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伯爵はまだ独身

「ノーマン医師? それは貧民街で開業しているテッド・ノーマン医師のことですかな?」


まず話を切り出したところで、マンシュ伯爵の目が鋭くなった。

その眼光に、私だけではなく、隣にいるロランも少し気圧されたように、私には感じられた。


「え、ええ……伯爵もご存じででしたか」

「もちろん。とても腕の立つ医師であることも同時に聞いておりますな」


伯爵は何かを確かめるかのように何度か頷いた。


「ご存じなら話は早い。そのノーマン医師です。先日の暴動で暴徒たちの襲撃に遭い、医院は焼失してしまいました。患者を診療する場所どころか、住居さえも失ってしまいまして……」

「そうですか……暴徒に医院を。それは大変でしたな」


マンシュ伯爵は気の毒そうに眉間に皺を寄せた。

もともと彫像のような美男子で、四十めく男とは思えないほど若々しく、溌剌としてる人であるとは思っていたけれど、曇った表情にもどこか色気というか、妖しい魅力があった。


眉間に寄せた皺を唯一の哀悼の意にしていたマンシュ伯爵だったけれど、それも一瞬のことだった。

数秒後には表情を切り替えた伯爵は、それで今日はどんなお話で? というように私たちを見た。


「そこで……お願いがあります、マンシュ伯爵」


ロランが本題を切り出す口を開いた。


「彼らは今や王都に居場所がない人々です。こんな事を僕たちが貴方様に頼めた義理ではないのですけれど……彼らは今や僕らの友人です。暴動のほとぼりが冷めるまででもいい、彼らを保護していただくことは出来ませんか?」


ロランの言葉に、マンシュ伯爵は意外にもすぐに頷いた。


「ああ――やはりそういうお話でしたか。問題ありません。他ならぬハノーヴァー卿、そしてアリシア様からの依頼です。それぐらいは何でもありませんよ」


とりあえず、言質を取ることができた。

まずそこで私はほっとする気分を味わうのも束の間、私が今度は口を開いた。


「無論、こんな無理をお願いするのですから、タダというわけには参りませんわ。お預けになっていた《魔女の霊薬》、あれに私がお墨付きを与えるというお話ですが……」

「ああ、そのことは仰らないで」


急き込んだ私の言葉を、伯爵は右手で制した。

え? と私が肩透かしを喰らった気分でいると、伯爵が薄く笑った。


「全く――この短期間で随分私の事を理解してくれたようですな。如何にも、私は根本的に、私の利益にならないことには興味がない。ですがこの場合はいくらなんでも話が別だ」


伯爵の薄笑みは、徐々に苦笑顔に変わっていった。


「いくら何でも、私だって他人の弱みにつけ込んで利益を得ようとは思いませんよ。他ならぬアリシア様、そしてロラン様たっての願いだから聞き入れる、それだけです。その代わりの対価など要りませんよ」


なんだか、随分聞き分けがいいな、と思ったのはロランも同じだったらしい。

私たちはソファーの上で瞬時目配せしてから伯爵に向き直った。


「伯爵、それはつまり……」

「お互いにビジネスパートナーであるから無理も聞き入れる。それだけです。《魔女の霊薬》については継続的にデータを取るということで一度は話が落ち着いたはずです。その事を覆すことは考えておりません。……それに、他ならぬノーマン医師ということなら、我々にも利益がある」


一体何を考えたのか、伯爵は最後に意味深な一言を付け足し、おや、と私は意外に思った。


確かにこの時代、貴族や裕福な宗教家が教会に多額の寄付をし、病める人たちや貧しい人たちのための慈善事業をするのは比較的当たり前のことだ。

それは心からの慈善の心、というよりは、王都での存在感や名声を高めたい各貴族の政治的な思惑が関与していることでもある。


ただ――伯爵は名誉よりも目の前にある利益を優先する性格のはずで、貧民相手の慈善活動になどは興味がないと思っていたのだけれど、そうでもないのだろうか。

「他ならぬノーマン医師」――伯爵はノーマン医師について何を知っているのだろう、と思ったけれど、次の瞬間には伯爵は実に快活に笑い、意味深な表情も消えた。


「改めて、ノーマン医師の身元引受の件は了解しました。新医院が開業するまでは住む場所も斡旋しましょう。無論、警護のための兵もつけます。――こんなところで如何でしょうか?」

「それは本当にありがたいのですが……」


あまりにもいたれりつくせりの内容に、私は思わず尻込みする一言を言ってしまっていた。

相変わらずノエルのような甘え上手にはなれないな、と頭の片隅で思いつつ、私はしどろもどろに言った。


「伯爵、本当によろしいのですか? 無茶なお願いであることはこちらも重々承知しております。それに私はまだ伯爵のご厚意に何も返せていません。あの魔女の霊薬だって、ただ私が頷くだけでいいというのも――」


そこまで言うと、あはははは、と伯爵が笑った。


「なるほど。すっかりと私のことで気を使わせてしまっているようですね――」


伯爵が意味深に微笑んで立ち上がった。

その所作に、伯爵の背後にぴったりと寄り添っていたライザールが口を開いた。


「伯爵、何処へ」

「ライザール、ここに居よ。――アリシア様、少し二人だけで城内を歩きませんか?」


えっ? と私は少し驚いて伯爵を見た。

伯爵は柔和な微笑みとともに私に向かって手を差し伸べた。


「大丈夫、取って食べようなどとは思っておりませんよ。少し内密にお話がしたいだけです。――誰の邪魔も必要としない場所でね」


その声に、いつもの伯爵の声とは違うなにかを察した私の脳裏に、あの舞踏会の晩に聞いたスコットの声がこだました。


『伯爵はまだ独身、それもかなりの女たらしでもあります。どうぞご注意を』――。


この微笑み、そして優雅な物腰――思わず私ですら、はい、と即答してその手を取りたくなるような、妖しげな魅力と吸引力があった。

思わずその色気の凄まじさに顔をそむけた先にロランの顔があって、私はその顔に、いいでしょ? と視線で尋ねてしまっていた。


私のその視線に少し間があってから――許す、行っておいで、とロランが頷いた。

何故だか少しほっとしたような気分になった私は、無言で立ち上がった。


伯爵は意味深な微笑みとともに踵を返し、さっさと豪華な客間を出ていってしまった。

私は少し気後れするような気持ちととともにその背中を追った。

このところ、更新が滞りがちになってしまい、申し訳ありません。


いえ実は、『がんばれ農強聖女(書籍)』に関してちょっとアレなことが決定いたしまして……。


もうすぐ皆様にお知らせできるとは思いますが、その絡みもあって少し更新が遅れがちになります。

ご了承くださいませ。



「面白そう」

「続きが気になる」

「がんばれ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

何卒よろしくお願い致します。

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