第6話 今日もいい子でいてね
ある男が、鏡の前で身なりを整えている。
鏡の中に映るのは、綺麗な顔をして、どこか壊れかけている青年だった。疲れた目。乾いた唇。整えられたはずの髪も、どこか無造作だった。
今日は、“あの日”だ。
金をくれるあいつの元へ行く日。
身体を預け、言葉を飲み込む日。
そんな日を「仕事」と呼べるほど、彼は器用でも図太くもなれなかった。
それでも、ちゃんと今日のための綺麗なシャツに腕を通す。
部屋には、彼の頭の中に住みついた男がいる。
ベッドで雑誌を読みながら、うんざりしたように言う。
「ねぇ、そんなに嫌なら、やめたら?」
男は、鏡越しに返す。
「……やめられるなら、とっくにやめてる」
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廊下で小さな女の子とすれ違う
彼女は洗濯かごを抱えていて、笑顔で言う。
「今日はお仕事?」
「……まぁな。ちょっと、金になるやつ」
「そっか、えらいね。がんばって」
ぐさり、と胸に刺さる。
なにも知らないその笑顔が、一番つらい。
(“えらい”わけがない。“がんばれ”ない。)
「じゃあ、今日もいい子にしてなよ」
そう言い残して、男は踵を返す。
“いい子”って誰に言ったのか、彼にもわからなかった。
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呼ばれたホテルの部屋は、相変わらず気持ち悪いくらい静かで、
ベッドの上の男は、相変わらず「おまえは美しい」と機械みたいに言った。
男は何も考えないように、天井を見ていた。
そして時が早く過ぎるのを祈りながらまぶたを閉じた。
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帰り道、スマホの通知が鳴る。
《件名:205号室 ___》
「“本当の病人は、自分で病名を言わないものよ。”」
意味のわからないメッセージ。
でもなぜか、それを読んだあと、男は泣きそうになるのをこらえた。
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マンションの前に戻ると、夜風が少し涼しかった。
プリンの頭をした男が階段に座って、チャイをすすっていた。
「やぁ、王子。今日はなんだか高級感があるね」
「……うるせぇ」
「それになんだか、“壊されてきた”顔もしてるね」
「……黙れよ、マジで」
「はいはい。でも忘れんなよ、王子。壊されたやつは、壊れたやつと仲良くできんだぜ?」
男の目だけが、いつになく真剣で、
それ以上、何も言えなかった。
部屋に戻って靴を脱ぐと、ベランダの方から煙草の匂いが流れてきた。
足の裏が、やけに冷たく感じた。