プロローグ
ムンドゥスの歴史を語る上で、必ず触れなければならない人物が歴史上には二人存在する。一人は、タルタリア皇国の前身であるフェブリス王国を建国した神聖王ボヌム一世。もう一人が、統一帝の異名で知られるタルタリア皇国建国の祖、アウラ・ハリである。
アウラは、十四代フェブリス王であるユニウス六世の末子として聖暦二六五年に生を受けた。母親の名はユリア。ユニウス六世の寵姫であり、絶世の美女として、その美貌を謳われた人物である。ムンドゥス大陸北方の小部族出身であったと伝わるが、アウラの出生と同時に若くしてこの世を去ったため、彼女の話はあまり多く残っていない。ユニウス六世は、アウラの母親を深く寵愛していたと伝わっている。彼女が亡くなった直後の悲嘆に暮れる時期には、生まれて間もないアウラを、王太子の座に据えるような動きさえしている事が国王の寵姫に対する思いの強さを物語っている。
当時の王太子であったフィデスを廃し、アウラを王太子の座に据えるという国王の意向は宮廷内を大きく揺るがした。まだ赤子のアウラを亡きものとする謀議が、国王の正妃でありフィデス王太子の母であるセーナ妃により計画され、アウラは、あと少しのところで母親と同じ運命を辿るところであった。
そんなアウラの命を救ったのは、セーナ妃の長子であり廃嫡の危機にあった王太子フィデスだった。
自身の母親に謀殺されそうになっていた赤子を不憫に思ったのか、はたまた、何か目的があってそうしたのか、彼は年の離れた腹違いの弟を自身の養子にするよう国王に願い出たのである。
ユニウス六世と王太子フィデスの間で、どのような話し合いが行われたのか定かではないが、話し合いが行われて数日もしない内に、アウラは王太子夫妻の養子として育てられることが決まった。アウラを謀殺しようとしていたセーナ妃は、自身の義理の孫となった赤子を殺すわけにもいかず、アウラの喉元にまで伸ばされていた剣は一旦鞘に戻されることになった。アウラを謀殺こそしなかったセーナ妃ではあるが、彼女が事あるごとに幼少のアウラに対して行った仕打ちは、幼児に対するものとは思えないほど酷いものであったと伝わる。セーナ妃がアウラを呼ぶ際に使ったと言われる「白犬」という蔑称は、実母であるユリアの出身部族の伝承に「創世の時代、神使である白狼がムンドゥスに降り立った際、人の娘との間に授かった子が部族の祖となった」というものがあり、そこから連想して呼び始めたものだと言われている。アウラ自身は、この蔑称の元となった神話を気に入っていたようで、後年、自身のミドルネームとして狼を意味する言葉「ルプス」を使用するほどだった。公文書にまでこの名を使おうとして秘書官に諫められたという逸話からも、アウラがこの神話に対し並々ならぬ思いを持っていたことが伝わってくる。
アウラを敵視する者たちは皆、彼のことを白犬と呼んで蔑んだが、そういった人間のほとんどは墓穴を住処とするようになっていった。彼自身が積極的に敵を始末していったわけではない。アウラの家臣の多くは、自分達の主を馬鹿にする者の存在を憎悪しており、そういった輩を容赦なく誅戮していったのである。これが「アウラ・ハリの周りには敵か信奉者の二種類の人間しか存在しない」と言われる所以である。アウラの人生の中で、彼のことを普通の人間、家族として扱った者は、養父となったフィデス王太子と、その家族だけであったと言われている。無自覚に他者を魅了してしまうアウラにとって、自分を対等の人間として扱ってくれる家族の存在は大きな救いであったと思われる。母親譲りの彼の美貌は男女問わず多くの人間を魅了し、天性のカリスマ性と合わさることで魔性とも言える効果を発揮した。アウラの虹色をした瞳に見つめられて平静を保てる人間は、ほとんど存在しなかったと言われている。他者からの称賛と悪意、二種類の感情を多く浴びてきたアウラにとって、自らに対し普通に接してくれる家族の存在は、大きなものであっただろう……
そんな男の物語は、フェブリス王国の辺境ラウルスから始まる。
王室より除名されて数年、この時期のアウラは、その生涯の中で最も平和な時を過ごしていた。アウラ自身、このまま何事もなければ、辺境の地方領主としての生涯を終えることに何の疑問も抱かずにいたであろう。だが、アウラの思いとは裏腹に、時代を揺るがす大きな波は、彼を歴史の表舞台に押し上げるために、すぐ近くまで迫っていたのである。