旅の始まり編 17.「どうでしょう。でも、どうでもいいことです。私は今のままで、十分ですから」
夜が明けるころ、ふたりは南東へ向かっていた。道は険しく、地図にも載らぬ獣道、ガルドの手にある護符に描かれた印が、行き先の手がかりとなった。
「この印、この先の古い採石場の持ち主の印ですね。……閉鎖されたのは、十年ほど前」
「だが、死体から出てきた護符は、まだ新しい。つまり、この印はまだ使われてる」
「閉鎖された採掘所の持ち主の印が、なぜ野党の所持物についているんでしょう?」
森を抜けた先、白い岩肌がむき出しになった谷に出た。採掘場となっている谷の間には粗末な木橋が渡され、簡易な見張り台が組まれている。
「誰かいる」
リリィが囁くように言う。
「目がいいのも、耳がいいのも、ちょっとだけ得した気分です」
「倒せるなら静かに気絶させる。見張りからやるぞ」
谷に潜んでいたのは、黒革の軽鎧に身を包んだ五人の男たちだった。装備は統一されておらず、商隊の傭兵上がりか、はぐれ兵のような雰囲気がある。
だが、問題はその奥だった。
採石場の壁面に穿たれた洞穴の中。そこから、異様な唸り声が漏れ出ていた。
「……魔物?」
「いや。あれは、・・・壁に魔法陣があるな、この声の主は人工的な生物の可能性がある」
ガルドがぼそりと呟く。
「……ここで、何か実験がされていた可能性が高いな。おそらく、あの男たちはそれを管理している」
「見張りとしては練度が低そうですね。でも……」
リリィの瞳に、ほんの一瞬、鋭い光が宿った。
「ただの見張りでも、ここで人を傷つけるような実験に協力してたなら――」
「倒せ」
《落ちよ》
リリィの一言で、見張り台の足元に設置されていた杭が、まるで見えない力で砕かれた。上にいた男が悲鳴を上げて転落し、そのまま気絶する。
「敵襲か!? 誰だ、どこから――」
その叫びが届く前に、ガルドが洞の手前に躍り出た。
ツバイヘンダーが、ひと振りでふたりを巻き込んでなぎ払う。防御に回った剣が刃ごと折れ、悲鳴が岩肌に吸い込まれた。
「な、なんだこの――おい、こいつ、“黒鎧の騎士”じゃ――」
「もう遅いよ」
リリィの声がしたかと思えば、最後の一人の足元に魔法陣が展開される。
《足を凍らせよ》
地面が凍りつき、踏み出した脚が割れた氷に沈む。そこへ鋼の刃が走る。
残敵の処理を終えたふたりは、洞穴の中へと足を踏み入れた。
内部は狭く湿っており、かすかに獣とは異なる腐臭が漂っていた。
「……いるな」
「ええ。…魔素が濃いですね」
リリィが眉をひそめ、小声で囁く。
ガルドは剣の柄に自然と力を込めた。洞の奥から、低くうねるような音が響いてくる。
それは呼吸とも呻きともつかない、壊れた獣の呻きのようだった。
ふたりは足音を殺して洞窟内へと進む。内部は低く狭く、天井から水が滴り落ちていた。
その奥に――いた。
「……あれか」
ガルドが低く呟いた。
「ええ。生きてるというより、動いてるだけって感じですね」
洞奥、鎖で繋がれた巨大な異形が、こちらに気づく。
身の丈はふたりを優に超え、灰色の肌は焼け爛れたようにひび割れている。
片腕は異様に肥大し、もう片方は骨のように痩せ細っていた。
胸には、黒ずんだ心臓のような魔石が脈打っており、それがわずかに明滅するたびに洞窟内の魔素がざわつく。
「――これは……ゴーレムの亜種なんでしょうか?」
「いや。失敗作だな」
魔力に暴走の兆候があり、理性の光はまるで見えない。
「魔力の流れが崩れてる。自律式の魔物にしたかったんだろうが、理性は潰れてるな」
「はい。……このままだと暴走します」
異形の目が光り、ふたりを捉える。
次の瞬間――咆哮。
ガルドは剣を構えた。
「問答無用。魔物と同じだ」
「はい。じゃあ、戦います」
咆哮と共に、魔物が鎖を引きちぎり突進してきた。
その瞬間、リリィが地面に指を走らせる。
《力を断て》
魔石が一瞬だけ鈍く光り、動きが僅かに鈍る。
「今です、ガルドさん!」
「――っ!」
剣を握る手に力が込められ、黒鎧の騎士は駆ける。
地を蹴る音すら殺し、ガルドは低く、鋭く、真っ直ぐに異形の懐へ潜り込んだ。
ツバイヘンダーが閃き、袈裟に斬り上げられる。
分厚い皮膚を裂き、魔石に深く刃が食い込んだ。
「――ぎぃいぃぃぃッ!!」
魔石が爆ぜるように輝き、異形がのたうちまわる。
黒い魔力が口と傷口から噴き出し、洞窟内を染めていく。
「ガルドさん、離れて――!」
リリィが手を翳す。
《散れ》
吹き飛ばされた魔素が霧散し、爆発のような衝撃を吸収する。
ガルドはショートソードを抜きながら、後方に跳ね退いた。
その目の前で、異形の巨体が崩れ落ちる。
内から崩れるように、肉が砕け、骨が潰れ、最後にはただの肉塊と化した。
残されたのは、魔力の欠けた黒い魔石の破片だけだった。
「……終わりか」
「はい。暴走寸前でしたね……もう少し遅ければ、洞窟が潰れていたかもしれません」
リリィは静かに地面を撫で、陣を解除した。
ガルドはショートソードを鞘に戻し、立ち尽くしていた。
「……こんなものを造った奴が、近くにいるかもしれん」
「気を付けましょう。こういった“失敗作”が、各地にばら撒かれていたら……」
言葉の先は、ふたりとも口にしなかった。
ただ、静かに互いに頷き、、ふたりは洞窟の中を調べた。
「……資料、焼かれてます。けど、これ――」
リリィが焼け残った紙片を拾い上げた。
「“・・・素体 第六試作”……?」
「……お前に関係あるものか?」
「どうでしょう。でも、どうでもいいことです。私は今のままで、十分ですから」
リリィは紙片を燃やし、黙って背を向けた。
ガルドは洞穴を見渡し、最後に呟く。
「ここで何があったかは問題じゃない。今、俺たちの敵になった。それだけで、殺す理由にはなる」
「うん。じゃあ、あとは――」
「物資を回収して、次の敵を探す」
ふたりは背を向け、また、次の戦場へと歩き出した。




