!」
男のひとりが彼女の髪を掴んで引き倒す。
「人手が足りねぇってのに、女が余ってるのは不公平だろ? なァ、俺たちにも分け前をよ」
もう一人の男が振り返り、ガルドとリリィを見た。
「おっと、見物人か? ……いや、“黒鎧”と“白髪”? まさか、あの噂の……」
リリィがフードを下ろし、声に出して呟いた。
「噂だけで済めばよかったのに」
≪縛れ≫
路地の足元から鋼線のような光の縄が立ち上がり、男たちの足元を絡め取る。
一瞬の硬直。その隙に、ガルドが動く。
ツバイヘンダーは背負ったまま。抜いたのは、腰のショートソード。
「市街で騒ぐには、こっちの方が静かだ」
刃が風を切る音と同時に、一人目の男が喉を裂かれ崩れた。
叫びかけた男の口に、リリィの投げた石が突き刺さるように命中した。
「≪沈め≫」
重力が増したかのように、その場に沈み込むように倒れ込む男たち。
反撃の隙もなく、ガルドは三人目を腹から断ち、リリィが最後の男の背に一閃を加える。
――十秒も経っていなかった。
「……見てた人、いますかね?」
リリィが周囲を警戒する。石畳の路地に、物音はなかった。
倉庫街の住人たちは、見て見ぬふりをする訓練ができている。
助けられた女は、震える声で呟いた。
「あなたたち……“黒鎧の騎士”と“白髪の魔女”……?」
「そう呼びたきゃ呼べばいい。……行け。今のうちだ」
ガルドは短く言い、血で濡れた刃を布で拭った。
リリィが女の子に軽く微笑んだ。
「怖かったですね。……でも、もう大丈夫ですよ」
少女が無言で頷く。リリィはふっと息を吐いた。
「この街、想像以上に腐ってます」
「商会が法を名乗ると、腐臭は早く回る」
「でも、“悪いお店”は潰しやすいです。目印があるぶん」
ガルドは小さく頷き、路地の奥を見た。
――その先、闇抜け横丁のさらに奥。
目立たぬ木戸の向こうに、本物の“裏市場”がある。
そこでは、人間の命ですら札付きで売買されるという。




