神の社1
紅い鳥居をくぐった先の石段を上ると、そこは平安か、室町かと言ったような寝殿造りに似たつくりの建物が立ち並んでいた。
それも、今にも人が出てきそうに息づいている。
「っ、天花ちゃん、いる? 探しに来たよーー!!」
なんとなく挙動不審になってきょろきょととしながらも天花ちゃんの名前を呼ぶ。
そのまま、立派な階の前に来た時、ガララと音をたてて襖があいた。
「!!」
驚いて体を竦ませる。神主さんかな? と思いながら恐る恐る見やると、やけに美麗端正な面立ちの人がゆっくりと階を降りてきた。
一番下の段でとどまり、階に座り込む。
彼が開けたままにした襖の奥に、赤いシャツの端らしき色が映った。
「天花ちゃん!!」
思わず駆け寄ろうとしたが、男がゆらりと立ちはだかった。
「なにをする、小娘。そのものは、わが朋友の声に呼ばれ、受け入れた者。神饌の娘にして、神の娘なるぞ」
「神の娘? なにそれ、訳も分からない年齢の子を連れ去るのは誘拐だわ!!どいて、その子を連れ戻しに来たの」
からだ中に響くような声だ。
ぞわりと震えそうになるのに、その美声におぼれそうにもなる声。
その男は何とも言えない笑みを浮かべた。どこからか取り出した扇をばさりと広げる。
「ならぬ。神饌といったろう。その娘は神への供物となった。ーーそれに、それはその子自身が選んだものだ」
ほのかは体中に広がる震えを自分自身で自分の体を抱きしめることで止めようとした。
そうして、その男をぎろっと睨んだ。
「何言ってんのよ、神饌って!天花ちゃんはまだ五歳なのよ。選ぶなんてできるわけーー」
まくし立てるほのかの前に男が立ちふさがり、見下ろしてくる。静かな圧を受けて、ほのかの言葉は詰まった。
「その娘のことを甘く見ているのはそなたの方だろう。そこな娘は自分のことをよくわかっておる。ーー必要とされていない子だとな」
「えっ?」
「そもそも、ここに呼ばれても現世に大事なものがあるならば、その縁がその者をつなぎとめここまでは来ぬ。稀に来る者もおるが、みな縁をたどって帰ってゆく。だが、この娘は現世にそのような縁を持たぬ子だった。だからこそ我らの呼びかけに答えここに来たのだ」
そういわれてみると、思い当たる節が所々にあった。
ぼろぼろのおさがりの服、いつも公園でたった一人で遊んでいた姿。遠巻きにする近所の人々。きっと天花ちゃんを取り巻く環境は優しいものではなかったのだろう。
改めて、階の上にいる天花ちゃんをみる。 段差があるせいであまり見えないが、その寝姿はリラックスしていて、安らかな気がした。
私はつと視線を下に落とし、その男にたずねる。
「……天花ちゃんは、これからどうなるの?」
「ふむ。そうだな、七歳までは神の子というのを聞いたことがあるか? 人の子の魂の定着は生れ落ちてすぐに行われるのではなく、徐々にその肉体に馴染んでゆく。そうして、七歳を境に正式に【人の子】となるのだ」
「でも、天花ちゃんはまだーー」
「あせるな、あせるな。小娘の言う通り、そこな娘はまだいつつ。魂が定着しておらん。そこで、この場にてしばらく休むことにより、現世にてけがれた魂を浄化し、肉体を溶かすことによって神世や常世、幽世ともいうな、に戻ってくることができるのだ」
「溶けるって、そんな!!」
「何をおどろく? 現世でも使い終わった入れ物は徐々に溶けだすだろうに。もっとも、ここでの早さとはまるで別物だがな」
つまり、肉体が腐り落ちることを言っているのだろう。
こともなげに言う男に、ほのかは激高した。
「つまり、死ぬってことじゃない!!なにが、大丈夫、よ。誘拐犯!! その子にはまだまだ楽しい人生が待っているのよ、勝手なことを言わないで返して頂戴!!」
怒りの勢いのままに男を押しのけ、階を上ろうとしたほのかの腕を、男はつかみ、ものすごい力で宙にぶら下げたかに思えた。
見下ろしてくる瞳は白目がなく黒く染まり、この世のものではない雰囲気を醸し出している。
ここでほのかは、ようやく自分が対峙しているのが人外なのだと認めざるを得なくなった。正確には、認めるものかと貼っていた意地がぽっきり折れる音がしたのだった。
「小娘、神饌の娘にさわるな、と言ったはずだ」
静かな声のはずなのに、静寂に響くその声のおどろおどろしいこと。美声も相まって、骨の髄から凍えそうだ。
「小娘、生きるとはなんだ? 我はその昔、現世に帰っていった娘が、大蛇の贄としてささげられたところを見たことがある。ここから出て、贄として生きるのが、人の子として生きることなのか?」
「……その時とは時代が違うわ……」
「ーー否。何も違わぬ。文化が変わろうとも、人が変わらぬ限り違わぬのだ、小娘よ。その神饌の娘は今日、ここから去ろうとも、近いうちにこの世界の住人として戻ろうぞ。理由が餓死になるか、撲殺になるか、はたまた、心を病んでの自殺になるかは知らぬがな」
「えっ?」
「小娘、神饌の子供たちはな、もともとは神の嫁や婿、はたまた使えるためにと幽世に産まれ出るはずの子供たちだ。それがどういった因果なのか、現世に豊穣をもたらさんと落ちてゆく子供たちがいる。魂が神に近いからか、人を愛しているが故にそうなるのだろう。しかし、人はその子らを高い確率で虐げるのだ。現世にはその魂はきれいすぎるのかもしれんな。だから、こうして呼び戻す。そうして戻ってきた子供たちを神饌の子供としてささげあるべき場所に戻してやるのだ」
厳かに言われた言葉は、荒唐無稽ではあったが、なぜだか信じなければいけないと強く思わせる響きを持っていた。
私はもう一度天花ちゃんをみやる。
私のしていることはきっと自己投影の自己満足だ。天花ちゃんにとっての幸せはここにあるのかもしれないと、その安らかな寝顔をみて思わされてしまった。
肩を落とした私をみて、男はふんっ鼻を一つ鳴らし私を地面に下した。
掴まれていたはずの腕には痛みはなく、あとすら残っていなかった。
それを見て、本当にここは廃神社ではなく、常世なのだと思わされた。踵を返しとぼとぼとその場からたちさろうと歩き出したそのとき、背後で『うーーん』と大きく伸びをする音がした。
ばっと振り向くと真っ赤な可愛らしい着物に身を包んだ天花ちゃんが目を眠たげに擦ってこちらを見ていた。
「ばかな!!」
男の悲鳴に近い声を聴いて、私は走りだし、今度こそ男を出し抜いて階を使わずに渡殿に飛び乗った。
「天花ちゃん、迎えに来たよ」
息を切らして天花ちゃんの前に座り込み、両手を広げる私を彼女はぱちくりとした目目でじっと見つめた。
「ほのかちゃん、私をあの家に連れ戻しに来たの? 嫌だよ。いや……」
「大丈夫、一緒に逃げよう、どうにかして、ね?」
なんでか、現実的じゃないその言葉が出たけど、私は取り消す気にならなかった。そうして広げた両手をじっと見つめていた天花ちゃんはややあって、私の腕に飛び込んできた。
「ーーわたし、死ぬのは怖かったの。でも、あの家にいるのももう嫌だったの。私を売ろうとするあの家にはーー」
悲鳴のような鳴き声を上げる天花ちゃんを見て、ほのかはあの男が言っていたことの方が正しかった苦虫をかみしめた。
神饌の子は普通ではない、からなのかは知らないが天花ちゃんは今の自分の状況も、家での状況も正確に理解しているようだった。それは普通の五歳の子供には無理なことだ。
「よもや、今になって縁がつながろうとは……」
男が苦虫をかみしめたかのような表情で階を上ってくる。
ほのかは天花ちゃんを強く抱きしめながら男を睨んだ。
「さて……どうするか」
男が悩みながら立ちすくんでいると、遠渡殿をかけてきた狩衣の男が男にドロップキックを見舞った。
「ぐはっ、何をする!!」
「お前がちゃんと神饌の娘を見張らずに変な娘の侵入を許すからだ!!」
ものの見事に吹っ飛んだ男と吹っ飛ばした男という珍妙な光景を目を天にしてほのかが見つめていると、狩衣の男は穂香に向かってずんずん歩いてきて、怒鳴りつけた。
「貴様、貴様のせいで俺の嫁が常世の住人になる前に起きてしまったじゃないか!! なんてことをしてくれる!!」
男の指の先には天花ちゃんが座っていた
「よめ? お嫁さん? 見るからに成人しているあなたが、天花ちゃんの? えっ? ーーーーロリコン!!リアルロリコンは死すべし!!」
五歳の女の子を嫁とのたまう男に防衛反応が働いたのか、ほのかは気が付いたらその男を蹴り飛ばしていた。そうして、天花ちゃんを抱き上げて、渡殿を彼とは反対方向に失踪しようとした。
「まてまて、落ち着け」
そういって、さらにその二人を抱き上げたのは、吹っ飛ばされたはずの男だった。
男はほのかを見つめると、ふむっと面白げなこえを上げた。
そうして、もう一度広間に二人を連れて行き、そこにすわらせた。
その間、金縛りにあったふたりはピクリともうごけなかった。
狩衣の男もそろいほのかと天花は二対の男の目にじっと見つめられることになった。
「ふむ、やはりか」
「どうした、スクナよ」
「ヒノの、この娘、われのもとに来るはずだった娘だ。現世にとどまることを選び、数年前にこの地からさったはずだが、どういっためぐりあわせかここにおる。氣が強いのか、鬼が強いのか、こうしてこの現世と幽世の境に呼ばれてもいないのに入り込み無事だ。これは面白い」
「ーーほう、そういえばみたことがあるなぁ。肩にある神跡もいまだ消えずにあるとは……どうするかな」
ふたりして何やら考え込んでいたところをぶった切ったのは、なんと天花ちゃんだった。
「ねえ、ヒノ、さん? ヒノさんはロリコン?なの? 私の家族みたいにひどいことするの?」
こてんと首を傾げる様はとてもかわいい。ただ、しゃべっている言葉はヒノ、と呼ばれた男に直撃したようだったが。
「っ、そんな、ひどいことなんてしない!!お嫁さんにそんなことする訳がないじゃないか!!」
「じゃあ、どうするつもりだったのよ」
じとっとほのかが睨むと、ヒノはそっと視線をそらして言った。
「み、見守るつもりだったのだ。俺らの間ではよくあることだ。ほら、それをたまたま垣間見てしまった平安時代の人がそれを題材に小説を……」
「源氏物語じゃん!!」
「げんじ、ものがたり?」
きょとんとする天花ちゃんはかわいいが、そうではなく、要するに男のロマンというやつを実行する気だったらしい。
自分好みにお嫁さんを育てるというやつだ。
詳しく聞くと、幽世の年齢はあいまいで、魂の成熟がそのまま姿に反映されるというやつらしく、また、この娶り方法は幽世ではなんら珍しいものではないらしい。
ただ、ヒノさんやスクナさんは現世の事情も多少は知っているそうで、それで目をそらしたんだとか。
ギルティだ。