異変(3)
水ぶきの悪夢、再びである。
早朝、我が家の廊下にやってくると、なんだかわらわらと人が集まっていた。
まずアテナ。
雑巾で床と自分の服の裾をべちゃべちゃに濡らしているのは、前回と同じ。
違うのは、そんな彼女の後ろから、追走するスライムが床をきれいにふきとっている点。
…その気遣いはうれしいけど、それならもう、スライムだけで床掃除すれば良いんじゃないのかな?
そして彼女に付き合わされているのであろう、ティア。
「…あ。あの、おはよう、ございます」
「おはよう、ティアさん。
それで、えっと……三日以内には飽きるはずだから、それまで付き合って上げてください」
「は、はい!」
そしてしゃがんで、ティアの手を取って、確認する。
「えっ、あ、あの……?」
「雑巾しぼりは、特に子供の手には負担が大きい。すぐに手がボロボロになるから気をつけなさい。
……もし明日もやるなら、水ぶきではなく乾ぶきでお願いします」
おれの行動に顔を赤くしてコクコクうなずいたティアが、そそくさと水ぶきで去って行った……もたもたと、去って行った。
いっそモップとか用意してあげた方が良いのだろうか?
そこに一人……いや、一匹?
床を素早く動く赤い影。
そのまますぃーっと泳ぐように、おれの方へとやって来た。
「ご覧ください。史上初、水ぶきするタコさんです」
「安心しろ、しゃべっている時点でもう、おまえの優勝だよ」
そこからさらに廊下のすみで、床で仰向けにゴロゴロしているネコと、大人しくとぐろを巻いているヘビ。
「床を背中でふいているニャー」
「そうか。ならば足の裏でおまえのお腹もふいてやろうか?」
「…わらわは手伝わぬぞ?」
「そうしてくれ。実は誰も、得していない」
「…ひどいニャ」
「ひどいやつだ」
「ひどくない。ティアとアテナを止めないおまえらの方が、ずっとひどい」
遊んでないでティアを止めろ。
毎日スライムが床を掃除しているのに、水ぶきをする必要なんてない。
繰り返しになるが、おれが床を乾ぶきしているのはただの趣味だ。掃除じゃない。
そんな朝の水ぶき集団を廊下のはじで見守っているモルフェの方に歩いて行った。
「…朝早くからごめんね?」
「いや、そっちこそ、朝早くからありがとう?」
そのまま二人で小声で話した。
「…たぶん、ティアは必死だ。
あれは善意のお手伝いではなく、彼女にとって生き残るための義務なんだ」
「義務?」
朝からお手伝いえらいねー、なんて話ではない。
「自分の有用性をどうにか示しつつ、決して隙を見せてはいけない。
彼女は常に警戒し続けなければならないんだ……」
「それは……考えすぎじゃないのかな?」
そんなことはない。
周囲の評価は、生存のためには必須なんだ。
それは大人も、子供も、変わらない。
今のティアは、アテナのために買った予備の服を着ている。
だが、その上にはやはり着古した赤黒い外套をつけたまま。
「…彼女はまだ旅の途中だ。
どこにも、たどり着けていない」
「…そうだね」
「…だから、もっとちゃんとした居場所をつくってやらないと」
「うん」
その日からティアにも朝食の準備を手伝わせることにした。
…と言っても、刃物をもたせるのも不安なので、ひたすらイモを潰す作業だ。
それでも食べ物をあつかうのだからキレイな格好で、ぬれ雑巾でびちゃびちゃな姿ではいけないという理由をつけて、彼女の仕事を変更させた。
こうして我が家の食卓に、しばらくマッシュポテトが並ぶようになったのだった。
◆ ◆ ◆
おれは町長の家へ経過報告にやってきていた。
そしてまた、町長の奥さんに頬を笑顔でつねられていた。
「どうりで狼の姿が消えたと思いましたわ、フフフ」
「…まだあれから三日しかたってないよね?」
痛くはないけど、町長さんは見てないでちゃんと阻止して欲しい。
「ほらソニア、そろそろやめなさい。
ごめんねアルジィ君? ソニアも森を夜通し調べ回っていたものだから……」
「…調査の邪魔をしてしまったようで、すみません」
「こちらこそ八つ当たりしてしまって申し訳ありません」
気を取り直して、報告にうつる。
「ちょっと他の皆さんには話しづらい内容もあるので、どこをどう伝えるかは町長さんにお任せしたくて」
「…ちょっと怖いけど、聞こうか」
結論から言えば、炎狼と氷狼を街の周辺から撃退した。
斥候を放ち、発見して、こらしめて、全員にご帰宅いただいた。
「ご帰宅いただいた?」
「具体的には、獣避けを──といっても柑橘類の汁から作った、ただの香料ですが。
それを狼たちに浴びせまして」
狼たちにとって生命線であろう嗅覚をつぶしてやったら、やつらは撤退したのである。
もともとここが縄張りではないから、危機に瀕すれば安全な場所へと帰るだろう、と思って。
「どうやって狼たちを見つけたんだい?」
「それは斥候担当のスライムたちを。ちょっと待って下さい……こいつです」
腰鞄に入れてきた手の平サイズのスライムを取り出して見せた。
「あら、かわいらしい」
「ずいぶん小さなスライムだね?」
「彼らが人海戦術でそっと風上から狼たちを取り囲んで、その鼻先に獣避けを、シュッと」
「…想像すると、ちっともかわいくないね?」
このスライムは透明度も高く、無色、無臭、無音で移動できてしまう。
あと液体を体内に保管できるから、獣避けを持たせて野に放った。
ちなみに、自分の体についた獣避けのにおいを互いにムニムニと消し合ってから出発するという賢さも備えている。
そこに気付かなかったおれよりも、スライムのほうがずっと賢い。
「ここまでは話しても問題ない部分でして。
…実は、ひょんなことから狼たちの捕獲にも成功してしまいました」
「…捕獲……できるものなの?」
「…ひょんなこと?」
…うん。秘密にする予定だったけど、こんな事態になったから白状してしまおう。
「…その。こっそり建設していた偽サウスティアに狼がやってきたので、捕獲しまして」
「「偽サウスティア」」
もちろん誰かを騙そうとして偽街をつくったわけでは無い!
ただの……出来心だったんだ!
「…できごころで、つい」
「つい?」
「街を?」
…データが欲しかったんだ。
なんか街とかつくれそうだから、当たり障りのない土地を適当にみつくろって、試しに街をつくったら、できちゃったんだ。
サウスティアの完全コピーである。もちろん人は誰も住んでないけど。
これをつくる速さ、変更する手間、撤去して元通りにするために必要な魔力、それらを計っておきたかったんだ。
わーい、一夜城だー、なんてはしゃいで遊んだりはしていなかった。
そこに狼がやってきて、「秘密を知った以上、逃がさぬ」となってしまった。
なんだかんだあって、ぜんぶ捕獲した。
「…楽しそうだね? アルジィ君?」
「はい、すみません。 …それと、問題はここからでして」
「えー、あんまりもう聞きたくないなあ」
「あら? わたしは聞きたいわ、メイヤー?」
「捕獲した狼をダンジョンコアに解析させた結果、呪われていることが判明しました」
「「うわぁ」」
どうやらあの狼たちは、何者かが人為的にこちらに向けて放った刺客だったようだ。
なんとなく、通常狼と呪われ狼で行動パターンが異なっていることに気が付いた。
なにが異なるか調べているうちに、呪いのこと、そして呪われている方はこちらの何かを探っているように見えることが判明したので、もっと詳しく調べることになった。
背後にいる何者かが、サウスティアを狙っていると推測している。
「…ふむ。そういうことなら、私からも報告があるのだが」
「町長さんから?」
「君が話していた『冒険者を雇って街に送り込む』可能性。
気になって調べてみたのだが、残念ながら当たりだったよ」
「…そうでしたかー」
念のために町長さんが酒場の従業員たちを中心に、冒険者たちの動向を調べるように依頼した。
すると、わりとあっさりと判明したそうだ。
この街に来ているのに、ダンジョンに行かない冒険者が三名いた。
あとはその三名に元上級冒険者のソニアさんが「話を聞いたら」あっさりとボロを出した。
だから彼女が「じっくりと話を聞いた」そうだ。
「こう、イスに縛り付けて、回復薬とそれ以外をまぜた汁を、鼻の内側にね?」
「なるほど。鼻と耳は閉じることができませんからね」
「やめてね? そんな話で二人で意気投合しないでね?」
そんなソニアさんとの話し合いの結果、彼らは「呪いの魔女」に雇われてここに来たことが判明した。
「…だけどあの子たち、まだ何も指示を受けていなかったのよ。
前金をもらって、街で待つように言われて、それっきりらしくて?」
「…狼たちと同じなら、やっぱり呪い?
これからかけるのか、もうかかってるのか?」
「どうなのかしら? まだ操られているようには見えなかったわ?」
こちらで捕獲した狼たちにどんな呪いがかかっているかは、目下ダンジョンコアが解析中である。
「…おれが敵の立場なら、爆発する呪いでもかけるのか?
それとも病気か毒にでも感染された上で街に送り込んだ?
あるいは調査目的か?」
たとえば領空・領海侵犯は挑発ではなく敵の対応スピードを計測するのが目的、なんていうし。そういうデータ収集のために冒険者たちを送り込んだ?
「そうなのよ。
気持ち悪いからさっさと街から追い出しちゃったけど、こんなことなら最初からアルジィさんに相談すれば良かったかしら?」
その言葉には町長さんが異議を唱える。
「…そうでもないよ、ソニア?
ダンジョンマスターであるアルジィ君と私達が繋がっていることが秘密なのは、我々の強みだ。
これを隠したまま帰しておいたことも、正解だよ」
町長の言う通り、サウスティアはダンジョンマスターとの交渉に成功しただけ、というのが建前だ。
こんなにもべったりと裏で癒着していることは対外的には秘密にしているし、住民たちも口外しない徹底ぶりだ。
そういえば、あともう一つ報告しなければならないことがある。
「それと、あらためて確認しておきたいのですが……」
「ああ。ティアちゃんのことかい?」
町長さんも彼女のことは良く知っているらしい。
「私達も街のみんなも彼女のことは心配していた。
だからアルジィ君のところにいると聞いてほっとしたよ。
申し訳ないが、このまましばらく君のところで匿ってあげてくれないかい?」
「それはかまわないですが……うち、ダンジョンですよ?」
下から数えた方が早いくらいの危険地帯だ。
活火山、砂漠、密林、ダンジョン?
本来であれば人を匿うような場所ではない、はずだ。
「うん? サウスティアで一番、安全なところだよね?」
「クロスティアで一番かもしれないわね?」
おかしい。認識に大きな齟齬があるようだ。
そこにさらに、ソニアさんの何げない一言。
「もしかして、ティアちゃんが見つからなくなって、あせっているのかしら?
だとしたら、いい気味ね。ふふふ」
…この時はまだ、その答え合わせが、すぐそこまで迫っているとは思わなかったのだった。




