35 消えない埋火と覚悟の謁見
今日も俺はクリアナに半魔の言語を教えてもらっている。
「ユースタフ大森林は広く、それでいて森林という地勢上、見通しは悪く、川や崖等で対岸に渡れない、他から隔絶されているという地形も珍しくありません」
最近は毎日だ。
「そのため、人族は半魔と私達のことを一括りにしていますが、その実態は実に多様な種族に分かたれています。私達は姿形も、文化もまるで異なることもザラですが、不思議なことに言語はかなり似通っているのです」
一人で必要な鍛錬は続けているが、相手がおらず模擬戦ができず、やれることの少ない俺。
「各種族独自の文化、儀礼等わからないことも多々ありますが、日常会話自体はスムーズとはいかなくても、コミュニケーションが成立する程度には似ています。恐らくは大本が同じ部族だったためではないかと私は思っているのですが、事の真偽はわかりません」
そして、王城生活よりもやることは少なく、かつ何かをすることで気を紛らわしたいクリアナ。
「ただそんな私達の中にも、コミュニケーションが難しい、取れないレベルで言語体系や文化が異なる相手がいます」
あの戦争の後から、王国は徐々にどこか静かな狂信とでも言うべき空気に包まれ始めた。
「一つがクリス様もよくご存じのエルフ。エルミア様の種族です。彼らはユースタフ大森林の南端、シアルグレインと呼ばれる結界の張られた森の中で、他種族を拒絶し独自に生きています。そのためユースタフ大森林の他種族ともほとんど交流がありません。他種族と積極的に交流するエルミア様は、エルフとしては大変珍しい方です」
半魔に対する敵愾心、憎悪が熾火のように薄暗く、それでいて決して消えることなく燻っていた。
「もう一つが最果ての住人。ユースタフ大森林は北から南に流れる大河、グラン川によって東西に分断されています。大森林の七割近くは西側に含まれ、私達ゴト族を含め多くの部族はこちらに住んでいます」
ヴァーンハイム王国では、敵対しており決して快適とは言えないものの、従者としての半魔は生活に溶け込んでいた。
「残る大森林の東側は、この世の東端に当たる最果ての地です。グラン川によって大森林の中でも一際隔絶されたその地に住む人々は最果ての住人と呼ばれ、言語は愚かその文化、生態もよくわかっていません」
それが今や半魔一人で買い物に行くのも危険と思える情勢になっており、クリアナも外に出ることすら難しくなっている。
「クリス様?」
心半分で話を聞いていると、クリアナが自分を見つめる俺に首を傾げた。
「クリアナ、ちゃんと寝れていますか?」
小首を傾げるクリアナの顔色は優れない。戦争前に比べて、疲弊しているのが明らかに見えた。
「本当にもう……」
クリアナはクマのできた眦を緩める。
「クリス様には敵いませんね」
そう言って苦笑するクリアナの頭には俺達ゴート族によく似た白角が二本生えている。肌色こそ俺達ゴート族よりは人族に近く白よりなものの、アリシアと比べれば色黒だ。
そんな見るからに半魔のクリアナは、とてもではないが外を歩けない。正確には帽子で白角を隠せばできなくもないかもしれないが、それがバレた時にはどんな目に遭うかわからない。
いつ身近な半魔に憎悪の矛先が向かうか。そして、それがいつどこで爆発して再びの戦争に突入するかわからない。
今や、この国はそんな状況になってしまっていた。
気丈なクリアナは、そんな状況に対する不安を表に出さない。それでも、不安がないわけじゃない。それは、いつ襲われるともしれない魔界でのかつてのゴート族での経験を想えば、わかり切っていることだ。
俺は机の上に上る。
「クリス様?」
クリアナが驚いた声を出す。
「お行儀が悪」
注意しようとしたその声を、頭を抱きかかえることで中断させた。机の上からなら、クリアナの頭にも、手が届く。
「無理しなくていいんです。辛いときは辛いって言っていいんですよ」
気持ちが届くかわからないけど、少しでもクリアナの重圧が消えてくれればいいと。俺はクリアナの黒髪を撫でて、声を掛ける。
「……本当にクリス様は」
クリアナは言葉に詰まる。そして黙ったクリアナの頭をポンポンとできるだけ優しく落ち着くようにと叩く。
クリアナの頭が少し、しゃくりあげるように揺れた気がした。
「……クリス様は王族なのですから、半魔の従者である私にこんなことをしてはいけませんよ」
それでも、ややもせずにクリアナはそんなことを言う。子どもの俺じゃあ、クリアナを好きに泣かせてあげることもできない。
「いいんです。王族である前に、クリアナに育ててもらわなければ、ここまで大きくなれてませんから」
「本当に、クリス様は」
クリアナが頭を起こす。だから、俺は手を離す。
「失礼します」
何をと思う間にも、クリアナは俺の頭を抱きかかえてくる。さっきの俺のように優しく、それでいて強く抱きしめるように。
「それでは、少しの間、こうしていることを許してくださいますか?」
やっておいて、クリアナは今更な確認をしてくる。
「いいですよ。クリアナがそうしたいのなら、幾らでも」
でも、初めてクリアナが立場を超えて我が儘を言ってくれたことが嬉しくて、俺はクリアナの背に手を回して抱き返して。
ただ、ただ。
少しでも、彼女の気持ちが軽くなればいいと祈り続けながら。
◇◇◇
【エーリヒ視点】
背もたれに深々と体を鎮める。
無駄に豪奢だが、その分硬い座面と背もたれは凝り固まった体に優しくない。
本当に幼い頃は、この玉座に憧れたことがなかったと言えば嘘になる。ここに腰掛け、面会に来る貴族や客人を捌く父の姿は威厳に輝いて見えたものだ。
しかしいつしか、ここに座る意味と責任の重さを理解して、そんなただの子どもの憧憬は忘れていた。
それでも、いずれここに座るという未来を覚悟はしていた。父の、あの王の長子という立場は、言われるまでもなく理解していたから。
ただそれは自分で思っていたよりも早く、こうして現実になってしまった。
知らず、深い息が腹の奥底から漏れ出てしまう。
「紅茶をお入れしましょうか?」
思考が途切れた隙間を縫うようにして、執事のクラヴェールが声を掛けてくる。
「ああ。頼むよ」
本来は玉座でお茶などをするべきでないのかもしれないが、それを置いてすっと気遣いを差し入れてくれる彼の心遣いに甘えることにする。
クラヴェールが給仕室に出ようとすると、玉座の間の扉が開く。
「エーリヒ王! 弟君のアーサー様が入室を求められていますが、よろしいでしょうか?」
遠く衛兵が、王の名前の前に私の名を付けて呼ぶ。私をただ王と呼ぶのに慣れないし、まだ前王である父のことが拭えていないということだろう。
「ああ。入れてくれ」
「ハッ!」
それでも王である私の許可に従い、衛兵はアーサーを入室させると扉を閉める。
「疲れた顔をしているな、アーサー」
玉座の間を歩いてくるアーサーの顔には、隠しきれぬ疲労が浮かんでいる。そもそも執務よりは現場向きの弟ではあるし、陽が落ちた後のこんな時間までアーサーが執務に励んでいるのは見たことが無い。
危急の事態に際して、アーサーは思った以上によくやってくれている。
「エーリヒ兄こそ」
それでいて、まだ苦笑いする程度には余裕を持ち、私を気遣ってくる。
「そう見えるか」
「暗くても、目の下のクマが見えそうだな」
そして、王となった私にまだこんな風に気軽に声を掛けてくれる。
私達は今の日常では数少ない、隔たりのない笑みと声を漏らす。
アーサーには、互いに難局に対応する者としての共感と感謝しかない。
「それで、国内の状況は?」
しかし、それにずっと浸っていられるような状況でもない。私は早速アーサーに確認を投げかける。
「……変わらず。いや、気持ちの吐き出しどころがない分どんどん悪化してる」
予想通りのアーサーの回答に、少し明るくなった気分は即座に転落した。
アーサーの報告は、国民の反半魔感情についてだ。
当然のことだが、国民の半魔に対する感情は急速に悪化していた。
先の戦で我が国の受けた被害は小さくないものだった。
通例の間引き戦争と異なる守戦。半魔が有利なユースタフ大森林内ではなく、平地のそれもグレートウォールという地の利がある上での戦闘だった。
本来であれば、被害は小さくなるとも思えるが、通常と異なる半魔からの急襲に緒戦の被害が大きかった。
そして何よりも、戦の規模そのものが通例と段違いだった。いつもの間引き戦争であれば、半魔の諸部族それぞれとの散発的な局地戦になるが、今回の戦争では半魔の部族同士が連携し攻撃を仕掛けてきた。これは長い歴史で見ても例が少ないことで、そのせいで互いの被害は格段に大きかった。
死んだ兵は多く、国民の中に身内を失った者が多く出た。
その上、守戦という戦の性質上、通例だったら手に入る冬越えの食料や奴隷貿易による利益といった戦利品も一切なかった。
そして何よりも大きいのは、
「先王は……父上は偉大すぎたな」
「ああ……」
俺の慨嘆に、アーサーも瞼を強く瞑り同意した。
三十年の長きにわたり、我が国に平穏と安寧を築いた先王。
国民を慈しみ、国民に愛された偉大なる王。
その首級が、この戦における最大の被害だ。
これで、国民の中に不満が生じないわけがない。
「国内の教会に出入りする国民が急増してる」
嘆きを振り払って、アーサーは報告する。
神聖教は半魔を不浄の存在と蔑視し、その殲滅を謳っている。今の状況で、その門戸を叩く者が増加するのは仕方のないことだろう。
「これは、神聖国の思惑通りか?」
アーサーの口から出た予想外の言葉に、私は吹き出してしまった。
「なんだよ」
アーサーは不満そうに唇を尖らせるが、その様子が増々可笑しくて笑いは収まらない。
「いや、悪い」
何とか笑いを治めて、俺は手を突き出して謝る。
「まさか戦闘バカのアーサーがそんなことを言い出すとは思わなかった」
「茶化すなよ」
やはり不満そうにアーサーは眉を顰める。
「まさかお前とこんな話をする時が来るとはな」
それでも口元の緩みを隠せない私を見て、アーサーはガリガリと頭を掻く。
「親父の死に際に情けない姿しか見せられなかったからな。せめて向こうでくらいは、安心してゆっくりさせてやりたい」
それにクリスに格好悪いところを見せたくないしな、と付け足すアーサーを見て、思わず頬が緩んでしまった。
「今のお前を見れば、父上も草葉の陰で喜んでいるだろうさ」
「なんだよ二人して」
不満そうなアーサーを見ながら、やはりどうしようもなく目元も緩んでしまう。アーサーの成長がこの上なく嬉しく、頼もしい。
「神聖教徒が増えてるのは、神聖国とは関係ないだろうな」
不満そうなアーサーの矛先を逸らすため、私はアーサーの疑問に話を戻す。
「でも、現にあいつらは急激にうちの中で勢力を増してるぞ」
そう。神聖国にとって、信徒の増加は勢力の増大そのものだ。
ただその事情を加味したとしても、
「今回の件に帝国と神聖国は関与してない」
「……なんでそう言い切れる?」
アーサーは素直に聞いてくる。疑念じゃない。
素直にわからないから聞いていて、素直に理解しようとしている。
剣と同じだ。アーサーは真っすぐ学ぼうとして、真っすぐ成長する。
だから、アーサーの成長は速い。
「あの二国にとって、我が国は半魔に対する、半魔は魔族に対する盾だ。必要以上には弱体化してほしくないのさ」
アーサーが目を見張る。きっと武人肌のアーサーにとって、その考えは、特に数百年も音沙汰のない魔族に備えている考えは、なかったのだろう。
そんなアーサーが呑み込む間に私は考える。
二国が干渉してこないのは、この上なくありがたい。この混乱の中であの二国まで関わってきたら手に負えない。
ただそれは逆に言えば、二国の干渉が無く、純粋な国内事情でここまで問題が深刻化しているとも言えた。
だからこそ、厄介だ。
問題の根源が明白。半魔に対する恨みのみ。
それを解決しないことには、この問題が収まることはない。
思考に沈んでいれば、扉が開く。
すっかり忘れていたが、執事のクラヴェールが紅茶を淹れてきたようだ。
ポッドと如才なくアーサーの分の……いや、四人分のカップを載せた台車を押している。
純粋な疑問を抱くが、クラヴェールの後ろに佇むメイドを見て、カップの数の謎は解ける。
しかし、なぜ玉座の間にただのメイドを?
「クリアナ?」
アーサーが名前を口にする。見覚えがあるとおもったが、この半魔のメイドはアーサー一家のメイドだったと思い出す。
「失礼します。こちらにお越しした彼女から申し出があり、緊急に検討すべき案件であると思いお連れしました」
普段と変わりなく装ったクラヴェールの後ろ、緊張と覚悟を表に浮かべた半魔の女性が、震える足を押して玉座に歩み寄ってきた。




