腐りきった世界の片隅に花束を3
腐りきった世界。
世界中を覆う規模の磁気嵐によって全ての電子機器がその役目を終え、それによって引き起こされた爆発と火山の噴火による噴煙で空にはぶ厚い雲が広がる。
太陽はもう何年もその姿を人々に見せてはいない。
地上は薄暗く、海は枯れ、砂と灰にまみれて風化した砂塵が吹き荒んでいた。
そんな退廃した世界。
文明が終わりを迎えて早15年。
生き残った人々はただ怠惰に、自堕落に、絶望的に、諦めをもって、残りの人生を過ごそうとしていた。
砂と灰に埋もれ、ただ崩れ行くのを待つ人々が這いずる世界。
そんな中でも生まれる新たな命。
それを人は新世代と呼んだ。
灰になる運命を決定付けられた旧世代と、こんな過酷な環境に適応した新世代。
2つの存在が共存する歴史の転換点。
終わった世界のその先の話。
これは、こんな世界で生まれた少女と、こんな世界に適応してしまった男。
そんな2人の物語。
このまま旧世代が絶滅するのか。
それとも新世代とともに生きていくのか。
あるいは旧世代によって新世代が滅ぼされるのか。
またはその逆か。
はたまた、どちらも滅びるのか。
それを決定付ける鍵を握っているのも、またこの2人。
こんな腐りきった世界の片隅で、彼らが咲かす花は何色に育つのか。
それを少しばかり覗いてみるとしよう。
「はぁ~! 気持ちいい!」
腰丈の長くて美しい真っ白な髪が揺れる。
髪に隠れた肢体には女性らしいラインが出来始めていた。
一糸纏わぬ姿の少女は綺麗とは言いがたい湖で水浴びをしていた。
湖の畔に少女が着ていたと思われる真っ赤なワンピースが置いてある。
少女が母親と暮らしていた住み処に向かう途中、大きな湖を見つけ、少女はそこで水浴びをすることにしたのだった。
こんな退廃した、腐りきった世界に在る湖が普通の浄水なわけがなく、酸性の水を蓄えたその湖は旧世代が入ればたちまち皮膚が爛れ、粘膜に触れれば炎症を起こすだろう。
だが、こんな環境に適応した新世代である少女はじつに気持ち良さそうにその酸性の湖で行水を行っていた。
「まったくぅ。
あの人も入れるんだから入ってくればいいのに、恥ずかしがりやさんなんだから」
少女は同行者の男のことを思い、妖艶な笑みを浮かべた。
それはとても年相応には見えない妖しい笑みだった。
そんな少女のもとに、後方から近付いてくる大きな影があった。
ソレは湖の深いところからゆらりと影を揺らす。
ソレは酸性の水にも耐えられる強靭な皮膚を持ち、内臓さえも進化させた砂塵鰐。
体長は3メートルをゆうに超し、大きいものでは8メートルにも及ぶ。
乾燥にも強く、水がないところでも数ヵ月生存が可能で、まれに砂に潜って獲物を狙うこともあるという。
「ふんふふんふふーん♪」
少女はそんな影に気が付いていないのか、のんびり鼻唄を歌いながら水浴びを続けていた。
そして、いよいよ少女の背後に迫った砂塵鰐が水面から姿を現す。
「ぐがあぁぁぁーー!! ……ぎゃっ!」
が、大口を開けて少女をひと呑みにしようとしていた砂塵鰐は少女の裏拳によって一発で後方に吹き飛んで息絶えた。
「ふんふーん♪
さって、食糧も手に入ったし、そろそろ上がろうかしら」
少女は自分よりも何倍も大きな砂塵鰐の尻尾の部分を片手で掴むと、ズルズルと引きずりながら湖から上がった。
「……ん~、あっ! ……ふふふ」
少女は少し考えるような仕草を見せたあと、何かを思い付いたようにイタズラな笑みを浮かべると、鰐をその場に置いたまま男が待っているであろう風化した建物へと向かった。
湖の畔に置いたワンピースは着ずに、生まれたままの姿で。
「お、ま、た、せん♪ ……ん?」
少女は砂上の楼閣と化した建物の入口からひょこんと顔を覗かせる。
男はきっとクールに服を着ろと言ってくるのだろうが、少女はそれでもイタズラ心を抑えきれずに裸のまま男のもとに現れた。
だが、
「ねぇねぇ、おにいさん。
私たちと良いことしない?」
「そーそー。
たのしーよー」
「……え?」
そこで待っているはずの男は2人の少女に言い寄られて迷惑そうな顔をしていた。
「ねーねー。
いいでしょー?
私たちを買ってよ~」
「そーそー。
おにいさん若いしイケメンだからサービスしてあげるよ~」
「……悪いが興味ない。
他を当たってくれ」
「えー!
いいじゃーん!」
「そーだよー!
ねーねー!」
男は少女たちをつれなく突き放すが、少女たちは引き下がらなかった。
2人の少女は双子のようで、瓜二つの外見をしていた。
髪の分け目の違いでかろうじて区別がつくようだった。
「むぅ」
少女はその状況にぷくっと頬を膨らませた。
「ねぇ、おにいさんてば……」
「触るな!」
双子の1人が男の腕に触れようとすると、男はバッ!とその場からあとずさった。
実際、男の判断は正しい。
新世代からすれば、旧世代の男の腕をひと掴みでバキバキにすることなど容易いからだ。
だが、それによって双子の狩りの本能に火がついたのだった。
「……へえ。
おにいさん。いい反応するね」
「それに、装備もいいよね。
良いのと交換できそう」
「……ちっ」
この世界では基本的に物々交換が主流となっている。
男の衣服や靴、武器はたしかに数週間分、あるいは数ヶ月分の食糧に相当するだろう。
「私たちも出来れば乱暴なことはしたくないのよ」
「そーそー。
汚れるし。
お互い気持ちよくなって終われるならその方がいいじゃない?」
双子は薄い笑みを浮かべながら男に少しずつ近付いていく。
男はその様子を注意深く見ながら、じりじりと自分も後退していく。
「まあでも、おにいさんが悪いのよ。
そんな良い身なりしておきながら私たちを買わないんだから」
「そーそー。
それなら私たちも狩るしかなくなっちゃうじゃない?」
双子はそう言って笑い合いながら腕と足に力を込めていく。
一瞬で男の首を刈るつもりのようだ。
「……ちっ」
男は胸元に手を入れる。
普通の旧世代ならさっさと銃を構えて、2人が動き出す前に撃たなければやられてしまうが、男の反応速度は2人が動き出してから銃を抜いても十分に間に合うレベルにまで到達していた。
それを知らない少女たちは完全に油断した表情で男をせせら嗤っていた。
「「……」」
「……」
そして、2人が地面を蹴ろうとしたその時。
「おまたせ~。
待ったかしら~?」
「「「!!」」」
建物の入口から入ってきた少女が男の腕に絡み付いた。
少女はきちんと赤いワンピースを着ていた。
どうやら湖に取りに戻っていたようだ。
「……遅いぞ」
「ごめんね~。
あんまり気持ち良かったからさ~」
男はハァとため息を吐きながら、鬱陶しそうに少女の腕を払った。
少女はケチ~と言いながらもおとなしく腕を離した。
少女は双子の方をくるりと向くと、2人のことを見つめながら男を指差した。
「ごめんね~。
コレは私のだから、他を当たってくれる~?」
「コレとはなんだコレとは」
「「……」」
双子の少女は建物の入口からここまでの距離を見る。
新世代の2人なら十分に察知できる距離のはず。
それなのに、この女が男の横に現れるまで自分たちはまったく気付けなかった。
それが判明した時点で勝負は決していた。
「「……」」
2人は自分たちよりも少しだけ大人な女を見る。
目だけは笑っていない女。
たとえ2人がかりでも目の前の女には勝てない。
2人がそう判断するのは早かった。
「これは無理ね」
「うん。
諦めよう」
2人は潔くそう言って、男たちから距離をとった。
「「じゃあね」」
2人がさっさとその場を離れようとした時、
きゅるるるぅぅ~~!
「「きゃあぁぁぁぁーーっ!!」」
2人の腹の虫が同時に大きな音を立てた。
2人は恥ずかしそうに腹を抑えてうずくまってしまった。
「あら、お腹すいてるのね?」
男の首に腕を回そうとするのを男に防がれていた少女は改めて双子に目を向けた。
「……お腹、すいてる」
「……もう、2日は食べてない」
双子はうずくまったまま口を尖らせて呟いた。
その姿はまるで年相応の小さな女の子のようだった。
「ん~、ちょっと待ってて」
少女はそう言うと消えるように建物から出ていき、すぐに何かを引きずりながら戻ってきた。
「これあげる。
砂塵鰐なんだけど捌けるかな?」
「「え!? いいの!?」」
少女がドサッと置いたのは5メートルはゆうに超える大きな砂塵鰐だった。
それを見た双子はバッ!と立ち上がって目を輝かせた。
「……いい?」
「……おまえが仕留めた獲物だ。
おまえの好きにしたらいい」
少女に尋ねられて、男はすぐにそう答えた。
「「やったー!!」」
双子は砂塵鰐の周りをくるくる回りながら喜んでいた。
「じゃあね。
せいぜい頑張って生き残るのよ」
「「うん! ありがと~!!」」
「行きましょ」
「……ああ」
ぶんぶんと手を振る双子に見送られながら、男と少女は再び歩き出す。
「他人に手を差し伸べることもあるのか」
「ん~?」
しばらく歩いてから、男がぽつりと呟いた。
少女は顎に人差し指を当てて、少しだけ考える仕草を見せたあと口を開く。
「あの子達、見たとこ8歳ぐらいでしょ。
たぶん、2人で生きてくことになってまだ間もない。
新世代が個で生きていけるギリギリの年齢。
親が死んだか、親代わりの新世代に放り出されたか。
いずれにせよ、これからあの子達が生きていけるかはあの子達次第ね」
「……答えになってないぞ」
男がそう突っ込むと、少女は少しだけ気恥ずかしそうな顔をした。
「いやぁ。
じつは私が1人になったのもあの子達ぐらいの年齢だったのよ。
で、私は運良く獲物を狩れたり、順当に買ってもらったりして生き延びれたんだけど、何となく、あの子達も運良く生き延びれたらなぁって思ってね。
それだけ!」
「あ、おい!」
少女はそう言い切ると、たたたっと先に駆け出していってしまった。
それは本来の少女としての駆け足だった。
「ほら早く!
ママと私のおうちはもうすぐよ!」
「……ったく」
日が沈みかけた砂塵の荒野で少女が笑う。
夕日を背に笑う少女は砂と灰に埋もれた腐りきった世界のことなど忘れてしまったかのように無邪気に笑っていた。
男はそんな少女のもとに歩いていく。
まるで、少女のステージに向かって進化していくように。
男には、建物の入口から凄まじいスピードで自分に向かってくる少女の動きが見えていた。
見えていて、あえてそれに気付かないフリをしたのだ。
その進化を、受け入れたくないと自分に言い聞かせるかのように。
世界を終わらせた人間の1人。
少女の母親の家までもう間もなく。
そこで待っているのは天使か悪魔か。
地獄のような世界で、男はたいした期待を抱かずに少女のあとを追うのだった。