成り上がり者の血
「この城は元々、数十年前の戦のときに功があった曽祖父がクレイドル王家から拝領した城です。我々マンシュ家の歴史はその時に始まったと言っていい」
伯爵は私の歩調に合わせながらゆっくりと、しかし大股で城内を案内した。
マンシュ伯爵の居城は外から見ると剣呑な要塞に見えるけれど、重ねた年月分だけ、内装は磨かれ、吟味され、よく整理されていた。
「会ったこともない私の曽祖父はかなりの野心家だったようですな。ただの傭兵部隊の長、放浪の無頼でしかなかった立場から身を興し、様々な武勲を立てて、遂には一代で爵位を授かるまでに出世した――ハーパー家やハノーヴァー家とは違い、我が家は純然たる成り上がりの家系です」
そこで伯爵は少し皮肉げに笑った。
「成り上がりものの血筋の――まぁこう言ってはよくないのかも知れませんが、特有の卑しさ――さらなる栄達と立身出世を求める活力は、数代代替わりしたところでそう簡単には消えてくれないものらしい。そういう意味で、先代――私の父はまさに出世欲の権化でした」
伯爵はそこで、城の窓の外に見える広大な麦畑を眺めた。
まるでそれらすべてがマンシュ伯爵家の苦闘と歴史を物語っているとでも言うように、少し細められた伯爵の目からは詳しい感情は読み取れなかった。
「幼い頃から私もマンシュ家の一部でした。父の、そしてマンシュ家の野望という、巨大な欲望を構成する一要素――私は生まれながらにしてジェレミー・マンシュという一人の人間ではなかった。父も、母も、そして祖父も、我々はマンシュ家という巨大な意識集合体のひとつだった」
随分詩的な表現だと思ったけれど――伯爵の立場を考えると、あながちそれは間違いでもないのかも知れなかった。
私の実家であるハーパー公爵家は歴史の古い家柄で、いわば何をしなくても誰でもその名を知っているぐらいの家系だ。
私の両親は凡庸を絵に描いたような人だけれど――それは反面、その立場が生まれてから死ぬまで保証されていることに由来するのだと思う。
マンシュ家のような立身出世の果てに未来を掴んだ人々が見るのは、さらなる変化――まるで空を飛ぶ鳥のように、常に羽ばたいていなければ落下するという恐怖に裏打ちされた足掻きなのかも知れなかった。
そんなことを考えている私の隣で、マンシュ伯爵は少し遠い目をした。
「父にとって、幼い頃の私はマンシュ家の倅としては不適格に見えたようですな。私は身体が丈夫とは言えなかった上、あまり発育もよいとは言えなかった。幼い頃から父はあまり私に強い期待をしてはくれなかった。父の歓心は常に――私の三つ下の弟であったマルセルにありました」
弟――その言葉に少しだけ、何か感情のゆらぎを感じたような気がした。
怨念だっただろうか、孤独だっただろうか、それがわからないうちに、声からはそのゆらぎは消えた。
「マルセルは優秀だった。まるで曽祖父の血が先祖返りしたと言えるほど、身体も強く、聡明で――そして、周囲に味方のいない私に味方してくれる唯一の存在――残酷なまでに優しい弟でした」
ほう、と伯爵はため息をついた。
「しかし、そのせいで私は二重に背負い込んでいた。マンシュ家の次期当主としてのプレッシャー、そして優れたる弟からのプレッシャー……その二つが幼い頃の私を形作った。私が二十歳の冬、弟が急な事故で死ななければ、私はおそらく廃嫡されていたでしょうな」
「廃嫡――」
「成り上がりものの血筋は卑しいものですよ。牛と同じです。乳の出が悪くなれば肉にした方がまだ食い扶持が稼げると――そういう算盤を弾く。そうでしょう?」
そうでしょう? と問われて、私は少し戸惑った。
伯爵が何を言わんとしているのか少し考えて――それは私が常に気にかけている農民たちの事を言っているのだと気がついた。
気がついてから、事実その通りだと、私も思った。
農民たちのその辺の事情は実にドライで、乳を出せなくなった牛でも生涯面倒を見るようなことは決してない。
これ以上維持にカネがかかるならば潰して肉にしてしまえ、と、幼い頃から手塩にかけて育ててきた牛にも平然と刃を振るう。
逆に言えば、そうしなければ飢えることになるわけで、そうでなければ農民として生きていく事はできないのである。
伯爵は長い廊下を抜け、城の奥、堅牢な石造りの階段を昇り始めた。
一体どこに私を誘おうというのか――と思ったけれど、伯爵の長い話はまだ終わっていないようだった。
「乳の出ない哀れな雌牛であった私は、なんとか肉にされることだけは回避した。弟がいなくなってからも、いなくなってから一層、私は着実に学んでいった。乳が出ないならどうすればよいのかと。どうすれば私は両親からの寵愛を受け、期待に応え続けることができるか――」
と――そのとき。
むら、と伯爵の背中から何かが立ち上り、肩越しに向こうの風景を揺らがせたように見えて、私は少しゾッとする気分を味わった。
それは間違いなく、伯爵から発したもの――かつてロランが私の手を取って求婚してきたときと似ている、生臭くて、湿った空気。
間違いなくジェレミー・マンシュという一人の人間が感じていたであろう情動、否、怨念に近い感情が――私の横を通り過ぎて空気を冷やした気がした。
「学べるものは何でも学んだ。手に入るものは何でも手に入れた。私は哀れな雌牛にはなりたくなかった。片時も休まずに励むこと――それ以外に私に生きる道はなかった」
そう言って、伯爵は淡々と階段を昇り――その先にあったドアを開け放った。
まるで牢獄だった薄暗がりに急に陽の光が差し込み、私は思わず顔をしかめた。
「さぁ、どうぞ」
伯爵はそう言うなり、影そのものになりながら私に手を差し伸べた。
光に目がくらむ中で伯爵は私の手を取り、そっと引いた。
目の前に広がっていたのは――広大な田園風景だった。
王都にやってくるまで何度も羨望の眼差しで見ていたマンシュ伯爵領の広大な麦畑が広がり――高い秋空の向こうには、王都イステレニアの堅牢な城壁、巨大な港、そしてその向こうに広がる遥かな海までが一望できた。
余りの景色の良さに、私が一瞬気圧されるような気分を味わっていると、伯爵が私の手を離し、前を向いた。
「私にとって、ここは試練の場でした。いつかこの広大な領土、そしてそこに生ける人々を養い、食わせていく使命を思い知るための景色――それがこれです。何かに疲れるたびにここに来て、この風景を見ながら私は育った」
伯爵はそう言って城壁の際に近づき、しばらく無言でその風景を眺めた。
どうするか迷って、私も伯爵の数歩後ろから、伯爵の広い背中を、そしてその向こうに広がる雄大な景色とを眺め続けた。
「あなたも――私と同じなのではないですかな。アリシア様」
不意に――伯爵がぽつりと言い、私は自分の耳を疑った。
思わず「は――?」と訊ね返してしまうと、伯爵がいつになくぼんやりとした口調で言った。
「目を見ればわかる。あなたの心の底にはいまだに癒せないなにかがある。もっと両親に愛されたかった、妹君ではなく私を見てほしかったという――そういう孤独が、いまだにある。違いますか?」
思わず、私ははっと息を呑んだ。
それは最近では半ば忘れかけていた寂しさ――華やかな妹と比較され、どんな努力も両親にはあまり認めてもらうことの出来なかった私の人生の、ひた隠しにしていた孤独を伯爵は指摘してきたのだった。
私が答えられずにいると、伯爵がこちらを振り返った。
「正直にお話ししましょう。私が貴方に興味を持ったのは、何もあの青い薬や農業の知識が全てではない。失礼なのですが――私は貴方様を心のどこかで同類だと思っているのかもしれません。私がそうだった。血を分けたはずの兄弟の影に怯え、両親とすらしっくりとした関係を築けなかった、かつての姿を――私は貴方に見ているのかもしれません」
まるで私の心を見透かしたかのように、伯爵は次々と指摘してきた。
その言葉に怯えた私が思わず俯くと、伯爵は視線を地平線の向こうに向けたようだった。
「見ず知らずのノーマン医師の身元を引き受けるというのも、私の性には合わないことだと、そうお思いなのでしょう。確かにその通りかもしれない。ただ――貴方様たっての願いというなら聞いてみたい気持ちになった、それだけです。私は生い立ちが生い立ちなもので、根本的に人に甘えるのが得意ではない。だから今の貴方様がどれだけ必死であるのか――それがわかる気がするんですよ」
そうなんでしょう?
伯爵が何もかも見透かしたような目で、私をちらと振り返った。
私は――というと、なんとも返答する事ができなかった。
同類? 今や全ての貴族の中でも筆頭格であるやり手貴族の当主と、こんな煤けたような私が、だろうか。
あいにく、私には、伯爵が感じていた孤独は、全てはわからなかった。
ある程度話を聞いて同情できるところはあったけれど、私は両親から手を挙げられたこともないし、虐待されたこともない。
苦手な社交界などは華やかな妹の影に隠れることを常にしていたぐらいで、それを居心地がいいとすら思ったこともある。
何より私が努力していたのは、先代の聖女様という理解者、そして憧れの存在がいたからで、根本的に伯爵とは事情が異なる。
けれど――少しだけ、私は伯爵を今までとは違う目で見た。
成功だけでは決して埋め合わせることができないものの話。
伯爵家の跡継ぎ、貴族の子弟としてではなく、もっと単純に、そしてストレートに感じたかったなにか。
得られなかったものへの渇望と、そして孤独。
その話を他人にすることがどれだけ勇気のいることだったのか――それだけは、朧気ながらに推察できた。
けれど――私はしばらく無言になった後、結局なんとも答えられず、下を向いた。
あはは、と伯爵が苦笑し、私の前に立った。
「すみません、妙な話をして困らせてしまいましたな」
「あ、いえ――そんなことは決して」
「いいのです、したくなったからしただけの話です。まぁ、私がノーマン医師の後見人になる理由が打算だけではないと、そんなところがわかってくれさえすればいい。私がしたいからそうする、それだけですよ」
伯爵が安心させるように言い、私の背中に手を回した。
「改めて、ノーマン医師の身元は私が引き受けましょう。何も気負わないでいただきたい。ね、アリシア様?」
涼しげに微笑んだ伯爵の顔を、私は正面から見つめてしまった。
ああ、こんな表情もするんだ。いつもギラギラしたものを皮の下一枚に留めているような人なのに――。
思わず、呆けたようにその整った顔を見続けた私は――不意に、なんだか顔が熱くなるのを自覚した。
「アリシア様?」
「あ――いえ、あ、ありがとうございます、マンシュ伯爵……」
思わず、言葉がしどろもどろになった。
ああ、これはいけない。
なんだか妙に、ジェレミー・マンシュという人をもっと知りたい、そう思ってしまった自分を、私は必死になって頭から振り払った。
「まぁ何はともあれ、これで話は全部です。ハノーヴァー卿の元に戻りましょう」
伯爵の声がいつもの口調に戻り、私はほっと心の底でため息をついた。
どうにかノーマン医師やライラたちを路頭に迷わせずに済みそうなことへの安堵と、そしてこれ以上、自分が感じていた孤独を伯爵に指摘されないで済みそうなこと、その両方への安堵のため息だった。
このところ、更新が滞りがちになってしまい、申し訳ありません。
いえ実は、『がんばれ農強聖女(書籍)』に関してちょっとアレなことが決定いたしまして……。
もうすぐ皆様にお知らせできるとは思いますが、その絡みもあって少し更新が遅れがちになります。
ご了承くださいませ。
「面白そう」
「続きが気になる」
「がんばれ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





