五話
教会近くの広場で、ウノ、ドレ、トエの三人を見つけたアウラは、思わず吹き出しそうになった。三人があまりにも自然に、市場の風景の溶け込んでいたからである。彼ら兄弟は元々が農民なので、当たり前といえば当たり前なのだが、騎士としての姿しか見たことのないアウラにとっては、可笑しな姿に見えたのだ。
「水晶に反応はあったか?」
三人が広げている露店の前に近付いたアウラは、長兄のウノに小声で話し掛けた。
「接触は避ける予定ではないのですか?」
アウラの質問を無視して、ウノは小声でアウラを詰問する。非難めいた口調なのは、彼の身を案じているからだろう。
「予定を変えることにした。恐らくだが、水晶に反応は出ていないだろう?」
「仰る通り、今のところ反応は有りませんよ」
「思った通りだな。母上たちの居場所については、既にバレているようだ」
「何故そうなるのです?」
「サリールに確認したのだが、ミスリル鎧の連中が流民街に現れ始めたのは、一週間ほど前からだそうだ。そうだったなサリール?」
「は、はい」
急に話を振られたサリールは驚いて「ビクッ」と体を震わせた。
「最初は、かなりの人数が流民街に出入りしていたらしく、物々しい様子だったそうだ」
「はぁ……」
要領を得ないといった様子で、ウノは呆けている。
「わからないか?先日、サリールが見掛けた鎧の連中は数人程度だ。数が減っているんだよ」
愚直なウノには、それでもピンとくるものがないようで、考え込んでしまっている。
「兄さん。アウラ様は、連中はワザと数を減らしていると言いたいんだよ。追手の数が減ったから、逃げられるぞ!と王太子妃様たちに思わせようとしているんだ」
今まで客の相手をしていたトエが、客の相手を次兄のドレに譲って、アウラたちの話に加わってきた。
「そういう事ですか」
「トエの言った通りだ。奴らの行動から考えて、母上たちの居場所がバレているのは、まず間違いないだろう」
「そうなると、王太子妃様たちの事が心配ですな。状況を知っているなら、すぐにでも王都を離れようとするのではないでしょうか?」
「そう……だな」
アウラは微妙に言い淀んだ。ウノは、虎将軍の妻が狐と呼ばれているのを知らないらしい。どこまで、母がコクレア陣営の動きについて把握しているのかはわからないが、簡単にしてやられるような人間ではないのだ。彼が心配しているのは母親の安否というよりも、彼女がどういう行動をとるのか、わからない点だった。
アウラは、三人に新たな指示を与えると、サリールと共に市場近くにあるルベル教会に向かった。
「アウラ様、申し訳ありません……人数が減っている事には気付いていたのに、それが重要なことだとはわかりませんでした」
サリールは、自信満々に全員に対して指示を出したことを恥じている。アウラが違和感に気付かなければ、王太子妃一行と共に王都を離れたところで、コクレア王子の追手によって全滅するようなことになっていたかもしれない。
「気にするなサリール。私は、コクレアとキブス公爵のことをよく知っているからな。それで、違和感に気付けただけだ」
「はい……」
失敗を気にしているアリールの表情は冴えないが、アウラはそれ以上の言葉を掛けるのは控えた。慰めすぎても彼女のプライドを傷つけるだけであるし、彼女なら失敗を糧に出来ると信じてもいるからだ。
しばらく市場の奥に向かって歩いた二人は、やがて、赤砂を固めて作られた扉の前にたどり着いた。扉に使われている赤砂は、ルベル教の聖地でとれるものであり、この赤砂の扉を通ることで、ルベル教徒は聖地に帰ってきた事になるのだと言われている。
「中に入ったら、私は、ユリウス司祭に話し掛ける。サリールは先ほど伝えた通りに動いて欲しい」
「わかりました!」
ここに来るまでに、気持ちの切り替えは出来たようで、サリールは小声ではあるが、はっきりとした声で返事をした。
教会の中に入ると、数名の信者が目に入ってくる。平日の昼間なので人数は少ない。ほとんどの信者は、教会中央に鎮座するイコンに向かって熱心な祈りを捧げているが、教会端の席に腰掛ける商人風の男が、こちらに向けて一瞬鋭い視線を向けたことを、アウラは見逃さなかった。目線でサリールに合図を送ると、彼女もその男に気付いたようで、彼に一礼をしてから入口近くの席に腰掛けた。修行僧の従者が、ルベル教徒であることは必須ではないので、教会で何もせずにいることは不自然ではない。アウラは教会の中央に向かって歩くと、イコンの近くで跪く、彼自身は熱心なルベル教信者というわけではないが、幼いころからユリウス司祭の傍で過ごしてきたので、堂に入った動きが出来ている。祈りを終えたアウラは、教壇で作業をしている牧師に話し掛けるために近付いた。
「失礼します牧師様」
「はい、何か御用でしょうか?」
「司祭様に御会いしたいのですが、今のお時間は教会にいらっしゃいますでしょうか?」
ユリウス司祭が、平日の午前中に教会内で仕事をしていることは知っている。急な用事でもなければ、教会内に居るはずなのだ。
「はい、いらっしゃいますが……あなたは?」
「故あって、諸国を放浪している者ですが、こちらの司祭様は博識であると、旅の道中で伺いました。是非一度、話を御聞きしたいと思い教会に足を運んだ次第です」
修行僧が身分を隠して旅をしていることはよくあることなので、こちらの素性を明かさないことは、別段、不自然なことではない。しかし、目の前の牧師には緊張が見て取れる。ユリウス司祭から何か教えられているのかもしれない。
「そうでしたか。司祭様は二階にいらっしゃいます。ご案内できるか確認してまいりますので、少々お待ちください」
そう言って牧師は、二階へと上がっていった。
アウラは、先ほどの商人風の男が見える位置に身を移すと、柱に寄りかかりながら、不自然にならないように男を観察した。アウラの変装は上手くいっているようで、男がこちらを気にしている様子はない。しきりに周囲を観察していた男は、やがて、教会から出て行った。男が出て行ってから少ししてから、サリールも教会から出ていく。男が彼女の傍を通るときに、服に何かの装置を付けていたので、尾行することは難しくないだろう。
二人が教会からいなくなって五分ほど後、牧師が戻ってきて、アウラに司祭の用意が出来たことを告げた。
「お待たせしました。司祭様がお会いになるそうですので、私の後に付いて来てください」
「有難い。感謝します牧師様」
先ほどとは違い、牧師の様子に緊張は見られない。恐らく、ユリウス司祭と何か話したのだろう。にこやかに微笑んだ牧師の後に続いて、アウラは教会の二階へと向かった。