彼女の望み
早朝に来客があった。
体調が戻ってきたおれが、リハビリがてら床でも乾ぶきしようとしたところに、スライムが滑るような速さでおれのもとへと走って(?)きた。
どうやら従業員用エレベーターを使って勝手に中まで入って来てしまった「お客様」がいるらしい。
だからおれも我が家の主人として、丁重にお帰り頂いた──
──ぁあああ!!
放せ゛っ、顔、かおが、つぶれ……
はなせ、放せぇえええ!!!
こ、こんな真似をしてただで済むと……
…ギィヤアアァァ!!
ひ、人風情が我にッ、アッ!? アアアア゛!?
い、良いだろう!
我が、貴様の願いを一つだけ、叶えてやろう!!
だから夢神を僭する邪神を今すぐ、ギャアアア!?
なっ、なんでェ!?
ァガッ……──
──……たった一つ?
彼女は毎日、与えてくれるのに?
ずいぶんしみったれた自称、神ですね?
…さて、お手数ですが、
お客様の『お見送り』を頼んでよろしいですか?
フフッ、あの世ではなく、玄関へですよ?
スライムさん。
とはいえ、それなら一度、
お目覚め頂かないといけませんね?
ふむ……
…アテナか暗黒タコさんあたりと相談して、
縄で縛って沐浴がてら、
湖にでも沈めてきて頂けますか───
──病み上がりでめちゃくちゃ不機嫌だったので、つい、強めに接待してしまった。
それでも不法侵入者相手にしては、ずいぶんと生ぬるかったか? とも思っているが。
温かった分は、湖の冷たさで相殺したい………って、何を言っているんだおれは? やっぱりまだ、本調子ではないようだ……
そのままエレベーターと居住区をつなぐ回廊を引き返す途中で、柱のかげに人影を見た。
人影というか、前髪がニュっとはみ出ていた。
…疑似餌か?
ほら、小魚とかおびき寄せるためにチョウチンアンコウとかが使うアレだ。
そんな疑似餌に吸い寄せられて近づいた。
その柱にそのまま寄りかかって、おれはアテナに声をかける。
「…モルフェと君は、一体……いや、何でもない」
「?」
さっきの来客はそれ関連の客だった。おそらくは。
モルフェさんは、邪神らしい。
「見てのとおり、君たちのお迎えっぽいのが来ていたけれど」
「………」
おれの前に立ち、無言で首を横に振るアテナ。
「帰る気は?」
「ない」
そうか。無いか。
どうやら追い返したのは正解だったようだ。
モルフェが色々とおれに隠したい事情があるのは分かっている。
いつか話す、みたいなことを言っていた。
だから、ここでアテナに聞くのはズルいのだけど……やっぱり気になって……
「なぁ、アテナ? 君たちがここに来た本当の理由は……」
「………」
「…いや、ごめん、無し。いまの質問は失言だ、忘れてくれ」
本当は知りたい。
知らなければ、モルフェを守れない。そんな予感がしてならないから。
なら、妥協案は? 代替案は?
モルフェを困らせず、おれの目的が達成できる線引きは、どこにある?
「………」
じっと見つめてくるアテナの前で、頭を悩ませた結果……おれが絞り出せた質問は、これだった。
「…モルフェの望みは、何だ?」
雑な問いかけだ。
いきなり「おまえの望みを言え」とか言われたら、一体なんの話だ!? と思うだろう。
だがアテナは、首をコテリとかしげながらも、即答した。
「幸せな、家族?」
「……………そうか。
……それ、かぁ…」
つい、ふらっとしたのは、病み上がりのせいだけじゃない。
とても良い願いごとだ、バカにするような要素など何も無い。
なんだ? おれはなぜ、戸惑っている?
それならおれも、おれが幸せに──
………?
…ハッと我に返って、アテナを見る。
時間が飛んでいた。
あわてて彼女に弁明する。
「…あ、ああ、ゴメン!
別にその夢に……望みに、文句なんて無いんだ!
ただ、それをおれが叶えてやるにはちょっと……
…おれが、家族というものを、よく分かっていないものだから……」
おれの生い立ちは、あまり一般的な家庭では無い。
顔を覚える前に母は他界、父は逃走し、幼少時から祖父母に育ててもらっていた。
もちろん、祖父母には感謝している。
祖母は世界で最もまともな人間だった。
祖父はクソジジイだったが、あれはあれで………あれだったから、まぁ、あれだ。
ただ……その祖母が、事あるごとにおれに謝罪してくることが痛ましくて。
子供心に「世界一やさしい人に謝罪させてしまう子供」と自分を定義づけてしまっていた。
祖母が謝罪していた理由──おれを捨てた父親とか、劣悪な地元民たちとか──すべてを含めて申し訳なく思っていたのであろうことは、地元を離れて違う世界と比較できてからようやく理解が追いついた。
おれが祖母の立場なら、きっと同じことをする。
謝罪したって何の解決にもならなくても………謝らずにはいられなかったんだ。
「…幸せな家族、って何だろうなー」
クソ人間に囲まれたクソガキが、社会人になって果たして更生できたのか?
それは「一人でいたい、もう終わりたい」なんて言っている時点で、推して知るべしというものだ。
「…むかし、一人暮らしをしていた友人がおれと真逆のことを言っていた。
休日に一人で部屋にいると気が狂いそうになる、ってさ。
そいつは外向的な性格で、人情味あふれる奴だった。
おれとは真逆の……それを見て、ほんと、色んな価値観があるんだなと知ったよ」
おれは言うまでも無く、休みの日くらい一人でいられないと気が狂いそうになる派である。
アテナさんはインドア派? で良いのだろうか?
だから幸せな家族とやらはおれには難しい。
「……ついでみたいな流れで聞くのは申し訳ないけど」
「?」
「君の望みは何? アテナ?」
いきなり質問されても困るかな、とも思ったけれど。
だが意外なことに、こっちの問いには首をかしげることなく即答だった。
「夢神の幸せに、わたしも便乗する」
胸を張るように、前髪をみょいんと揺らして言い切った。
………この子は、ほんと、隠しもせずに……!?
呆然としたままのおれに、彼女がさらに追撃する。
「アルジィなら、きっとできる」
そのまま彼女がおれの手を取り、小指と小指をからめて告げる。
「だから、約束」
「待て」
これはいけない。きっと聞き流してはいけない話だ。
指をからめようとした彼女の手を即座につかむ。
目を閉じて、深くひと呼吸。覚悟を決めて、目を開く。
「約束は、できない──」
──その後、おれはまっすぐに自室に戻って、寝た。
どうやらぜんぜん体調は治っていなかった。
どうかしていた。
恥ずかしげもなくベラベラと。
病み上がりで頭がイカれていた。
だからもう、今日もボス部屋はアテナに任せて反省……安静にしておくことにしたのだった。
◆ ◆ ◆
体がドロリと崩れ落ちた。
誰か、やって来たんだ。
「彼らの望む」ボクの姿。
つかめなくなった引き出しから、どうにか包帯を取り出そうと、もがく。
油断してた。
いつかこうなる、ちゃんと用意しておくべきだったのに。
きっと力を使ったせいだ。
あの夜、呼ばれたことを利用してむりやり呪いに介入したのが、他の神々にバレちゃったんだ。
それを理由にわざわざここまで、どれかの神が降臨してきたんだ。
…それならもっと前に、ティアちゃんの夢にボクが入った時に来れば良いのに。
君たちが、彼女を導いてあげれば良かったのに……
ボクが解決したのが気に入らないから、今頃になってやって来た。
……邪魔して、追放して、また邪魔しにやって来て、君たちは本当にわがままで………本当に、「人」の写し鏡だ。
ぐちゃぐちゃの手から、包帯がこぼれ落ちる。
「こんな姿、いまさらアルジィには見せられないよ……」
アテナちゃんを呼べば、触ってもらえば、きっと「彼女の望む姿」に戻せる。
だけど、それはやったらいけない気がする。
ボクはもう「モルフェ」だ。
戻るのなら、モルフェに戻らなくちゃ……!
…自覚が足りないみたいだが、
君は「おれの理想が服を着て歩いている姿」んだぞ?
だから、もっと、自重しろよ……!?
…アルジィはきっと、待ってくれる。
ボクがモルフェに戻るまで、待ってくれる。
うまく立てない、けど、こういうのは、つい最近だって……!
──移動する時はこう、
親指の付け根だけでグッと踏み込むように。
でも、踏ん張る時はこう、
足の裏ぜんたいで地面をつかむ気持ちで重心を──
お腹に力をこめれば、だいたいのことは耐えられるって、アルジィが……
こう、腹踊りみたいな感じ?
上下左右にお腹をひっこめて内側の筋肉を……
あ、そっち? 攻撃を受ける時?
それは呼吸を止めて、下腹にグッと力を込めて──
あきらめちゃダメ、最後まで、「相手を見て」……
視線を切るなッ!
動けなくても構えを崩さず、威嚇しろっ!!
目が動かずとも、意識を向けろ!
おまえを倒すと、意志をぶつけろ!!
…ふふっ。
あの時のアルジィ、あとで必死に謝ってたけど。
おかげで、アルジィがお祖父さんとどんな練習をしてたのか良く分かったよ。
…あれっ?
ボクこっちに来てから、毎日のように練習してない?
…汗をふいたら、
そろそろ服を着てくれませんかねぇ?
は? 着てる?
おまえ、分かっていてそんな……
…脱いであげても、良いんだよ?
…フフ。良いでしょう、受けて立ちましょう。
実は、服は武器にもなるんですよ?
もちろん性的にではなく、物理でも。
今から、その練習もしておきましょうか……?
ちょ! ちょっと待って!?
アルジィ、そっちのアルジィは呼んでない──
「──呼んでないからぁ!? あっ!」
鏡の向こうに、「モルフェ」が立ってた。
「……? どうやって、この姿に……
…そうじゃないっ! いまはそっちは、あと!!」
急いで服を着て、走る。
気配のした場所に向かう途中で、その気配が、プツっと消えた。
もたもたしているうちに終わっちゃった!?
きっとアテナちゃんが追い払ったんだ。
…やり過ぎてないと良いんだけれど……!?
着いた時には、やっぱりアテナちゃんしかいなかった。
「……ハァ、ハァ。
ご、ごめんね、アテナちゃん!
君が……君がここにいることまで……知られちゃった、ね?」
「………」
…あれっ? 違うの!?
どういうこと!?
「えっ、それなら……勝手に来て、勝手に帰っちゃったの?
…んっ? それも違う!?
え、ちょっと? アテナちゃん?
ここで何があったのか教えて───
──ギャアアア!?
なっ、なんでェ!?
ァガッ……
……たった一つ?
彼女は毎日、与えてくれるのに?
ずいぶんしみったれた自称、神ですね?
──約束は、できない。
それは、君とではなく、
モルフェとするべき約束だ。
だけど………フッ、ハハッ!
いや、ひどいな、おい!?
さんざん甘やかしておいて、今さら、約束!?
彼女なしでは耐えられなくなった頃に、
ハイ、サヨウナラなんて……許すとでも?
約束も何もない。
ここをつくったのはおれと彼女だ。
彼女がそれを望むのならば、
それもここで……おれが叶える。
…便乗したけりゃ、せいぜい、
乗り遅れないように、ついてこい──
「──のぞむところ」
「えっ、なにを? のぞむの?」
口元をほころばせたアテナちゃんが──はっとして、サッと顔を隠して、走り去った!?
「っ!?
なんで逃げるの!? どうしたの!?
なにがあったのか教えて、アテナちゃん!?」
両手で顔を隠すようにして、ぴゅーっと走り去るアテナちゃん。
…うれしそう、だった?
よく分からないけど、良いことだったら、それでいいかな?
……じゃなくて! 結局ここでなにがあったの!?
なんで来て、なんで帰ったのか、教えてよ!?
結構、重要な話だよそれ!
だれか、ちゃんと教えてよ!?




