理由(後編)
◆ ◆ ◆
優しい子だった。
愚かな子だと思っていた。
生きているうちにここから出て旅をしたい。
そんな言葉を真に受けて、わらわの封印を解いてしまうほどに愚かな娘。
噓は言ってない。
ただ語弊はあった。不老ゆえに「生きているうち」とは永遠のこと。
そして何より、封印を解けば最初に食らうつもりだったのは──
──ホッとした笑顔。
諦めでは無い、良かったね、という本気の共感。
…すっかり興が醒めてしまった。
精霊達はわらわのように賢くはない。
純心が多い。
あの笑顔に騙されて、弱き精霊が散っていった。
散っていくその姿に、あの笑顔が消えてしまった。
…精霊達は大地へと還っただけだ。
説明したが、理解させることができない。
笑顔が戻ることは無い。
…なぜ、このわらわがそんなことを気にしているのか……分からない。
なにより、その慟哭。
わらわのために封印を解いたその娘が、精霊達のために泣き叫ぶ。
わらわは彼女にとって、他の精霊達と同格で、特別な存在などでは無かった。
嫉妬、失望、困惑、後悔。
………思っていたよりも、わらわは賢くなかったようだ。
◆ ◆ ◆
少女の首にまきついた小さな青竜が、彼女に言った。
「…なぁ、やはり引き返さないかティア?」
勝ち目がない。守れない。
ならばこう告げるしか無い。
恥を忍んで告げた提案も、彼女に首を横に振られてしまった。
洞窟とも呼べぬ浅いほら穴に沈黙が満ちる。
しとしと降っていた雨はようやく止んで、代わりにうっすらと霧が立ってきた。
これならきっと足跡も消えたことだろう。
視界も悪くなってきた。
もう、誰も追いかけて来られる者はいないはずだ……
音もなく現れたのは小さな白虎。
彼が咥えていたのは木苺だった。
そのまま少女の胸へと飛び込むと、彼女は慣れた手つきで抱きかかえ上げ、そのまま口移しで木苺を渡された。
「ちょっとヤベーにゃ。静かすぎるニャ」
「む……これは…」
小虎の言葉に小竜も周囲の様子を探る。
たしかに静かだ。
虫の鳴き声ひとつもない、異常事態だ。
…こういう時こそまさに、あの暗黒卿の出番だろうに。
だが、付いて来なかったもののことを今さら言っても仕方がない。
二匹の精霊が、無言でうつむく少女の顔を心配そうに見る。
「………」
「ティアにゃん、心配はいらねーニャ、どうにかなるニャ。
いざとなったら真の姿を出して、本気の全力で守りきるニャ」
こういう時に、こいつがいてくれて助かった。
わらわにはそんな無責任なことは口にできぬ、と小竜は思ってしまった。
「全力をだすニャ、セーリューが」
訂正。やっぱり無責任なやつだった。
「なっ!? …そ、そうだぞ、ティア?
いざとなったらわらわが本気の力を、だして、やらんことも、ない、ぞ?」
「そこはキッパリ言い切らねーと逆効果だニャ」
出せるものなら出している!!
それで倒れたら玄武、鳳凰の二の舞だ!!
その時はいよいよティアを守れる者がいなくなるだろうがっ!!
言いたい本音はティアの前だからどうにか飲み込み、それでも白虎にむかって青竜が怒りをぶつける。
「…ならば、貴様がもっとまじめに働け!!」
「我が輩はいつも誠心誠意、全力でガンガンやってるニャー」
「そうか。全力でがんがんサボろうなんて、いい度胸だな?」
「「!?」」
来た。
まさかと思ったが、来た。
きっと来ないであろう、来れるはずのないその男が、もう追いついてきた……早過ぎる!?
ドクンとはねた心音に耳を傾けながら、少女の腕の中の小虎があえて変わらぬ口調で反論した。
「…いやいや、わりとまじめやってたのに、ちょっとヘコむニャ。
主さんはどうやって、我が輩の警戒をすり抜けてきたニャ?」
「風下からこっそり近づいて来て、だが?」
「…なんのひねりも無いのが、ますますショックだニャ……」
せめて未知の魔術か何かでも使っていて欲しかった。
ド直球の正攻法のみで、精霊の全力の警戒網を突破されてはさすがに自信が無くなるというもの。
呆然としていた小竜も、ようやく思考が追いつくが、
「……はっ!? 貴様っ! いまさら何をしに……おおぅ!?」
小竜を口に咥えてサッと飛び退いた小虎。
少女と青年、二人の姿だけがそこに残った。
「…おれん家は、気に入らなかったか?」
「……違う」
「…モルフェやアテナが嫌いになったか?」
「違う」
「…食事か? スライムか? それとも……おれか?」
「違う! 違う違う、違う!!」
彼女は叫ぶように否定した。
「楽しかった!! うれしかった!! だから!!
もう、怖いのは、ヤダ!!
大切だから、無くすのは、もうヤダ!!
だからもう、お願い、一人にしてっ!!!」
「そうか」
膝から崩れ落ちる彼女を、霧雨に濡れた大きな腕が包み込む。
「ならばおれも本音を言おう。
迷っていた。
巻き込むのはおれの方だと思っていた。
おれの立場は危うい。君の危険をさらに増やしかねない」
「………」
少女は目を丸めた。
自分がいたら危ないと思っていたのに、いた場所が危なかったなんて思いもよらなかった。
そして、暑い。
ここまで全力で走って来た彼の熱が、その勢いのまま彼女を抱きしめる。
「だが………いま、覚悟が決まった」
「……っ」
…はなれなくちゃ。
甘く温かな安らぎに、わずかに判断が遅れたティアがその身を引こうとするも、大きな手がティアの頭をグッと引き寄せる。
「いま、理由をつくってやる」
「!?」
…グッと荒々しく撫でられる頭。
力強く鷲づかみにされた肩。
もう逃がさぬ、という意思表示。
静かな気迫のこもる男くさい低い声が、ティアの耳元でささやきかけた。
「…おう、嬢ちゃん。
そう簡単にうちから足抜けできるなんて思うなよ?」
「!?!?」
泣く子をあやすには少々、荒々しすぎる手つきでわしゃわしゃと髪をかきまぜながら、男が続ける。
「そんな簡単に出たり入ったりできちまうなんて、勘違いされちゃ困るんだよ。
甘い場所だと思い違いする冒険者どもを、これ以上ふやすわけにはいかねぇんだ。
分かるか? ダンジョンはな、舐められるわけにはいかねぇ商売なんだ」
なんだか危ない大人の話を、ダンジョンマスターがティアに語る。
「うっかり入って、知りませんでした、で出してもらえるダンジョンじゃ無ぇ」
だが、その荒い手が不思議と心地よい。
怖い言葉なのに温かい。
「どうしても、ってんなら、ケジメをつけろ。
モルフェ、アテナ、スライムどもに、きっちり話をつけていけ。
そん時は最後に、おれだ。
おれをきっちり倒していけ」
そんことはできないと、ティアにも分かる。
この人はきっと、すごく強い。
むりだ。はなれられない。
両肩を放さぬまま、目線をあわせて、近づいた男の顔にティアはドキッとする。
「これはおまえのせいじゃねぇ。
おれの、つまらねぇ意地のせいだ」
そう言って苦笑いする青年は……男女の仲というよりも、孫でもあやす壮年のように語りかけた。
「…だから、な? 子供がいちいち細けぇこと気にすんな。
おれんちで食って、寝て、やりたいようにやりゃあ良いんだ。
邪魔するやつらは片っ端からおれがぶん殴ってやる!
おまえの居場所は、おれがきっちり守ってやるから」
熱い手の平が、彼女の頬にそっとふれる。
「おまえがちゃんと笑って、怒って、ムカつくやつらとケンカができるその日まで。
逃がしやしない。
おまえがもっと強くなるまで、しばらくおまえは、うちの子だ」
彼女の歪んだ視界が、頬をたどる雫とともにスッと晴れる。
やさしい星空が、彼の顔が、目覚めたようにはっきり見える。
「…まぁ、難しい話はまた今度にしようぜ?
さぁ。帰るぞ、ダンジョンに」
「………ぁい」
引きつる嗚咽で、それは言葉にはならない。
だから、彼の背中に回した小さな手が、彼女からの返事だった。




