私は姉が怖かった
聖女ノエルよ、汝の祝福かくあれかし――。
聖女ノエルよ、汝の祈りかくあれかし――。
聖女ノエルよ、汝の慈愛かくあれかし――。
そう宣言する大神官の前に跪きながら、私は何度「かくあれかし」を言うのか数えて時間を潰していた。
数えただけで七回、流石にもう終わるだろうと思って薄目を開けてみたら、私の目が大神官の皺に埋もれた目と真正面から合ってしまった。
私が慌てて瞑目すると、少しの沈黙の後、大神官は八回目の「かくあれかし」を言った。
あれだけ婚姻の儀を盛大にやったのなら、聖女就任の儀なんてやらなくていいのに。
私は数週間前からそう思ってユリアン王子にそれとなく言ってみたのだが、ユリアン王子は少し困ったように首を振った。
いいかいノエル、聖女就任の儀は単なるセレモニーではない。
これは農民や民衆に、君が祈りの聖女であることを示す機会なんだ。
迷信深い農民たちは君が聖女になるところを見たがっている。
聖女である君を庇護することは王家への信頼にも繋がるんだ。
どうか僕の顔を立てると思って参加してくれないか――。
そこまで言われれば、私は嫌とは言えなかった。
おかげで今日の早朝からここに跪いて祈りを捧げてはや二時間も経過しただろうか。
既に腕も膝も限界に近い痛みを訴えている。
できることなら今この場で足を崩して座り込みたかった。
「聖女ノエルよ、《贄の指輪》を与える。この贄に誓いて汝の覚悟がかくあらんことを――」
就任前に言われたのがこの儀式の最大のハイライト。
聖女に就任した人間が、大神官より渡される《贄の指輪》を恭しく押し戴き、それを嵌めて民衆に示す。
これで正式に、私――ノエル・ハーパーは、この国の聖女であることが確定するそうだ。
私は、大神官が差し出した、緋色の布に包まれた指輪をまじまじと見た。
如何にも儀式用と言える、何の凝った意匠もない指輪である。
私は内心、その指輪のデザインの質素さに嫌悪感を覚えた。
こんなものを四六時中嵌めて百姓共に示す?
これじゃあ奴隷が首輪を自慢するようなものだ。
こんなものは私には似合わない、嫌だ嫌だ嫌だ――。
そう思いはしたが、どうせ嵌めなければならないのは今だけだろう。
私は諦めてその指輪を取り、右手の薬指に嵌めた。
そしてハイライト。
会場を埋め尽くす神官や、各邑落から集められた農民たちの代表にそれを示す。
私は床に手をついておっかなびっくり立ち上がり、静かに振り返って指輪を高く示した。
「万歳! 聖女様万歳!」
一斉に、農民たちが立ち上がって喝采を叫んだ。
私はその声の大きさと野太さに苦笑してしまった。
どいつもこいつも、農民はいつだってこんなものだ。
迷信深くて、聖女なんて非科学的な存在をアテにして生きている。
そして私を、この世を創り給うた女神からの御遣わしだと信じている。
その頑迷さがこの国に因習的に続いてきた聖女信仰の根本だと私は信じていた。
くだらない、愚か――私はどうしても、その侮蔑の念が抑えられなかった。
私が本当に、あなたたちと共にあると思っているのか?
あなたたちのように天に祈るしか能がない人間と同じだと思っているのか?
なぜ自分の力で実りを作り出さずに、天に、聖女に祈っているのか?
そんなくだらない他力本願の人間のために、私が本当に祈りを捧げるとでも?
私には幼い頃から、如才なく人に何かを要求する力があった。
私が欲しがれば、よほどのものではない限りすぐに手に入った。
私が拒絶すれば、たとえどんなものであれすぐに目の前から消えた。
私がその能力を自覚するようになってからは、逆にそれを意識した。
常に愛らしくあり、常に輪の中心にいることができるように行動した。
私は片時たりともその努力、その工夫を忘れたことはなかった。
その結果、男たちだけでなく女たちも私になびき、先を争って私を庇護しようとした。
だが、その例外だった人間が、この世に二人いた。
それが私の双子の姉であるアリシアと、先代の王妃――否、聖女であった。
私が少し微笑めば、国王でさえ私を愛らしい娘だと褒め称え、膝に乗せて抱き締めることすらした。
だが王妃だけは――どんなに私が微笑みかけても笑い返すことはなかった。
それどころか、私を戒めるように眉間に皺を寄せるばかりだった。
――ノエル・ハーパー公爵令嬢。あなたはこれまでに、自分の力で何かを手に入れたことがありますか?
今もはっきりと覚えている、その言葉。
父である公爵が王宮に行った時、王妃は私にそう言った。
その目に浮かんでいたのは、私がいまだかつて見たことのない、冷たくて、軽蔑するような眼差しだった。
王妃は私に問うていたのではない、私を叱っていたのだ。
子供心に、私は理解した。
ああ、この人は私の味方ではないのだと。
それから、私は考えるようになった。
少なくとも私の味方ではない人間はどうすべきなのか。
悩んでも悩んでも、答えは出てこなかった。
笑いかけても、甘えても、それが通用しない人に対しては、私は何の武器も持ち合わせていないことを初めて知った。
だがあろうことか――聖女の見習いに、姉のアリシアが選ばれた。
そして五年後に帰ってきた姉は――すっかりと王妃の生き写しになっていた。
私のすぐ近くに、味方ではない人間が生まれた。
しかもそれは、私の血を分けた姉妹だった。
それ以来、私は徹底的に姉に本心を隠すようになった。
私は、姉から何でも奪い取り、姉の立場を狭めた。
少なくとも、誰から見ても私より姉が惨めで可哀想な生き物であるかのように仕組んだ。
ただでさえ飾らない人間だった私の片割れは、どんどん華やかになってゆく私と反対に、どんどん質素になっていった。
それでもその度に、姉は私を責めるような目で見た。
あの目が、あの視線が、王妃と一緒の立ち居振る舞いが、心の底から怖かった。
私は自分の力で何も得たことがない人間だと、蔑むように。
私が毟り取っても毟り取っても、姉のアリシアは一向に惨めにも可哀想にもならなかった。
それどころか、ますます王妃に似てきた視線で、毟り取っては捨てる私を無言で蔑んだ。
だから私は、姉から婚約者と聖女としての生き方を奪った。
私が全て仕組んだわけではない、ユリアン王子がそれを望んだのだ。
ユリアン王子も――おそらくは私と同じ問題を共有していた。
自らが王子として凡庸で、何もかも与えられるだけで、自ら作り出せない存在だと。
私たちは愛情で惹かれ合ったのではない。
半年以上前の舞踏会の夜、私たちは愛し合ったのではなく、同調したのだ。
私にとってもその交感は初めてだったが、この人は何があっても私の味方――否、同類だとわかった。
あとの私はただ――彼に向かって微笑むだけでよかった。
未来を奪われた姉は傷ついて、疲れ果てていた。
だが、ハーパー家で決別の一言を吐いて勝利宣言をしたときも。
姉は驚き、傷つきながらも、ずっと私を憐れむような視線で見ていた。
私は結局、アリシアから何も奪えなかったのかもしれない。
いいや――そんなわけはない。
私は私に向かって手を振る農民たちを見た。
私はこんなにもたっぷりと奪ってやった。
アリシアから、王妃から、これ以上ないぐらいに。
私の味方ではない人間は私の目の前から消えた。
だから絶対に、私は惨めな存在ではない。
むしろ彼女らより遥かに有利で、美しくて、華やかだ。
自ら何かを勝ち取ることができた人間だ。
「聖女ノエル、皆様の希望となれるように、この身命を賭して務めます!」
私が宣言すると、会場は割れんばかりの喝采に包まれた。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願いいたします。





