施す側に
「我々を……マンシュ伯爵が?」
「ええ、既に話はつけておきました。信頼に足る人物だと思います。安心していいですよ」
焼け出された貧民たちを収容している救貧院の広い庭は、それでも救いを求める貧民達によってごった返していた。
その喧騒の中では嗄れたノーマン医師の言葉は聞き取りにくかったが、とりあえず伝えるべきことは伝えられただろう。
私の言葉に、ノーマン医師はしばらく顔をうつむけ、それから顔中の皺をぎゅっと深めて呻いた。
「……見ず知らずの我々に対して、あなた方はそんなことまで……! なんとお礼を申し上げたらよいか……! こちらにはお礼として差し上げるものとてない。こんなに心苦しいことはありません……!」
「いえいえ、気にしないでください、ノーマン先生。それに先生は貧民街には無くてはならない存在です。僕たちがそれぐらいするのはいわば先生の人徳と腕を見込んでのことですよ」
ロランの言葉に、ノーマン医師は感極まったかのように丸眼鏡を外し、眉間に節くれだった指を押し当てた。
鼻を真っ赤にして絶句するノーマン医師の背中を、隣りに座った孫娘のロレッタがそっと擦った。
「でも……本当にいいの? マンシュ伯爵はやり手の貴族だと聞いてるわ。そのせいであなたたちがなにか交換条件を飲まされたりはしなかったの?」
涼し気な見た目に似合わない所作で、おずおずとライラが私たちの顔を覗き込んだ。
「いえ、そんなことはありません。マンシュ伯爵はむしろ……」
私はそう口を開きかけて、やめた。
ライラが少し不審そうに私を見た。
「……何?」
「いえ……何でもありません。とにかく、伯爵は喜んであなたたちを受け入れると言っていましたわ。何も心配はいりませんよ」
あの時、私と彼が同類だと言ったときの伯爵の言葉を、どれだけ説明できるかはわからなかった。
とにかく、彼はその明晰な頭脳とは違う部分でライラたちを受け入れることを了承してくれたのだと、そう思う他なかった。
「ノーマン先生、ちょっとお出でいただけますか? ご助力いただきたい怪我人がおりまして……」
と――そのとき。幕舎の入り口が開き、救貧院の人間がノーマン医師を呼んだ。
流石の医師の切り替えの速さで目元を拭い、眼鏡をかけ直したノーマン医師は「ロレッタ、助手を頼む」と言って立ち上がった。
入口付近でノーマン医師はこちらを振り返り、もう一度深々と頭を下げてテントを出ていった。
その姿を見送ったライラが、ふう……とため息をついた。
しばらく、考えをまとめるように俯いてから、ライラは申し訳無さそうに口を開いた。
「悪いわね、あなた方を一方的に巻き込んでおきながら、こんなことまでしてもらって……」
「くだらねぇことを気にすんなよ」
それまで彫像のように私たちの後ろに控えていたレオが口を開いた。
突然の一言に私たちが背後を振り返ると、レオはなんだか怖い顔で明後日の方を藪睨みした。
「別にアンタらがタダの人間ならこの二人だっていくらなんでも助けねぇよ――アンタらはこれからの貧民街の復興には必要だ。だからすべきことをした。それだけだ」
なんだかぶっきらぼうな一言を、最後の方は咳払いで誤魔化しながらレオが言う。
その一言を聞いて、ライラは少しだけ呆気にとられたような顔でレオを見上げた。
と――その時だ。
今までライラの側にぴったりと貼り付いていたアランが駆け出し、レオの足にひしっとしがみついた。
ちょっと驚いたようにレオはアランを見たけれど、アランはただしがみつく手に力を入れているだけだ。
詳しい事情はわからなかっただろうけれど、わからなかったなりに。
それはアランが子供ながらに感じた感謝だったのかもしれないし、そしてその話が、レオや私たちとの別れとなることを察したのかもしれない。
戸惑ったようにアランを見ているレオに、ライラがふっと微笑んだ。
「レオ」
「な――なんだよ?」
「あなたは善人ね」
「んな――突然なんだよ」
「あなただけじゃない。ロラン様も、アリシア様も……今の王都に一番必要なのは私たちじゃないわ。あなたたちみたいな人よ」
ライラの笑顔が、少しだけ疲労の色を滲ませたように見えた。
その疲れた笑みは、これから自分が乗り越えることになる高い障害の高さをふと思い出したような笑みだった。
「他人を思いやれる人、他人のために行動できる人……危機のときは一番必要なものよ。今の王都にはそれがない。いや、ないわけじゃない。ない訳じゃないと思う。けれど……足りないのよね」
ライラは私の何倍も大人びたような口調で言い、視線を下に落とした。
その途端、いつもはキリリとしていて隙というもののないライラの雰囲気が、なんだか揺らいだような気がした。
「七年前の大飢饉のとき――私は流行病で両親をいっぺんに失った。あっという間に蓄えは底をついて、住んでいたところも呆気なく叩き出された。行く宛もない、食べるものもない、何日も何日も着の身着のままで王都を彷徨いて――一年ほどやったかしらね、路上生活」
衝撃の告白と言えるその話は、ごった返すテントの中でも何故かやけに明瞭に聞こえた気がした。
私も、そしてそれを聞いていたロランもレオも息を呑んだようだった。
ライラが乞食をしていた? そんな煤けた世界とは無縁に見えるこの美しい人が、かつてはそんな身分にまで堕ちていたとは。
「そのうち弱り果てた私はどこかからタチの悪い皮膚病を貰った。今は薬さえあれば簡単に寛解する病気なのに、そのときはどうしようもなかった。私は二目と見られない見た目になってしまってね。今まで何かと仲良くなった貧民たちや乞食仲間も、誰一人私に話しかけてこなくなった。ううん、微笑みかけることさえ――。痛みと高熱で、その間は何日も記憶がないの」
ライラの視線はどこかに固定されたまま、微動だにしなかった。
まるで、そこに横たわって苦悶の唸り声を上げるかつての自分を見ているかのように、その視線は明確にここではないどこかを見つめていた。
「これで死ぬんだ、この冷たい地面の上で、誰からも触れてもらえず、誰からも微笑みかけてもらえずに死ぬんだ……そう思ったら怖かった。自分が死ぬことについてじゃない。自分が死ぬときに独りだっていう、その事実によ。人間は誰だって死ぬときは独りだけど――やっぱり怖かった。身寄り頼りもない異国の片隅で、大人の人も近くにいなくて――それは私には受け止めきれない孤独だった」
ライラはその後、少しだけ無言になった。
「でもね、その時だった。苦しむ私に近づいてきた人があったの」
ライラの話が佳境に入ったようだった。
少しだけ、眉間の皺を深くして、ライラはその記憶を手繰り寄せることに集中したようだった。
「どんな人だったのかは覚えてないわ。高熱と痛みで、その時の私はとても口が利ける状態ではなかった。でもね、その人は醜くなった私を見て、それでも震える手で施しをしてくれた。そして湿疹と瘡だらけの私の手を取って、どうか希望を捨てずに――そう言ってくれた」
隣りにいるロランがはっとライラを見た。
その視線に応えたライラの視線が、少しだけ優しいものになっていた。
「その時、ちゃんとお礼を言ったのかどうかも覚えていないわ……たぶん、言えてないと思う。とにかく確実なことは、私はその施しを幾ばくかのお金に換えることが出来て、薬を買って病を治し、数日分の食糧を買うことが出来たということ。その後、私はノーマン先生に拾われて――医者になった。そのおかげで今の私があるの」
ライラはそこで、すらりと長い足を組み替えた。
「私が医者になったのはね、あのときに私に手を差し伸べてくれた人にお礼が言いたいからでもある。でもそれ以上に、私はその時、心の底から嬉しかったの。こんなに醜く、弱くなった私にまだ触れてくれる人がある、その手を取って希望をくれる人がいる――それがあんなに嬉しいことなんだってすごくよくわかったから」
長い話が終わりに近づいていた。
私たちは黙ってその懐古を聞いていた。
「ほんの少しでもいい、あなたたちみたいな人たちが他の人のために行動してくれたら……少なくとも、今のような状況にはならなかった。だから私たちがやらないと。数人でもいい、一人でも構わない。私たちが今度は施す側に回らないとね」
ライラはそう言い、深くため息をついた。
それから組んでいた足をもとに戻し、辛気臭い話は終わりだというように膝を叩いて立ち上がった。
「さ、長い話はおしまい。私もノーマン先生の手助けに出ないと。それと……あなたたち」
ライラは私たちを順に眺め、それから深々と頭を下げた。
「本当にありがとう。この御恩は一生忘れないわ。いつかあなたたちに受けた恩を返せるように……私も頑張る。私たちは奇病になんか負けないって、約束するから」
ライラはそれだけ言って、思わず顔を見合わせてしまった私たちに構わず、キリリとした足取りでテントを出ていった。
「施された側が、施した側に……か」
かつては彼女と同じ、貧民街の孤児だったはずのレオがぽつりと呟いた。
その足に縋り付いたままのアランを、レオは分厚く皮の張った手で乱暴に撫でた。
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まだまだ物語は続いていく予定ですので、
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