初めて聞く本心
「ゆ、ユリアン殿下が――!?」
そう叫んだのが、ノーマン医師だったのか、はたまた救援隊の中の誰かだったのか。
すぐさま、今まで患者を診ていた人々が弾かれたように立ち上がり、道の脇に寄って跪き、最敬礼の姿勢をとる。
それに弾かれるようにして私たちも慌てて道の端に寄り、跪いて頭を垂れた。
「患者を収容せよ! 救護所は砦内の二号兵舎に開く! 医療班のものは重症度別に患者を選別し処置! 始め!」
よく通る声でそう令したユリアン王子の声に、すぐさま近衛兵たちは行動を開始した。
兵士たちは今まで転がるままになっていた患者の傍らにしゃがみ込むや、瞼、爪、呼吸、脈……の順番で患者の容態を手早く改め、次々と収容してゆく。
流石精兵たちと唸るほどの手際のよさで医療活動を開始した近衛兵たちの活躍により、ものの数分で商業地区の空気は一変した。
それにしても――と私はまだ落ち着かない心臓の音を聞きながら、馬上のユリアン王子を見つめた。
まさかユリアン王子が、この国の未来そのものである王太子が、自ら近衛兵を引き連れて救護活動をするなんて。
時刻はまだ昼前だ。それなのに王太子自らが出てくるとは……その判断の素早さに舌を巻く反面、この奇病の拡大の素早さはもうそれほど事態が差し迫っていることをも示してもいた。
「医療者は! この中に医者がいたら名乗り出よ! 殿下がお目通りを許すとの仰せだ! 急げ!」
近衛兵のひとりが大声でそう宣言すると、ライラとノーマン医師が顔を上げて進み出て再び畏まった。
騎乗したまま二人の前に進み出たユリアン王子は、二人を見て、ほう、とため息をついた。
「苦しゅうない、楽にして我が下問に答えるがよい。そなたらがここで治療にあたっていた医師か?」
ノーマン医師が震える声で答えた。
「テッド・ノーマンと申します。こちらはライラ。貧民街で開業しておりまする医者に御座います」
「ほう、ノーマン……それでは、そなたがあの高名なるノーマン医師だな。この非常時に対する王国への献身、嬉しく思うぞ」
感情の滲まない声だったけれど、一応は二人の労をねぎらう言葉だった。
ありがたき幸せ、と頭を垂れたノーマン医師に、ユリアン王子は更に質問した。
「それで、患者たちの容態は? 一体何が原因だと考える?」
「ええ……感染症、特に黒死病やチフス等の兆候はないようですが、いやしかし……」
「構わん、忌憚なき見識を述べよ」
ノーマン医師は白い髭を震わせた。
「これは……毒によるものかと」
「毒だと?」
ユリアン王子の目が鋭くなる。その眼光に恐れをなしたように、ノーマン医師は縮こまった。
「この患者たちの症状は一致しております。激しい胸の痛み、吐き気、腹痛……それら全てが食事の最中、ないし直後から起こっているようでございます。これは食べたものに何らかの毒成分が含まれていたことによる中毒と考えるのが自然であるかと」
「馬鹿な。王都に運び込まれる食事に無差別的に毒を盛られたということか? 一体何奴にそのようなことが可能なのだ」
ユリアン王子の下問に、代わりにライラが顔を上げた。
「ユリアン殿下、恐れながら、私めにも発言を許可願いたく」
「よい。申してみよ」
「そのようなことが可能であるかどうか、そして一体何の毒であるかの特定はまだできておりません。しかし、素早く嘔吐させ、胃の洗浄ができた患者は明確に症状が軽いと言えます。これが毒であるか否かに関わらず、食べたものの素早い体外への排出がひとつの治療指針の根幹になるかと」
鋭く、そして断定的なライラの説明に、ユリアン王子がライラから視線を外した。
しばらく何かを考えるかのような間があり――視線が正面に戻ると、ユリアン王子が浅く頷いた。
「わかった。そなたたち二人とも、救貧院への同道を命じよう。その見立てを救貧院の医師たちに伝えるべきだ。患者の治療は近衛兵団で行う、心配はいらない」
はっ、とライラが短く応じたときには、ユリアン王子の頭は一瞬で切り替わっていたらしい。
如何にもこの王太子らしい回転の速さで何かを考えたらしいユリアン王子は、馬の首を巡らせて近衛兵に命令した。
「余はこれより救護院へ向かう。最低限の人数だけをこの場に残し、後は西地区へ向かう。それと、ノーマン医師を救護院へ――」
「ユリアン殿下!」
思わず、私は大声を上げた。ええっ!? と慌てたロランを無視して立ち上がると、はっ、とユリアン王子がこちらを振り向いた。
私を視界に入れた瞬間。ユリアン王子の顔が驚きへ、けれどその次の瞬間には、何故なのか呆れたような笑みが浮かんだ。
「アリシア……」
ユリアン王子が、それだけ口にした。
近衛兵の何人かが、道端にいるロランと私を見て、どういうことだというように顔を見合わせるのが見える。
ユリアン王子が、鐙で馬の脇腹を蹴った。
ゆっくりとこちらに歩み寄ってきたユリアン王子は、そのまま私たちの目の前で馬を止めた。
「何故だか、君がいるような気がしていたよ。その予感は当たりだったな。……ハノーヴァー卿も顔を上げてくれ」
ロランがのろのろと立ち上がり、頭を垂れた。
「ユリアン殿下――彼女のご無礼をどうぞお許しください。彼女もこの状況を救わんと必死に思うあまり、思わず御身にお声がけしましたようなことで……」
「わかっているさ。アリシアの事はよく知っている。もしかしたら君以上に、な」
なんだか、少しむかっと来るような言い方だった。
ええ、そうでしょうね、お互いにね……と内心憮然としたのが気配で伝わったのか、ユリアン王子は再び苦笑を浮かべた。
「全く、こんなに早く再会するとは思わなかったな。君たち二人は、僕ができれば今一番会いたくない二人だからね」
「ええ、お互い様に、ですわね。私もお声がけしようか随分迷いました。でも――」
私も遠慮なく皮肉で応じると、ロランだけでなく、こちらの様子を固唾を呑んで見守っているノーマン医師も大いに慌てたようだった。
けれど――私たちの関係がどんなものだったかは、この国の人間なら誰でも知っていることで、だからこそ私たちの間に遠慮など要らないはずだった。
「ユリアン殿下が御自ら宮殿を出られて患者を見舞っている。それだけ事態が切迫していると判断いたしましたので」
「その通りだ。王宮に一報が届けられてまだ三時間も経っていない。それなのに既に王宮の指示系統は混乱し始めていた。僕が出るしかない」
「教会は? どうなっておりますか?」
「神官たちのところにも報告は来ているようだが、今のところはまだ具体的な方針は定めていないようだ。把握できていることが少なすぎるんでね」
「まだ教会が出る幕ではない、ということですか……それでは、有事の際に教会が組織する救済軍はいつ頃に……」
ふっ、と、ユリアン王子が笑声を漏らした。
思わず言葉を飲み込むと、ユリアン王子が私を見た。
「アリシア、はっきり言ったらどうだ? 君の関心事は、ノエルがちゃんと聖女としての務めを果たすつもりかどうかだろう?」
やはり――私の本心はバレバレだったようだ。
私が沈黙を返事にすると、ユリアン王子は駄々っ子をあやすかの口調で言い聞かせた。
「アリシア、もうハノーヴァーに帰った方がいいよ。王都はこれから騒がしくなる。このことは王宮が、そして僕が処理する。君が心配することじゃない。わかったね?」
「でも、でもユリアン殿下! 聖女は、いや、ノエルは――!」
「アリシア、やめるんだ!」
がっ、と、背後からかなり強く肩を掴まれて、私は言葉を飲み込んだ。
これ以上言うなら力づくでも止める、と言いたげなロランが、断固として首を振った。
と同時に、ユリアン王子の顔から笑みが消え、それと同時に声に込められていた親しみも消えた。
「アリシア、僕が君にしたことは謝っても謝まり切れることでは絶対にない。君はさだめし僕やノエルを恨んでいるだろう。けれどね、だからといって君に有事の舵取りにまで口出しされる謂れはない。君はもう僕の婚約者でも、聖女でもない――それははっきりしているはずだ」
それは、底知れぬ怨念が潜む声――初めて聞く声だった。
思わず唾を飲み込んだ私に、ユリアン王子は続けた。
「君がこれ以上聖女のフリをして事態に首を突っ込むことは、いくらなんでも許さないぞ。聖女は我が妃、ノエル・クレイドルただ一人だ。君でも、ましてや僕の母であるエヴリンでもない。僕が、そしてノエルが、全ての決定を下し行動する――わかったな?」
白く冷たく光る目に、私は頷くことすら出来なかった。
十歳で王都に召し出され、婚約し、そしてそれを解消されるまでの八年、こんな冷たい声を彼の口から聞いたことはただの一度もなかった。
皮肉にも――私はそのとき初めて、この美貌の王子の、本心からの声を聞いた気がしたのだった。
「長く話しすぎたかな。アリシア、君のことだからこの患者たちを放っておけなかったんだろう? 王国も、そして僕も、君の献身には感謝を表する。――ハノーヴァー卿、彼女を頼んだぞ」
それだけ言って、ユリアン王子は馬の首を巡らせ、私の前を離れていった。
私はなんだか莫大な喪失感を抱えたまま、その姿を見送った。
「面白そう」
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「頑張れ農協聖女」
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