第2話 クッキー缶
朝というには遅すぎて、夜というには早すぎる時間。
リリーは煙草の煙の匂いで目を覚ました。
窓を開けたままだった。
ベランダに出ると、404号室のベランダに女の影。
——デイジーだ。髪をまとめもせず、カップ酒と煙草を片手に、足を投げ出して座っている。煙草の煙が風に乗ってこちらに運ばれてくる。
「……また飲んでるのか、あの女」
ヘルターが笑う。「病んでるねぇ、壊れてるねぇ、でもキレイだねぇ。」
「黙れ」
リリーはカーテンを引いた。だが、心のどこかで引っかかっていた。
数日前に置いたチャイとクッキー缶。受け取ったのかどうか、デイジーの口からは何も聞こえてこなかった。ただ扉前から消えていた。
(別に感謝が欲しいわけじゃない。ただ、……無視されると、惨めなだけ)
その日の夕方、階段で鉢合わせた。
デイジーはスーパーの袋を持っていた。中身は、きっと酒とかだろう。
「……よォ、王子様」
低い声。酒や煙草で潰れたような喉。
だがその声はどこか安心する声だった。
「……チャイ、飲んだか?」
「は?」
「扉前にあったあれ、お前にじゃないかと……思って」
「知らねーよ。ガキが勝手に受け取ってたかもね」
吐き捨てるように言って、デイジーは踵を返した。
が、その背中がふらついたのを、リリーは見逃さなかった。
「おい……っ」
支えようとして、一瞬、腕を伸ばしかけた。けど、止まった。
(俺にできることなんて、何もねぇ)
「助けんの? それとも見てるだけ? キミさ、器用に生きられないくせに、人の不幸を見過ごせるほど冷たくもないよなあ」
ヘルターの声が頭で回る。
「……うるせぇ」
リリーは階段を降りた。足音を聞かれたくなくて、ゆっくりと。
でも心臓だけが、バカみたいに音を立てていた。
____
夜。
401号室のドアの前に、ささやかなメモが貼られていた。
「おまえが置いたやつ、オキクがすげー嬉しそうに食ってた。
……ありがと。言っとく」
雑な文字。リリーはその紙をはがし、くしゃっとポケットに突っ込んだ。
「……壊れてるくせに、綺麗な顔しやがって」
ヘルターが笑う
「似てるよね」
「うるさい」
その夜、リリーは久々によく眠ることができた