episode8 パンダと恋
翌日から俺は昼は喫茶、夜は彰人と一緒に居酒屋とフル回転で働いた。動いていると余計なことを考えなくて済むことは俺にとって救いでもあった。バイトがない日は何か手がかりを探すために近所を歩いて回ったりもしたが俺の記憶は変わらず何も思い出せないままだった。家のことも手伝いたかったので、掃除、片付けなどできそうなことはなんでもやった。料理は恐らく以前もしたことがなかったようで最初は卵を割るのも下手くそだったが、彰人に教わるうちに少しずつできることが増えていった。卵焼きは我ながら綺麗に焼けるようになったと思う。初めのうちは他人の家に1人で居ることに申し訳なさもあったが、今では夕飯を作って彰人の帰りを待つ日も増えた。ご飯を作ると彰人がとても喜んでくれるので自分も幸せな気分になれる。今日も得意な卵焼きと焼き魚と味噌汁を作り彰人の帰りを待っていた。
「料理、もっとレパートリー増やしたいなぁ」
今度は肉じゃがに挑戦しようか。いきなり作ったら彰人、ビックリするだろうか。
「でもこの生活が当たり前だと思わないようにしないと・・・」
本来であれば一刻も早く元いた世界に戻らねばならないはずなのに。今の生活が心地よく、このまま戻らなくてもいいかもしれないという考えも浮かんでしまう。その考えが浮かぶたびに、頬をパンッと叩き自分自身に気合を入れ直す。とにかく今できることを最大限にして、あとは戻るための手がかりを探すしか今の俺にはない。
「あっもう16時じゃん!やばっ」
俺は戸締りをしベースケースを担ぎ彰人との待ち合わせ場所に急ぐ。目印の欅の木が見えてきたが、まだ彰人は来ていないようだった。俺は土手に腰掛けベースを取り出す。当初、学園祭で演奏する曲は2曲の予定だったが、バンド練習を何度かやるうちに最終的に4曲演奏することになった。当日披露するのはRANSのバンドオリジナル曲2曲とHALUのコピー曲2曲だ。
(あと2週間でどれだけ俺が追いつけるかだな・・・)
元々バンド内では既に何度も演奏している曲であり皆の息はあっている。俺の役割としては七海の代役として違和感なく皆の演奏を引き立たせ、できれば全体のクオリティも上げたい。とは言いつつも何をするにもまずはとにかく練習するしかない。俺が気になるフレーズを繰り返し練習していると、
「お疲れっ!」
という声とともに、肩にポンッと手を置かれた。俺は集中すると周りが見えなくなってしまい声を掛けられても気づかないことが多い。顔を上げると彰人がイエイッと右手でピースしながら俺の目の前に立っている。
「彰人もお疲れ!今日の英単語テストうまくいった?」
俺はベースを弾く手を止め彰人の顔を見る。やたらとニコニコとしているからきっとうまくいったんだろう。
「いやぁ~、颯太さまさま!昨日の夜颯太に教えてもらった単語、半分以上でたんだけど!やっぱ颯太ってすげー!」
昨夜、俺が必死になって叩き込んだ単語が役に立ったらしい。何度か教えているうちに俺から教わったものは必ずテストに出る!と彰人が信じ込み、しかもそれが実際に出るもんだからテストの前日はみっちりと彰人に叩き込むのが最近は日常化し始めている。
「よかったじゃん」
「おぅっ!またよろしく」
彰人はそう言いながらギターを取り出す。彰人と一緒に練習するこの時間が俺はたまらなく楽しい。
「彰人、このフレーズなんだけどさ。ちょっと合わせない?」
俺はコピー曲として練習しているHALUの青春という曲の1フレーズを弾き、彰人もそれに合わせる。
「颯太、多分ここの入りが1テンポ遅いんだと思う」
そう言いながら彰人がメロディーを奏でる。
「あっなるほどね。だから違和感あったのか。もう1回いい?」
彰人に指摘された部分に気をつけながらもう一度合わせると先程まで感じていた違和感はなくなりリズムが綺麗に整う。
「いい感じ!ありがとう!・・・って、あれ?」
彰人に話しかける途中で何か頭に靄がかかったようになった。
「颯太?どした?」
「いや、あれ?この場面って前もあったっけ?」
「この場面?このフレーズ2人で合わせたの今日が初めてだと思うけど」
彰人が不思議そうな表情でこちらを見る。
(だよな・・・前にどこかでこういったやりとりをしたような気がする・・・けど誰とだっけ?なんだ、これ?)
頭にかかった靄が濃くてはっきりと思い出せないがなぜか確信できる。前もこうやってフレーズを誰かと合わせて、それから、それから・・・?
「おいっ颯太、大丈夫か?」
彰人に声を掛けられはっとする。気づくと俺は頭を抱えてその場にうずくまっていた。
「大丈夫?頭痛い?」
彰人が心配そうに俺の顔を覗き込む。
「ごめんごめん、大丈夫。ちょっとなんか思い出せそうな気がしたんだけど・・・ダメだ、思い出せない」
はぁ、と俺は溜息をついた。
「颯太はきっと不安なんだろうけど、無理に焦らなくていいよ」
ポンッと頭に手を置き彰人は優しい声で言う。すると少しずつ心が落ち着いてくる。俺は彰人の言葉にいつも安心させられる。
「よしっ!今日はこの辺にして帰るか、腹減ったし。あっ今日の夜ご飯って何?」
「いつもの卵焼きと魚と味噌汁」
「よっしゃ、帰ろ帰ろ~」
ウキウキ顔で帰る彰人を見ながら俺は思った。
(絶対に激うま肉じゃがを習得して驚かせてやろ。それにしてもさっきのアレ、何だったんだ。もう少しで思い出せそうな気がするのに・・・)
俺はもどかしい気持ちを抱えながら帰路に着いた。
普段、全体のバンド練習は週1回であるが学園祭まで残り1ヵ月をきったこともあり週2回に増やして練習に励んでいた。これまでに4回皆で合わせていて今日で5回目になる。メンバーの七海は演奏こそできないが、いつも練習に参加し全体的な意見を述べてくれた。七海のおかげもあっていつも自分たちの演奏を客観的に分析できる。それぞれがそれぞれに良い悪いの意見を出し合う度に確実に良いものが出来上がっていく実感があった。
「颯太、ここはもうちょいピッチ落としたがもっといいと思う」
演奏後に七海が声を掛けてくれる。
「うん、ありがと!次気をつけてみる!」
自分でも気づかない部分にアドバイスをもらえるのは本当に有難い。そして何より七海の分析は的確で、改善するとより一段と良くなるのが本当によく分かるからおもしろい。練習を続けていると、そのとき休憩をしていた良太さんがカバンに手を入れ何か物を取り出そうとしている様子が目に入った。よくよく見ると、良太さんのカバンに何やらどこかで見た物がついている・・・。
「あっ!パンダ!」
あの自転車の女性が落としたパンダのキーホルダーと一緒じゃないか。もしかして、このキャラクターはこの時代で流行っているのか?
「颯太パンダ好き?これ妹がつけろってうるさくてとりあえずつけてんだよねー。俺別にパンダLOVEって訳じゃないんだけど」
良太さんは俺にそう答える。
「えっ!もしかして・・・。まぁ多分違うとは思うんですけど、妹さんってあおいさん、だったりしますか?」
「そだよー。てか颯太なんであおいのこと知ってんの?」
「わっ!そうなんですか!前に朝、自転車でこけた女性がいてそれと同じキーホルダーを落としてたまたま俺が拾ったことがあって」
「そうなの?あいつ、こけたんだ。帰ったら聞いてやろー」
良太さんはあははっと笑いながらそう答える。
「なぁ彰人!あっ、そういやあれからちゃんとあおいさんにキーホルダー渡せたの?」
俺が目をやると、彰人はこちらを見ないまま
「うん・・・渡せた・・・」
と答えた。
(へ・・・?なんでこいつ顔真っ赤にしてるんだ・・・?あぁぁぁぁ!忘れてた!こいつあおいさんの事!!えっ!てか良太さんの妹さんじゃん!!)
俺の脳は一瞬にして色々なことを理解した。彰人の好きな人はバンドの先輩の妹さんって・・・この展開はおもしろ過ぎる。俺は顔のニヤニヤを抑えるべくとりあえずペットボトルの蓋を開け水を口に含んだ。
「てか彰人さぁ、早くあおいちゃんに告白しなよー。どう見ても両想い確定なんだしさぁ」
今まで会話に参加していなかった翔さんがいきなりそんなことを言い出したので、俺は驚いてさっき含んだ水を噴き出してしまった。
「あぁっ!颯太!なにしてんだよもうー。あそこにティッシュあるから」
七海が指差したティッシュボックスからティッシュを何枚か出し、俺は床を拭きながら彰人の方に目をやると彰人の顔が更に茹でダコ状態になっているのが分かった。
「翔さん。あの、この話はもう大丈夫です・・・」
茹でダコ状態の彰人はそう答えるのが精一杯といった様子だ。
「お兄ちゃん公認なのに。ね?良太?」
翔さんが良太さんに同意を求めると、良太さんは
「お兄ちゃんはいつでもウェルカムよー」
と返す。それに対して彰人は黙ったままでいる。その光景がたまらず俺と七海は笑い転げた。ひとしきり笑った後、七海が俺に
「なぁ知ってる?彰人ってさぁ、あおいちゃんおすすめのパンダキャラのパンツをさぁ・・・」
と言いかけたところで
「七海、それ以上言ったら分かってるよな?」
と、彰人が本気の睨みを七海に向けていた。
(ん?パンダのパンツ・・・はっ!あれか!俺にいじられて怒ってたやつ!!あれあおいさんのおすすめだったんだ!!)
想像するともう我慢が出来ず、それから俺と七海は一時何をやっても笑いが止まらなかった。彰人は俺たちが笑い転げている間中ずっと冷ややかな視線をこちらに向けていた。その後、彰人は家でもむくれていたので、その日彰人のお母さんが作ってくれたメインおかずのアジフライを彰人に分けることにした。すると、程なくして機嫌が直りいつもの彰人に戻った。
(犬みたいなのはどっちだよ・・・)




