力に、再び、ふりまわされる(後編)
背中にふれるザワリとした感触に、おれの感動の涙は引っ込んだ。
「………」
「「?」」
…何か来る?
いや、何かって何だよ? 自分の感覚に混乱する。
この町長の寝室は二階にあるのだが、扉の外、おそらく階下のほうから物々しい気配があって……何やら騒がしくなってきた。
なにか異常事態が起こっていることに町長さんと娘さんも気が付いたようだ。
三人で訝し気な顔で外の音に耳を傾けると、二人の男の「お待ちください! いま別のお客様が訪問中です!」「うるさい!!」という言い争いの声が聞こえてくる。
町長さんが深刻な顔でおれに言った。
「…もし君が運動神経に自信があるなら、そこの窓から出て行ってほしい」
「窓から帰宅!?」
もう一度言うが、ここは二階である。
「あと、できれば娘も一緒に抱えて飛び降りてくれるとうれしいのだが……どうだい?」
「難易度高いな!?」
どうだい? って、ついさっきまでの「優しいおじさん」はどこに行った!?
それともこっちの世界では「女の子をお姫様抱っこして窓から飛び降りる」のはごく一般的な移動手段なのか? …と、娘さんの方を見てみれば、あわててブンブンと首を横に振られてしまった。
ちなみに「今のおれ」は前世よりもずっと若い、青年の姿っぽい。
まだ落ち着いて鏡とか見てる暇が無いのだけれど、少なくとも、ヒロインを抱きかかえながら高所から飛び降りる系のマッチョではなかったはずだ。
おれ自身としても、どちらかというと通行人Aの座を勝ち取りたい。
二階から窓ガシャーンとかは、ヒーローのみに許された登場・退場方法だ。
おれには無理だ。いちいち修理代を払えない。
ただでさえ病床の身で顔色の良くない町長さんの顔がさらに曇る。
「参ったな……まだ時間があると思っていたが、隊長だけ先行して来てしまったらしい…」
先ほどの話にあったダンジョン調査隊とやらが来ちゃったようだ。
早いよ、早過ぎだ。
もう少し、せめてあと半年くらいは待ってくれよ。
なんのおもてなしの準備もできねーよ。
扉の向こうから荒々しい気配が近づいて来る。
近づいて来る、となぜか分かってしまうこの気持ち悪さは、一体なんだ?
……そうだ。あのクソ神がおれに押し付けたというアレがコレか!?
うちの祖父は「む、そこかっ!」とか、やってたからな! コレがソレか!?
ついに扉がバーンと開かれた。
…別に建て付けが悪いわけでもないのに、バーンと無理やり蹴り開けやがった。
祖父ならカウンターで即、迎撃しているところだぞ?
入って来た男は、なんというか……西洋風の騎士服? そんな偉そうな感じの姿の、帯剣した男で──
──よく訓練された素人? 着慣れているが戦えない、抜き打ちできないであろう体運びと剣の位置は武器ではなく荷物としてそれを帯びている証拠で、目配り、足運び、身体中からあふれ出す隙は誘いではなく、素? 呼吸と動きの不自然さも持病とかではなく不摂生か? あの服のほつれ、靴の汚れ、戦いで枷になりかねないそれは戦士としてマズいだろう? そもそも……いやいや、待て待て、おかしい、情報量おかしい──
──扉から男が最初の一歩を踏み出すだけで、わっと頭の中が埋まってしまった。
なんというか、男がものすごく、にぎやか過ぎて、目障りすぎる、ように感じる……?
目が、耳が、肌が受け止める、男に対する違和感がものすごい。
なんだこれ?
…ああ、そうか。
あの時に「魔王が」こう見えなかったのは、彼には「隙が無かった」からだ。
この世界で唯一の比較対象である魔王と、この男を比べてしまって「にぎやか過ぎる」と感じているんだ。
…とにかく、扉を蹴り開け部屋へと踏み込んできた男。
町長親子を見つけたそいつは、いやらしい顔でニチャアと笑った。
ニチャアだ。トテモイイ笑顔ダ。
「ここにいたかぁ?」
ついでに、おれの方にも気が付いた。
やめろ、こっち見んな。
おれは通行人Aを目指しているんだぞ? 絡んでくるな。
そのまま真っ直ぐ通り過ぎて、窓から出ていけ!
だが残念ながら分かってしまった。
こっちのほうは神から押し付けられた理不尽な洞察力などではなく、おれの経験則で。
弱者を探す目。抵抗してこない相手に喜ぶ笑顔。
自分が強いと思い込み、上をとったと荒げる鼻息。
人という生き物。
かつておれの住んでいた町や会社に、いっぱい生息していた魔物である。
こいつの思考パターンはこうだ。
町長は狙わない。
一発殴って死んだりすれば、街全員を敵に回しかねないから、まだやらない。
では娘さん?
いつか絶対に襲ってやるが、今ではない、ちゃんと正義が必要だ。
では、そんな親子二人がもっとも嫌がる行為は、弱点は、何か?
そこにぼんやり立っている、二人の客人なのであろう、おれだ。
……と、おれがクズ共の立場なら、こう考える。
歩きながら頭の先からつま先まで不躾に目で舐める。
うっかり自分よりも立場が上の者に手を出したりすれば大変だ。
ストレス解消の相手はあくまで自分よりも下、立場の弱い獲物に限る。
だが問題ない。
おれの服装は木製ボタンの無地のシャツに、長ズボンと動きやすい革靴。
高価な布地や立派な装飾品の一つもないこの姿は、すなわち庶民……とでも判断できたのであろうニチャリ顔。
愉悦に歪んだ目を輝かせ、声を荒げて言い放つ。
「…なんだ貴様はっ、邪魔だっ!!」
少し離れた位置に立っていたおれ目がけて、直進。
その勢い、体重を乗せて突き出した手の平は、おれを壁か床にでも叩きつけるだけの勢いがある。
体格差をいかした「オレ強ェ」プレイの発動だ。
うっかり大怪我させた場合も、言い訳まですでに準備済みなのだろう。
むしろ怪我をさせてからが本番、みたいなものだ。
そういえば階下から声が聞こえてきたあの使用人さんは大丈夫か?
きっと同じように突き飛ばして来てからの二回目の、この躊躇の無さか?
命の瀬戸際に、世界がゆっくりに見える。
怒る町長、涙目の娘さん、嘲りと愉悦の顔の男と、それらの「ゆっくり流れる景色」を前に戸惑うおれ。
こういうのが「大好物」だった祖父ならば、まだしも、
…そう、クソジジイならば、こうだ。
敵が伸ばしてきたその手を、
曲げた手首で、上へと払いのける流れで、
そのまま手を伸ばし、カウンター気味に、
首を狩──
──…力に振り回されるな!!(By魔王)──
──ったらダメだろ!? また殺っちまうッ!?
おれの右手が導くままに、男の頭は床へと直進、もう止まらない。
おれは男の襟首をつかんだ手を、上半身を、前傾姿勢からさらに腕を後ろへ振り抜くようにすくい上げて、男の全身で描く弧を半円から一回転へと強引に軌道修正した。
うなる風切り音と共に男の身体が縦回転して、その頭頂部が床を焦がす。
…よしッ! ぎりぎりセーフっ!? いや、まだアウト!?
そのまま男の体が回って、さらに半回転、ついに床へと不時着する。
爪先、正座ぎみに膝、エビぞった背から肩、後頭部から両腕の順に、ガガッゴゴゴンと、ついに男は変則五点接地を成功(失敗?)してみせた。
…こうして一瞬のうちに伸身後方宙返りからのエビぞりフィニッシュまでを、おれの補助付きで披露してみせた男は………そのままグニャリと沈黙して、仰向けで目を半開きのまま就寝した………男は魔王より弱かった。
「「……」」
そして、おれたち三人は、
「旦那様!! ご無事です……かッ!?!?」
「「………」」
いや、四人は。
ただただ目の前の光景に、絶句してしまったのだった。