ライラの危機
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「レオ……無事かい!?」
「ああ、多少焦げたけどな。火が怖くて冒険者は出来ねぇよ」
レオは煤だらけの顔でニヤリと笑った。
ノーマン医師はよろよろとレオに歩み寄ると、その腕の中にあるカルテを見て、がっくりと頭を垂れた。
「おお、心優しいお方、ありがとうございます! なんとお礼を申し上げたらよいやら……!」
「礼なんかいいよノーマン先生、それよりも早く逃げよう。風向きが変わりゃここも燃えるぞ」
レオの声は今やすっかりと貫禄の冒険者に戻っていた。
目の前に襲い来る緊急事態を前にも動じず、次々と状況を整理して組み立てていく。
「とりあえず避難だ。ライラのところまでは火が回ってねぇ。ノーマン先生も孫ちゃんも、とりあえずそこに避難しよう」
言うが早いか、レオは立ち上がってさっさと歩き出した。
私とロランも顔を見合わせ、大きく頷き合った。
「ノーマン先生、レオさんの言う通りにしましょう。ライラさんのところへひとまず」
私が促すと、ノーマン医師は一度だけ、炎に包まれた医院を振り返った。
真っ白い髭を震わせ、無念そうに目を伏せたノーマン医師は、それでも数秒後には前に向き直り、無念さを振り払うかのように歩き出した。
レオを先頭に、まだ若いロレッタをかばうように歩く。
時々、風に煽られて飛んでくる火の粉から身を捩って逃げながら、私たちは燃え盛る貧民街を歩いた。
ゴオ……と、風に煽られた炎が酸素を喰らい、唸り声を上げて燃える、恐ろしげな音が大気を震わせている。
風に乗って聞こえてくる悲鳴、怒号、建物が焼け落ちる音……それらすべてが渾然一体となり、まるで陰鬱なオーケストラ音楽のように聞こえた。
ふと――私は空を見上げた。
星が輝いているはずの夜空は、今や舞い上がる炎と火の粉に赤々と照らし出され、不気味に輝いていた。
月の光や星の光さえ圧倒する紅蓮の炎を見上げていると、なんだか空恐ろしいような気持ちが心の底から沸き起こってきた。
「貧民たちが井戸に毒を投げた」――。
さっきすれ違った男はそう言っていた。
この火事の原因は、その流言飛語に煽動された人々による暴動、そして彼らが貧民たちを襲撃したことが原因なのだ。
その噂の出どころはわからないし、それが真実ではないことは間違いないだろう。
貧民たちが、否、この国の誰かが無差別に井戸に毒を投げ、それがあの奇病の原因であるなどということは――到底考えられない。
水源を汚染するということはそれを飲むすべての人間の生活を脅かす行為であり、それを行う人間にも全く得はないはずだ。
だったら――眼の前の光景は一体何だ?
誰が考えたって不合理な話を鵜呑みにしたのか、それとも非常時の人間が藁にでも縋る心理に火をつけてしまったのか。
数百年前の黒死病の大流行のときも、犠牲になったのは異国の人間や商人たちなど、裕福ではあるけれど弱い立場の人々だった。
その時も彼ら異国の人間や異教徒たちは、井戸に毒を投げ込んだと言われ、狂った群衆にリンチされたり、処刑されたりしたことがあったはずで――。
異国の人間。
その言葉に、私ははっと顔を上げた。
「ん? どうしたアリシア?」
それに気づいたロランが私を見た。
まさか、まさか――ゾクゾクと身体の底から嫌な予感が湧き上がってきて、私は口を開いた。
「レオさん!」
その声は思った以上に大声になった。
背後から浴びせられた大声に、びくっ! とレオが振り向いた。
「お、おお……急になんだよアリシア様?」
「急ぎましょう! ライラさんが危ないかもしれない!」
その声に、えっ? と私以外の全員が振り返った。
「数百年前の黒死病の大流行の時、異国の商人たちが井戸に毒を投げ込んだ下手人として虐殺されたことがあったはずです! 暴動のどさくさに紛れて何が起こるかわかりません!」
はっ、と全員が立ち止まり、視線を錯綜させた。
数百年前の王都での黒死病の流行時の逸話は、この国の人間たちなら誰でも聞かされる教訓のようなものだ。
「今回も状況は同じ……! しかもライラさんは医師です! この奇病で利益を得た人間だと暴徒たちに見做されている可能性があります! 急がないとライラさんが……!」
「や、やべぇ、そういうこともありうるのか……!」
最後まで言わないうちに、レオが駆け出した。
私たちもレオの背中を追いかけて駆け出した。
貧民街を抜け、西の商業地区へ。
ここには火の手は上がっていないが、なんだか空気が凍りついたような、異様なざわめきは確実にあった。
夜間外出が禁止されているというのに、みな戸口に立って燃え盛る空を見ながら不安げにしたり、ひそひそと声を潜めて話し込んだりしている。
お願い、何事もありませんように……!
祈りながら石畳の上を駆ける私だったけれど――ライラの自宅に近づくに連れ、どうも悪い予感の方が的中しそうな気がしてきた。
あの角を曲がればライラの家――いつもは閑静なはずの商業地区が、なんだか異様な喧騒に包まれていた。
真っ暗な夜の帳が、おそらく松明の灯りなのだろう炎に照らし出されている。
それに、夜風に乗って、何か男女が言い争う声が聞こえてきた。
「おいおい、マジかよ……!」
レオの声が焦燥を含んで聞こえた。私たちは痛む足や不快に胸壁を叩く心臓も無視して駆け、ようやく最後の路地を曲がった。
予想は――果たして悪い方に的中した。
目に飛び込んできたのは、手に手に松明を持った二十人ばかりの男たちがライラの家をぐるりと取り囲み、殺気立った怒声を張り上げている光景だった。
玄関の前、まるで家を庇い守る盾のように仁王立ちしたライラが、投げつけられる罵声に倍する声を発して言い争っている。
「何よ! 私は医者よ、医者が井戸に毒を投げ込んだっていうの!? そんなことするわけないじゃない! 常識で考えなさいよ!」
「やかましいぞ! 卑しい異教徒の言うことが信用できるか!」
暴徒のうちの一人が大声を張り上げた。
「知ってるぞ! お前は『スラムの聖女』とか呼ばれてる医者だろう! お前がスラムの人間たちと結託して井戸に毒を投げ込んだに違いねぇんだ!」
「馬鹿言わないで! 大概になさい! どうしてスラムの人間たちにそんなことをする理由があるのよ! いい!? お願いだから冷静になって!」
「やかましい! いいか、最後の警告だ、大人しく我々について来い! 今ならまだお前の息子だけは構いなしにしておいてやるぞ」
男の声が、にわかに脅すような色を帯びた途端だった。
「ふざけないで」
突然、ライラの表情が変わった。
美しい顔が凶暴な肉食獣のそれに豹変し、暴徒を説得する冷静さも吹き飛んだようだった。
「このクソ非常事態に真っ先に冷静さを失った挙げ句、大騒ぎすればなんとかなると思ってる弱虫の癖に、いっぱしに脅しの啖呵ホザいてんじゃないわよ、ダメ男ども!」
「な、なんだと……!?」
「私は天に誓って清廉潔白よ。私は意地でもここを離れないから! この家も燃やさせない! 私は死んでもアンタたちみたいな人間の言いなりにはならないわ! わかったならとっとと失せろ、このタマなし野郎ッ!」
とっておきの罵声を受けて、男の顔がみるみる真っ赤になった。
「こ、このアマ……言わせておけば! 構わねぇ、家に火をつけろ! 我々の血で建った穢れた家だ!」
その声と共に、男たちの数人が進み出てライラの前に立ちはだかった。
「触らないで……!」と抵抗も虚しくライラが拘束され、松明を持った誰かが家にのしのしと踏み込んでいった。
「お前らァ! そいつを離しやがれッ!!」
集団に向かってレオが大声を降らせた途端、集団がざわっと狼狽えた。
剣を抜くこともなく、レオはまるで砲弾のような勢いで暴徒に殴りかかった。
「わ、わあああああッ!」
突然の事態に、暴徒たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めた。
レオは鬼神のような表情と体術で拳を振り回し、狼狽えながらも立ち向かってきた数人を瞬く間に叩きのめした。
「レオ……!」
「ライラ、無事か!?」
レオの大声に、一瞬だけライラを拘束した男の注意が逸れた。
その隙を見逃すようなことはせず、ライラが自分を拘束している男の足を思い切り踏み潰した。
うぎゃあっ! という悲鳴に、男の拘束が緩んだ途端、ライラは思い切り身を沈め、右肘で男の股間を強かに潰した。
ビグン! と痙攣した男が、ずるずると地面に倒れた。
「ライラさん……!」
「ロラン様、アリシア様! アランが、アランがまだ家の中にいるの!」
ライラが母親そのものの声で声を上げた。
はっ、と私たちは家に向かって視線を向けた。
「――アリシア、ここは僕とレオがなんとかする! アランを頼む!」
言うが早いか、ロランは背中に帯びた剣を抜き放ち、暴徒たちに向かって構えた。
レオとロランが背中を預けたまま、暴徒たちに向かって戦闘態勢を取った。
「行け、アリシア!」
それと同時に、うおおおおおお! と雄叫びを上げ、二人は暴徒に向かって突っ込んでいった。
それを機に、私はライラと共に家の中に飛び込んだ。
家の中は、死んだように静まり返っていた。
ライラが焦ったように大声を張り上げた。
「アラン! 出てきて!」
ライラの声にも、家の中は静まり返ったままだった。
さっき松明を持った男の姿も見えず、家の中には不気味な静けさが漂っていた。
「アラン! アランどこにいるの!? お願い、返事をして――!」
ライラの声が色濃く焦燥を滲ませた、その瞬間だった。
ゴトゴト……! と奥の部屋から物音がし、うがあっ! という男の悲鳴が聞こえた。
「う、う……! このガキ、卵なんぞ投げつけやがって……!」
さっき家の中に入っていた男が、顔中をめちゃくちゃに拭いながら客間に出てきた。
しばらく目の中に入った卵を掻き出すようにしてから――男は気配を察知し、ハッと私たちを見上げた。
「よくも――! よくも私の息子に手を出したな――!」
ライラの美しい顔が怒りに歪み、男に向かって飛びかかった。
思わずのことにたたらを踏んだ男はライラのタックルを躱しきれず、ふたりはもんどり打って床に倒れ込んだ。
「ライラさん……!」
「アリシア様、アランを、アランを連れて逃げてっ!」
ライラが鋭く叫ぶ間にも、男は流石の男の膂力でライラを跳ね除け、その上に覆いかぶさった。
私がどうしようか迷う間に、物陰に隠れていたらしいアランが泣きそうな顔で出てきた。
「ママ……!」
よかった、無事だ――と私は安心したのも束の間のこと、パチパチ……という音がどこかから聞こえ、ツンと煙臭い匂いが鼻を突いた。
いけない、火をかけられた……! 私は慌ててアランの小さい身体を抱き寄せた私は、覚悟を決めた。
近くにあったテーブルに駆け寄り、その上にあったワインボトルを握り締める。これならよしんばジャストミートしたところで死ぬことはないだろう。
それから組み付き合っている二人にじりじりと近寄り、タイミングを見定める。
「このアマぁ……! 許さねぇ! 正義の裁きを受けろ!」
と――組付き合いはブレークの時を迎えた。
マウントポジションを取った男が、ライラに向かって右拳を振り上げた。
刹那、私も動いた。
歯を食いしばり、右足に体重を乗せ、男の後頭部めがけて満身の力を込め、両手でワインボトルを振り抜いた。
「やあああああああああッ!!」
途端に、バッシャア! と、会心のフルスイングが決まり――ワインボトルが男の後頭部に弾けた。
ゴフッ……! と潰れたカエルのような声を発し、男が床に崩れ落ちる。
力を失った男の身体の下から這い出したライラは、泣きべそを掻いているアランをひしと抱き締めた。
「ママ……!」
「アラン、アラン! 大丈夫、怪我はないわね? ごめんなさい、怖かったでしょうに……!」
ライラがアランを抱き締めて背中を擦る間に、今度は忙しくロランの声が玄関に聞こえた。
「アリシア、ライラ! 無事か!?」
「ロラン様! 暴徒たちは!?」
「ああ、あらかた片付けた! それより逃げろ! 火の手が上がってるぞ!」
その一言に頭を蹴飛ばされるようにして、ライラが立ち上がった。
アランの頭をかばうようにして抱き締めたライラは、ロランと私に背中を庇われるようにして家の外に出た。
「ライラ、アラン、無事か!?」
髪を振り乱し、顔中に汗の珠を貼り付けたレオが振り返った。
その周囲には五人ばかりの男が呻き声を上げながら転がっている。
「ええ、無事です! レオさんは?!」
「このぐらいのことはなんでもねぇよ。それより逃げよう! また別の暴徒が来るかも知れねぇ!」
レオがそういう間に、ボワッ、と音がして、私たちは背後を振り返った。
私たちの見ている目の前で、私たちが半月以上も居候していたライラの家が、瞬く間に炎に包まれていった。
その悪夢のような光景を、私たちは呆然と見上げていた。
「ちくしょう……」
ぽつり、と、レオが悔しそうに呟いた。
ライラはその光景から顔を背けるようにアランの顔を抱いたままだった。
「……とにかく、ここを離れよう。ライラやノーマン先生にとってもう王都は安全な場所じゃない。身を寄せる場所を考えなければ」
ロランの声にも、誰も一言も発することが出来なかった。
「面白そう」
「続きが気になる」
「がんばれ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





