旅の始まり編 2.「ちょっと服が切れました。でも、中身は無事です」
集落の門は、木材を乱雑に組んだだけの粗末な造りだった。
しかし、旅人にとっては火と水と寝床があれば十分。騎士ガルドは軽く頭を下げて通り抜けた。
村は静かだった。この辺境では、領主の手が届かぬことが多い。
税の取り立てはあれど、治安の維持は住民任せ。
結果として、こうした小さな集落は武装集団の格好の餌食となる。
住民たちは家に引きこもり、嵐が過ぎるのを待つしかないのだ。
ガルドは、かつて自分が守ろうとしていた「正義」が、ここでは何の意味も持たないことを知っていた。
通りを歩く者もまばらで、露店も半分以上がすでに布で覆われている。
「……なんだか、しんとしてますね」
リリィがガルドの隣で声を落とした。
街道の獣より、こうした人の沈黙の方が、彼女には不気味に映るらしい。
「戦火でもあった痕跡はない。だが、妙に空気が乾いているな。争いの後に似ている」
「……察知範囲に、複数の人影。動き方が不自然です。距離、二十メートル前後……あ、囲まれてる?」
ガルドは無言でショートソードに手をかけた。
そして、次の瞬間。
「そこの二人、手を挙げな。荷物を置いてさっさと立ち去れ」
乾いた声が、屋根の上から響いた。
振り返ると、数人の男たちが弓を構え、通りを塞ぐように立っている。
顔を覆面で隠し、腰に刃物を下げたその姿は――盗賊。
それも、素人ではない。動きに無駄がなく、合図ひとつで殺しにかかれる雰囲気を纏っていた。
「ガルドさん、どうします?」
「決まってる。交渉の余地がない。倒すぞ」
「はい、了解です。残らず処理します、骨も残さずに」
リリィの口調は、穏やかなままだった。
しかしその瞳には、明らかな殺意――いや、“脅威を排除する意志”が宿っている。
「こいつら……子供まで連れてるとは。いいツラの皮だな!」
「へっ、旅の金持ち貴族様か? 女のガキなんざあとで高く売れる」
盗賊たちは口々に笑いながら、武器を構えた。
だがその時――
「《地を縛りなさい》」
リリィの詠唱が広がり、足元から地脈を走るように重力魔法が展開される。
盗賊の数人が足を取られ、動きが鈍った。
「魔法使いだ! 子供が!? くそ、やれっ!」
矢が飛び、剣が振るわれる――だが、ガルドのツバイヘンダーがすべてを弾き返し、盗賊の間を切り裂いて進む。
一人、リリィに向かって斬りかかろうとした盗賊の男がいた。
だが、剣が彼女の腕に当たった瞬間――乾いた音が響いた。
「な、なんだこれ……硬ぇ!? 鎧でも着てんのか!?」
リリィは軽く跳び下がり、間合いを取り直す。
その表情は淡々としていたが、わずかに口元が動いていた。
「……それは、たぶん私の“皮膚”のせいですね」
「こ、こいつ……人間じゃねぇのか……?」
驚愕する盗賊に対し、リリィの剣が一閃。
刃は迷いなくその胸元を貫き、力なく崩れ落ちる。
「次……来ますよ」
リリィが跳ねるように踏み出す。
囲みの一角を破って、至近の盗賊に接近。
「《裂きなさい》!」
詠唱と同時に、ロングソードが回転するように斬り払われる。
刃が男の肩から胴へ斜めに入り、鈍い音とともに倒れた。
残りの数人は明らかに怯え、後退しはじめる。
「リリィ、逃がすな」
「はい、追いかけます」
彼女の身体は人間より軽いが、関節の制御は異常なほど正確だった。
駆け出せば弓手にも容易に間合いを詰め、斬撃は迷いなく急所を穿つ。
一分も経たずに、村の広場は静けさを取り戻していた。
「……制圧、完了。少し手こずりました」
ガルドは倒れた盗賊たちを見回した。
かつて騎士だった頃なら、投降の機会を与えただろう。
だが、この世界では甘さは死を意味する。
「……ガルドさん」
リリィが小さく呼びかける。
「私、これでよかったんでしょうか?」
「後悔するなら、最初から剣を抜くな」
「でも……」
「生きるための選択だ。それ以上でも、それ以下でもない」
リリィは頷いたが、その瞳にはまだ迷いが残っていた。
感情を持つということは、こういうことなのかもしれない、とガルドは思った。
「十分だ。損傷は?」
「ちょっと服が切れました。でも、中身は無事です」
リリィが笑って振り返る。
その笑みは、ほんの少しぎこちない――けれど確かに、彼女なりの誇らしさが滲んでいた。