とある男の終わりと、延長戦(1)
怒りで頭が真っ白になり、スッと脳が凍えていく。
「…へぇ? それで?」
ついさっき、やらかしてしまったばかりだ。
もう間違わない。怒りは、焦りは、すべてを台無しにしてしまう。
やると決めたら、冷静に。
「…問答無用でこんなところへ連れてきた上に、家族のことまで?」
相手のすべてを見落とさないように研ぎ澄ましながら、言葉を重ねていく。
「さすがは自称神様、人の生を弄ぶことに躊躇いが無いですね?
大変イイ趣味をしていらっしゃる」
「わ、悪気があってやったんじゃないんじゃよー!?」
「なるほど? 悪気がなければすべて赦されるという神理論?
それともあえて傷口に塩まで塗ってみせるのが神の試練?
いずれにしても……これ以上は、話しても無駄だということが良く分かりました」
「ちょ、ちょっと!? 待っ──」
おれたちの間に彼が割って入る。
「──おい!! あなたはもう黙れっ!!
そして君もだっ! 落ち着け!!
いまの君は条件次第で神をも殺せる!
力に振り回されるな!!」
だが、それがますます気に入らない。
どんどん心が冷めていく。
「さんざん煽っておいて、さらにおあずけ?
あいにく今の私はそんな被虐プレイを愉しむ気分ではありません。
…ああ、もっとはっきり言いましょうか?
死にたくなければ、どきなさい」
「…力に振り回されてはならない……!!」
「さもなくば、あなたもついでに、永遠に寝かしつけて差し上げますが?」
おまえらのその寝言にふさわしい姿に変えて差し上げるが?
そもそも、おれがこうなったのは──
◆ ◆ ◆
おれが育った場所は、あまり一般的な環境とは呼べなかった。
おれが物心つくころには母は他界、父は逃走。
おれの引き取り先は優しい祖母と、イカれたクソジジイ。
おれを育てたのは祖父母だった。
祖父は犯罪者では無いが、悪党。
毒を以て毒を制す、を体現したような男。
結果的にはあの地域の治安もあいつが守っていたようなものだった。
だが、それで納得できる住人ばかりではない。
そして、そのしわ寄せはすべて孫のおれへ。
陰湿ないじめを毎日うけ続ける日々だった。
たまにやり返せば、すぐに大ごとになって、クソジジイまでも参戦。
誰にも手が付けられなくなって、そのはけ口もまた、おれに向かう。
優しい祖母は泣きながら「本当にごめんね」とおれに謝る。
世界でただ一人だけ優しい祖母に日々、謝罪させることが苦痛で……
…身内の恥でしかない祖父が、それでも何も気にせず生きているという事実に、なんとなく慰められていて……
そんなどこにでもあると思っていた日々。
やがて大学生になって地元を離れて、あの日々が実は異常だったとようやく知った。
子供から大人までいじめに加担した上に、まじめな子だからなんて理由で学校から町内会まですべての雑務を子供一人に押し付けるのは立派な児童虐待らしい。
いままでよく平気だったな? なんて初めてできた「ふつうの友人」に呆れられ、同情された。
さらに長年の過度なストレスによって味覚障害を患っていたことまでここにきて発覚。
他にもいろいろ心身に故障があって、実はぜんぜん平気じゃなかった。
ちっとも平気じゃなかったおれは、笑う友人たちから「陰険メガネ」の称号を賜った。
納得いかない。
笑顔の裏で何を考えているか分からないやつ、なんて言いだしちまったら全人類を陰険メガネと呼ぶべきだろ?
……悪いのはメガネか? それならせめて、インテリメガネと呼んでくれ……
こうして無事に歪に成長したおれは、ふつうのブラック企業に無事に就職、たまに部下から慕われたり一部の上司に危険視されたりする社畜へとすくすくと成長したのだった。
たまに祖母とは電話で話した。
呼んでもないのに電話に出てくるクソジジイはこの上なくウザかった。
……二度とあの町には帰らなかった。
それでも奴等一人一人の顔が、声が、一挙手一投足のすべてが、夢に出てくる。
刻まれた記憶は忘れたくとも、何一つとして忘れられない。
殺……
やがて祖父母も天寿を全うした後の、ある日のこと。
おれ宛ての簡易書留が会社に届く。
町内会長からおれへの緊急令状……なんて法的根拠は何もない命令書。
わざわざ職場に届いたのは、奴等がおれの所在を知らなくて、職場の個人情報が流出でもした結果なのだろう。
手紙を読んで、すぐに理解した。
奴等は数十年前と何も変わらない。
寄付、責務、町のため、おまえのため、いますぐ町に戻ってきて義務を果たせという内容。
おれへの役職就任やら金の無心やらの「お願いごと」のために呼び出された、おれ。
それでもあえておれが「帰ってきた」のは、ここで決着をつけるため。
決着をつけるしかなかった。
奴等がおれを捕捉した以上、もう終わらない。
そして祖父母がいない今、おれが忖度すべき相手も、弱みも何もない。
奴等の前に、おれは立った。
当然、おれはすべての要求を拒んだ。
おれが唯々諾々と服従するとでも思っていたのだろう、奴等はその目をまるくした。
だが奴等はすぐに「いつもどおり」になった。
恫喝、脅迫、強気に出ればすべて要求が通ると思っている悪習、悪癖。
…もっともこれは、会社でもわりと見かける光景だ。
だが、違うのはここから。
猟銃。
刃物や銃を持っただけで神にでもなれたかのような、優越感に歪んだ目。
これがこいつらだ。子供のころから知っている。
こちらが引けば「冗談だよ」と言いはり、引かなければ「本当にそれを使って」悪いのはおまえだと主張。
…その自信の根拠は? 自分は正しい反撃されないと思い込める理由は、一体、なんだ?
あえて銃の存在に気付かないふりをしていた。
だが、おれの反抗的な態度に奴等はどんどん激昂し……
…ついにその銃口がこちらに。
冗談だ、なんて理屈は通じない。
無意識に動いたおれの足と、銃声。
蹴り払われた銃身が、倉庫に向けて暴発。
よりにもよってあんな所に夏祭り用の花火、また無認可所持か?
光と轟音。
周囲は大爆発に包まれて──
──町は炎上した。
耳鳴りの中、どうにか地面から体を引きはがす。
周囲には誰もいない、なにもない。
人だけでなく建物もあらかた吹き飛んで、更地が広がる。
近くの炎と遠くの炎、ただただ炎とその煙しか視認できない。
あまりにも、あっさりとした結末だった。
…失敗した、後悔した、これで終わり? 嘘だろう!?
やり場のない怒りに、頭をかきむしったところで手遅れ。
なぜ!? 同じやるなら、もっと上手く!! やれただろう!?
やつらを、ちゃんと、一人残らず虱潰しに八つ裂きにッ、できただろうッ!?
祖母の悲しそうな顔と、おれを指さして嗤うクソジジイの顔が脳裏に浮かんだ。
申し訳ないような、腹が立つような、喉から漏れ出てきてしまっている乾いた笑い声が、おれのものだとやっと気づく。
業火の中で一人、おれは笑い続けていた……
…酸欠なのか、無気力なのか、不本意な形の結末への脱力なのか、目の前が真っ白になっていき──
「──そうか、おまえのせいか」
「えっ!? 何が!?」
真っ白な空間で、目の前には真っ白な服を着たじいさん。
神様? そうか、おまえか。
こいつが「おれに天罰をくだした元凶」だと思ってしまったんだ。