暴動発生
「ん? なんだ? 夜間の外出は禁止されているはずじゃ――」
真っ先に反応したのはロランだった。確かに、今は王命によって夜間の外出は厳禁とされているはずで、酒場や飯屋の類はみな暖簾を下ろしているはずだ。
それなのに、この複数の足音と騒ぐ声は――私が眉間に皺を寄せたとき、レオが不審そうな声で言った。
「おい、妙だぜ。なんだか知らねぇが焦げ臭い匂いがする」
はっ、と私たちは顔を見合わせた。
「レオ、本当かい?」
「ああ、俺は鼻が効くんだよ。妙だな、近所で火事でもあったのか?」
「火事!? それは大変……! 王都では一度火が出るとなかなか鎮火しないのよ!」
ライラがソファから腰を浮かせ、慌てて窓辺に駆け寄って窓を開いた。
途端に、むわっと漂ってきたのは、何かが燃えるきな臭い匂いだった。
「え? こ、これは……!?」
その匂いを圧倒して異様だったのが――窓の外の光景だった。
貧民街の石畳の上を、殺気を放ちながらのし歩く十数人の集団――その手には明々と燃える松明が握られており、バタバタと貧民たちが石畳を行き交う光景もあった。
「これは一体……!? 何が起こってるんだ?」
ロランが驚いた表情で道行く人々を見ている間にも、ギャーッ! という悲鳴がどこかから聞こえてきた。
続いて聞こえてきたのは、バリン、ドサッ……という、何かが地面に叩きつけられ、ぶちまけられる音。
なんだか異様な空気を察知して、とにかく状況を確認しようと、私が外に出ようとした瞬間だった。
「アリシア様、ダメだ! 一人で外に出るんじゃねぇ!」
レオの胴間声が背中に聞こえ、私はハッとレオを振り返った。
厳しい表情を浮かべたレオがサッとライラの背後に周り、覆いかぶさるようにして窓を閉めた。
「レオ、今のは一体……!?」
「俺にだってわかんねぇよ。でも今のはどう見ても普通じゃねぇ、なんつうのか……嫌な空気だぜ、こいつは」
焦燥を滲ませた声でレオが言い、バタバタと家の中を走り回り、護身用としてハノーヴァーから帯びてきた剣を背中に背負った。
手早く武装を整える間に、レオはもうひと振りの剣を掴み上げ、まごついているロランに向かって放った。
「ロラン様、使えるな?」
「あ、ああ……一応は」
「よし……! ライラ、アンタはアランの側にいてくれ。必要があったら呼びに戻る。いいな?」
「わかったわ」
手早く事の段取りをつけて、レオは家を飛び出していった。
私とロランも目配せし、レオの後に続いた。
外に出た途端、夜風に煽られた煙がむわっと視界を覆った。
これは……やはり火の手が上がったのは間違いないらしい。だが今の集団は一体何だ? そしてこの街を揺るがすかのような狂騒は何だ?
私たちが初めて感じるざわざわに立ちすくんでいると、「俺から離れるな!」というレオの檄が飛び、私たちはまごつきながらも街へ飛び出した。
途端に、なんだか嫌な空気が肌をビリビリと刺激した。
この感覚はなんだろう、まるで猛獣がすぐ近くにいるかのような、饐えたような匂い、生臭い匂いがする。
私がその空気の異様さに思わず顔をしかめた途端、一陣の夜風が吹き、ボワッ、と王都の夜が赤く照らし出された。
「貧民街の方だ……!」
ロランの声に、私はごくりと唾を飲み込んだ。
火災――いや、ただの火災では、きっとない。大丈夫なのか、ノーマン医師は、孫娘のロレッタは――と考えたところで、ぐい、と私は誰かに袖を掴まれた。
あっ、と声を上げると、向こうから路地を駆け抜けてきた見知らぬ若い男だった。男は異様にギラついた目で私に喚いた。
「だっ、ダメだ、この先には行っちゃいけねぇ!」
「えっ、ええ――!?」
「おい君、何があった?! この火事の原因は!?」
ロランが大声で尋ねると、男は「わかってんだろ! 暴動だよ!」と血走った目で喚き散らした。
「奇病の原因が、貧民が井戸に毒を投げ込んだせいだって噂になってんだよ! 誰が先導したのか知らねぇが、貧民街に火をかけて回ってる連中がいる!」
「な、なんですって……!?」
「あんたたちも早く逃げろ! 貧民街の人間だって知れたら連中に袋叩きに遭うぞ! そうでなくてももうすぐここにも火が回るぞ!」
一方的に喚き散らして、男はよたよたと足を引きずって走っていった。
私たちは一瞬だけ顔を見合わせた。
「レオさん……!」
「ああ、わかってる。ノーマン先生の居場所だけ確認して戻ろう」
レオは顔中に色濃く焦燥を滲ませて言い、一歩を踏み出した。
業火から逃げる人々の群れに逆らうようにして歩き、ノーマン医師の医院の前まで来たときだった。
「やめろーっ! 何ということをするのだ!」
聞き覚えのある金切り声が聞こえ、私たちははっと顔を上げた。
ノーマン医師の声――ほぼ同時にそれに思い至った私たちは、降り掛かってくる火の粉を手で振り払いながら路地を進んだ。
貧民街の一角、ノーマン医師が医院を構えていた路地は――既にどこもかしこも手遅れの状況だった。
貧民たちの感謝の表れであったのだろう、そこだけ綺麗に片付いていた路地は今やぷすぷすと煙を吐き出す燃えカスが散乱し、背の低い建物たちはそのほとんどすべてが紅蓮の炎と煙に包まれていた。
「神よ! 何故ですか、神よ――!」
既に火が回り始め、窓からもうもうと黒煙を吐き出している診療所の前に――ノーマン医師がいた。
がっくりと膝を突き、天を仰ぐノーマン医師の姿を見た私たちは――一瞬、その耳を劈くような慟哭に立ち竦んでしまった。
「おおお、何ということだ……! 神よ! お恨み申し上げます、神よ! 何ということを! 貴方様は私から棲家までを奪うと仰られるのか……!」
「おっ、おじいちゃん! ここはもう危ない! 逃げよう!」
「ロレッタ、お前だけで逃げなさい! ライラにこの事を伝えてくれ!」
「おじいちゃん、ヤケにならないで! おじいちゃんが死んじゃったら誰が皆を助けるの!? 逃げよう!」
「や、やめてくれ、ロレッタやめてくれ! わしを放って、どうかお前だけでも逃げてくれ!」
どうにか祖父を連れて逃げようと躍起になっているロレッタの下に、私たちも駆け寄った。
「ノーマン先生!」
私の大声に、はっ、とノーマン医師が私を振り返り、数秒かけてピントを合わせたようだった。
「あ、あなたたちは……!」
「ノーマン先生、気の毒だけど医院はもうダメだ。逃げよう、さぁ早く!」
肩を掴んだロランに、ノーマン医師は激しくかぶりを振り、手を振り回して抵抗した。
「ダメだ……! まだ中に黒斑病のカルテが残っとる! 他の道具は諦めるとしても、あの記録だけは助け出さねば……!」
「黒斑病の……カルテ……?」
「あの記録が消えてしまえば一貫の終わりだ。もう誰も黒斑病を癒やすことはできん! あの一冊、あの一冊だけでもわしが救い出さねば……!」
そう言って、ノーマン医師は燃え盛る医院に飛び込んでいこうとした。
慌てて、私とロレッタがそれを羽交い締めにして食い止める。
「先生……先生! 無茶です! もう諦めてください!」
「諦められるものか! あの記録だけが患者たちの希望なんじゃ! おお、誰か! 誰かあのカルテを……! 神でも悪魔でもいいんだ、頼む……!」
その時だった。バシャッ、と音がして、私は音のした方を見た。
見ると、レオが近くにあった手桶の水を頭から被った音だった。
え……!? と私が目を剥くにも構わず、レオはノーマン医師を鋭く質した。
「先生、そのカルテってどこにあるんだ!?」
「し、処置室の本棚――黒い背表紙の本が四冊……!」
「黒い背表紙だな、わかった! ――アリシア様、ロラン様!」
「あっ、ああ……!」
「後で必ず追いつくからアンタは避難しろ! ――じゃあちょっくら、行ってくる!」
「え!? れ、レオさん!?」
止める間もなく、レオは脱兎のごとく駆け出した。
そのまま砲弾のような勢いで扉に体当たりを食らわしたレオは、そのままの勢いで燃え盛る医院の中に飛び込んでいった。
「無茶だ、もう二階まで火の手が回ってるのに……!」
ロランが焦燥感を露わに言った途端だった。バリバリ……! という物凄い轟音とともに、貧民街のバラックの一部が路地へ墜ちてきた。
うわあっ! と悲鳴を上げた私たちは、火の粉と熱波から逃げるように狭い路地を後退した。
「ダメだ! アリシア、下がろう!」
「でっ、でもロラン様! レオさんが……!」
「ここにいたら僕たちも瓦礫の下敷きだ! 安全なところまで早く!」
金切り声とともに右手首を掴まれ、私は有無を言わさず路地を引きずられた。
その間にも燃えて崩れてきた瓦礫が今まで私たちが立っていた場所を押し潰し、狭い路地に猛烈な輻射熱を放って肌を焦げ付かせる。
じゅっ……と、自分の髪の毛が燃える恐ろしい匂いと音にぞっとしつつも、私はレオが飛び込んでいった医院から目が離せないままだった。
なんで、どうして。
キーン、と、耳の奥に妙な耳鳴りを感じて――私の意識が妙な具合に遠のいた。
ロランの怒鳴る声。
ノーマン医師の呼吸。
ロレッタの泣き叫ぶ声。
それらが一瞬、遠くなり――奇妙な静けさが私を包み込んだ。
一体、誰がこんな事をしたというのか。
貧民たちが井戸に毒を投げ込んだ?
誰がそんな事を言いだしたのだ。
ここに生きとし生ける無辜を殺戮すること――。
それが本当に女神様の思し召しだというのか。
聖女様――今は女神の身元におられるでしょう、先代の聖女様。
私には――一体何ができるでしょうか。
こんな圧倒的な悪意と暴力、そして猛威の前に――私はあまりにも無力です。
私には一体何ができて――何をなすべきなのでしょうか。
あまりの炎の熱さに、一瞬、その思考までが蒸発しかけた刹那だった。
ゆら、と炎の向こうに人影が立ち――その人影が炎を突き破り、路地の地面に転がった。
ぎょっ――と、私たちは目を見開いた。
見ると――だいぶ焦げて、全身から煙を立ち上らせてはいるけれど――それは間違いなく、今しがた炎に飛び込んでいったレオだった。
「れっ、レオさん……!」
思わず私とロランが抱え起こすと、ゲホゲホ……! としばらく激しく咳き込んだレオが、あー、と野太い呻き声を上げた。
「どえらい冒険だった……! こんなのギナログ火山の洞窟に潜って以来――ああ、もう二度とやりたくねぇ、死んだかと思ったぜ……!」
憔悴してはいるが、とりあえず無事そうなレオの声に、私たちの方が安堵で地面にへたり込みそうになった。
レオの手には――黒い背表紙のカルテが四冊、まるで降りかかる火の粉から庇い守られるようにして抱えられていた。
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