ダンジョンの外の戦い(2)
◆ ◆ ◆
邪神がいるというこの街に、今日も夜が、やって来てしまう。
街の住民を堕として来い、というのが聖女役が受けた任務。
もちろん、言い方はもっと回りくどいものだったけど、それが分からないほど私はそこまで愚かではない。
一体どちらが邪神の信徒だと、今は思う。
平民の私だけれど、この職業のおかげなのかお貴族様の友人を得ることもできた。
私が愚かであったとしても、その友人まで愚かだとは限らない。
歴史に詳しい人だった。
あの人は言っていた、学院で歴史学を専攻した者達ならば誰もが知ってる事実だと。
今も大神殿の地下に残っていると言われている「祈念の大魔方陣」。
今から百年程前、そこで「聖女が」祈りを捧げたという。
──悪魔を、悪魔を……悪魔ヲ、滅ボセッ!!
その呪いで、帝国の男性の三割近くが死んだという。
それは大神殿に刻まれた術式の威力を、そして「渡り人という呪物」の脅威を世に知らしめた。
渡り人の召喚儀式、異界の門を開くことがあらためて禁術と認定された。
その教訓を忘れないために、あえて大神殿は取り壊さずに当時の形のまま、全宗派の合同施設として残されたという話らしい。
それなのに、聖女役にはそんな歴史、一切、知らされたことは無かった。
旅の途中、私は何度も悪夢を見るようになった。
純潔を穢される夢。
目的地へと近づくほどに、より具体的になっていく。
…それは悪夢というより、予知夢ともいうべきものなのだろう……
だけど、サウスティアの街についた夜から、悪夢が消えた。
覚悟が決まったなんてわけじゃない。むしろ恐怖で震えている。
それなのに、今度はなぜか眠りの中だけはいつも、不思議と安息が訪れた。
この地には、本当に邪神がいるのかもしれない。
大神殿にある数々の、神々の石像。
その中に一つ、顔の無い女性の像が祀られている。
まるで膝枕を誘うように、腰を下ろした優しい石像。
顔が無いのに、まるでその心が伝わってくるような不思議な姿。
目の前に立つ私を、最も近い視線で受け入れてくれたように感じたそれは………夢をみせる邪神だという。
「…聖女様、お時間です」
扉を叩く音に、ギュッと心臓がにぎられる。
今日も、夜が来てしまった。
ジャックとジェイク、たぶん偽名の、二人の武僧。
聖女役の護衛という形の、私の監視役。
大神殿ではそんな「武術に長けた護衛役の神官」を貸し出しているなんて「暗い噂」を聞いたことがあったけど。
まさかそれが自分の両隣を取り囲む日が来るなんて思わなかった。
二人に連れられて、夜の街へと連行される。
そして「沐浴のための薄着」姿の私。
こんな格好で歩き回ればもう、娼婦ですらなくただの痴女だ。
いくら夜のひと気のない街の中でも………こんな女を見つけたら、色香に誘われ近づくよりも、怪しすぎて近づかないだろうと思っているが……どちらにしたって、悲しすぎる。
一体どちらが邪神の信徒なのだか、分からない。
上手く男が釣れた場合、物陰に隠れて待っていた二人が現れて、その男に「説法」をして改宗させてやるのだという。
完全にあれだ、「つつもたせ」だ。
いくら私が平民でも、これが分からないほど愚かじゃない。
言葉たくみに神だ使命だと言いくるめたって、私に何をやらせて、何を押し付けたいのか、分かってしまう。
冷えた体と冷めた心が、こんなのは違うと叫び続けて震えている。
そういう点では、きっと私は信心深くは無いのだろう。
これくらいでは熱が冷めないのが、真の敬虔な信徒に違いない。
…本当に英雄の神がいるのなら………なぜ、いま、この時に、私を……
サウスティアの街の中央、井戸のある広場。
街のいたるところに煌々と照らされた上品な街灯は、クロスティアにも見劣りしない。
それでも人影などは一つもなく、未だに一人も釣れなかった。
帝都のお偉い方々には、夜の田舎街がどういう場所なのか分からなかったのだろう。
早寝早起きが「普通の村」の日常だ。
祭りの夜でもない限りは、皆、寝静まるのが常識である。
酒場に行けば冒険者達がいるだろう。
だけど、彼らはここの民ではない「流れ者」、そっちを釣っても意味がない、とは護衛二人の言葉だった。
私を釣り針としか思っていない二人は、業を煮やしてついには街のど真ん中に釣り糸を垂らすことになったのだけど……
…皮肉な結果に、まるで他人事みたいに笑ってしまう。
空を見上げる。
田舎街だけあって、きれいな夜空だ。
うすい夜霧とあいまって幻想的にすら見えてしまう。
滲んだ星々も、夜霧のせい。
救われる人から、救う人になりたかった……のだと思う。
だから英雄の神に憧れていた、ような気がする……
今となってはもう、分からない。
何がやりたくて、なぜここにいるのか。
…いまとなってはもう、すべては儚い夢のむこうで……
「…?」
護衛の二人がやって来て……──私の口を、握り塞いだ!?
「作戦変更だ」
「!?」
あっという間に、その護衛が私を組み敷いて、嗤う。
「我らの聖女が、街で魔物に襲われた。
我々はサウスティアに対して魔物との結託の疑義を問い質し、その潔白の証明を求めるものなり」
…ああ。私は愚かだった。
神殿という閉鎖空間の中で教育されて感覚がマヒしてしまっていた。
こんな愚かな格好で夜な夜なうろついて……一番近くに居続けた魔物たちに、襲われないわけがない。
「…うむ。殊勝な心掛けなり……おい! おまえも手伝え!」
「見張り役も必要だろう?
それとも、役を変わるか?」
「…チッ!」
叫べないし、舌も噛めない。
鉄のように頑丈な男の手の平が私の顎をギシギシと握りしめて、私の歯では噛みちぎれない。
自分の意思とは関係なしに、それでも涙があふれてくる。
「すぐに終わる、祈れ」
……今となってはもう、分からない。
何がやりたくて、なぜここにいるのか。
身に付いた習慣とは恐ろしい。
それでも私は……
…果たして、どちらの神に祈ったのか……
「おや? お呼びですか?」
それは場違いなほどに涼やかで、しっとりと美しい男の声だった。
その声に、護衛達の雰囲気が変わり、別人のように……殺人鬼のように、低い声で威嚇する。
「……誰だ。姿を見せろ」
「いえいえ、それはいけません。
私を喚べるのは、無垢な処女か数多の生贄、そのどちらか……という長年からの設定ですので」
「「!?」」
まさか!? ほんとうに………来た!?
「では、処女……おっと、それではしゃべれませんね?」
「な!? ぐああああ!?」
「なんだ!? 貴様、何者だ!!」
いつの間にか立ち込めた霧の中から、さっと現れた巨大な邪神の触腕(!?)が護衛二人を、まるでおもちゃみたいにキュッと握る。
「静粛に。
素敵な夜に相応しくありませんよ?
…さて、あらためまして淑女、あなたのご用件をうかがいましょう?」
今度はもう、言い逃れなんてできやしない。
私が祈った相手は、もう、
「……助けて、ください」
「…だそうですよ。迷宮主?」
「…おまえ、そこでおれに丸投げかよ」
…ダンジョンマスター!?
霧の奥からヌッと現れたのは、黒衣と仮面の……きっと「サウスティアのダンジョンマスター」。
それは彼らの、いえ、私達の「神敵」だったはずの魔物。
邪悪な触腕の戒めを解かれた護衛達は、私を放置して、はっきりと彼の方へと向き直った。
「…なぜ、貴様がここに」
その問いに、彼は怒りで返す。
「あ゛ぁ? なぜ!?
営業時間外に、
職場の外に、
呼び出されたからに、決まってるだろ!!」
カッと、赤で染まった。
彼に呼応するように明滅する赤い霧!?
……街灯が、赤く光ってる!!
このまま騒ぎを聞きつけた住民達が集まりでもすれば、この場は、一体どうなってしまうのか。
それとも、もしかしてこの濃霧が……何もかもを覆い隠してしまっている「魔術」なのか。
どうにか事態を収拾しようと冷静に判断したつもりだったのだろう、見張り役の方だった護衛が丁寧な口調で彼に申し出る。
「…これはこちらの問題です。
どうか、お引き取りを」
こちらの問題って!?
むしろ彼こそが当事者で───ヒッ!!?
「…へぇ? なるほど?
夜とはいえ、こんな往来のど真ん中で火遊びに興じたあげく、こちらの、問題?
フフッ、大した度胸じゃないですか。
清々しいくらいの開き直りっぷりに、いっそ失笑えてしまいますね?
良いでしょう。
ならばそれは、そちらの問題ということで。
そして、ここから先は私の問題……!
…その悲鳴も、恐怖も、断末魔も、あますことなく私のものです。
深夜残業にお招き頂いたその腹癒せに、存分に、叩きのめして差し上げましょう。
おやおや、遊ぶ前からお疲れですか?
そんな死相ではイイ悪夢なんて見レマセンヨ──」
──サァ、笑エ!!
◆ ◆ ◆
飛びかかったはずの二人が転倒した。
その両膝に、糸のような何かを絡みつかせて。
まるで脈拍でも測るかのようにダンジョンマスターが二人の首にそっと触れると、二人は……眠った!?
まさかそれが「締め落とした」だなんて、その時の私には分かるはずもなくて……
時間にして……何秒?
私だけ、実はこの三人に仕組まれていて、そういう喜劇を見せられているのか? なんて思っている内に……
「…なるほど?
それであなたは、いつまでに、何人の住民を堕とさなくてはならないのです?」
「し、知りませんよ、そんなの!?」
私は半泣きで洗いざらいすべて白状した。
何がなんだか分からずに、質問されたことにすべて答えた。
そのまま私と護衛二人は街の片隅、宿をかねているという酒場まで連行された。
護衛二人を連行したのは、ずっと街灯だと思っていたスライムの……集団(!?)だった。
二人はイスに縛られて、翌日、一日中さらし者にされていた。
首にかけられた「私は夜の往来の真ん中で人を襲いました」と書かれた札。
それを見た冒険者達に「往来の真ん中で人を襲ったらダメだぞ?」「往来でなくても、人は襲うなよ?」と生温かい声と視線を一日中かけられ続けて……その夜、解放されると同時に、私を置いてどこかへと走り去ってしまった。
酒場の店主が、私に声をかけてくれた。
「あんたの慰めになるかは分からんが、クロスティアってのは、まぁ、紛争地帯でな。
ここに送られてきた連中なんて、借金のかたに売られた奴や、一族に大罪人が出た奴とか、そういう感じの訳ありな奴等ばかりなんだよ。
だから、なんていうか、な………あんたも、そんなに肩肘はらずに、ここでゆっくりしていきな?」
邪神もダンジョンも関係なく、クロスティア地方の人達はずっと、いろんな苦労と戦ってきたんだ。
帝都から何も知らずにやってきてしまった私は……ただ泣くことしかできない私は、店主や従業員、それに冒険者達にまで、ずっと慰め続けられてしまったのだった……
邪神がいるといわれていたこの街に、今日も夜が、やって来る。
街の住民を堕として来い、という任務を受けた私は、今日も酒場で働いている。
──それならもう、
言われた通りにすれば良いのでは?
ダンジョンマスターの勧め通りに、私は「任務を続行した」。
帝都にも、ちゃんと事実の報告を手紙で送っている。
護衛の二人は魔物に敗れて逃走。私は一人で、街の住民にとけ込みながらずっと任務を続けている、と。
いつ終わるか分からない任務……もう、終わらせるつもりはない任務だ。
素敵な相手が見つかったなら、ちゃんとがんばって「おとそう」と思う。
そのままここで家庭を作って、幸せになれたら良いと思う。
思ったよりも、私には帝都の空気は合わなかったのだと、ここに住みついて実感した。
任務には、期限も人数も指示は無かった。
あの二人には指示があったのだろうけれど、私は何も聞いてないし、後から言われたって知ったことか。
もうあの二人の顔も、神官様の顔も、忘れかけている。
…ああ、でも、私に治癒の魔術を教えて下さったことだけは、感謝している。
すり傷くらいしか治せないけど、ここの冒険者は「すり傷か、死か」のどちらからしい(?)ので、私の魔術はとても重宝されているのだ。
…だからせめて、お礼にちゃんと教えてあげた方が良いのだろうか?
いくら彼らが貴族でも、ここに来たなら分かるはずだ。
この田舎街には、あなた方の欲しがるものは何もなくて、あなた達には手に入らないものが沢山あると。
そして、なにより。
冒険者達に聞けば分かる。
この街には、怒らせてしまえば「邪神以上に怖い」魔物が待っている。
……それをどう書いたら伝わるのかは、愚かな私には分からない。
だから私は、帝都に送る「最後の報告書」にこう書いた。
『営業時間は9時から17時までだそうですよ』と。




