刺激的な朝
チュンチュン……と、小鳥たちの囀る声で私は目が覚めた。
おや……ここはどこだっけ、私は一体どうなったんだっけ。
しばらく、寝ぼけ眼のまま、私は自分の置かれている状況を思い出しにかかった。
王都で病人を拾い、ライラという美しい女医と出会って、そして……。
しばらく状況を整理した私は、次に、すぐ目の前にあったものに目を奪われた。
おや、このやけにつるつるしたものはなんだろう。
しょぼしょぼと目を瞬きながら、私は右手の指先でそれをなぞった。
うーん、なんかコリコリとしていて真っ直ぐで、しかも何か温かい。
この皮一枚下に感じる硬いものはどこかの部位の骨だろうか。
それになんだかいい匂いもするし――じっとりと息苦しい。
なにか湿っていて重いものが自分に覆いかぶさっているらしい。
そのせいで満足に身動きがとれないらしいのだ。
どうせ動けないなら、しばらくぼんやりしていようか。
寝ぼけ眼でそう決めて、私の意識は目の前の物体の探査に舞い戻った。
それにしてもこのコリコリとした触感のものはなんだろう。
一体どこにつながっているのだろう。
私は寝ぼけ眼でそのコリコリとしたものの先を追った。
つつつ――と指先を移動させた先に、落ち窪んだ三角形がある。
そしてその下には逞しい胸板までもが見えた。
おお、察するにこれは人間の首元だ。
ということは、私が触っているこのコリコリしたものは人間の鎖骨だろう。
それにしても誰の――?
「アリシア……」
むにゃむにゃと名前を呼ばれた、その瞬間だった。
はッ――!? と、私の神経が氷水をぶっかけられたかのように覚醒した。
慌てて目だけ動かして上を見ると、すぐそこ――私の額のところに、まだ寝ているらしいロランの顔がある。
「はうッ……!?」
私は思わず悲鳴を上げた。
その悲鳴に眠りの薄皮を破られたのか、実に気持ちよさそうに寝ていたロランの顔が――うっすらと目を開けた。
「あ……」
その鳶色の瞳と、目が合った。
吐息がかかるのではないかという、あまりの顔の近さに、物凄い勢いで顔が発熱したと思ったときだった。
しぱしぱ、と目を瞬いたロランが、私を見て、ニコ……と、何だか物凄く幸せそうに微笑んだ。
「ん……おはよ。アリシア」
王都に来て五日目の朝。
その日、私の一日は私が張り上げた絶叫とともに始まった――。
◆
「……悪かったよアリシア。そろそろ機嫌直してくれないか」
ロランが申し訳無さそうに頭を下げてくるけど――私の方はまだ心臓が具合悪くバクバクしていた。
まさか寝起きからあんな風に起こされるなんて――目覚めが悪かったためにショボショボする目を擦りながら、私は首を振った。
「何度も言いますけど……ロラン様、今朝のことはもうなんとも思ってませんわ。ただ……そう、ただちょっと驚いただけです」
「そ、それにしてもなんだか態度が素っ気ないじゃないか……ほっ、本当に許してくれたの?」
「まぁ――あれだけ刺激的な起床でしたからね」
私はあくびを噛み殺しながら言った。
全く――朝のことを思い出すと、どうにも心臓に悪い。
なにせ私は寝ている間、寝相が悪いらしいロランによって抱きつかれ、すっかりと彼専用抱き枕にされていたらしいのである。
私の悲鳴を聞きつけたレオが大騒ぎするわ、ライラに昨夜のことを根掘り葉掘り訊かれるわで、朝から大分騒々しかった。
全く――これだけ涼やかな見た目なのに寝相が悪いなんて、人は見かけによらないものだ。
そのうち悶々とするのにも飽きた私は、気分転換にと王都をそぞろ歩くことにしたのだけれど、ロランはまだ申し訳なさそうにしている。
私の三歩後ろを小さくなってついてくるロランが気の毒で、反面少し可愛くも感じて、私はついついいらぬぼやきをぼやいてしまっていた。
「まさかロラン様が抱き枕がないと眠れないなんて……それにも少し驚きましたわね。それにしても抱き枕ですか……」
「う――そ、それについては……ごめん。屋敷だと自前のものを用意してるんだけど……父上なんかに見られると情けないって怒られるから……」
それで――あの時寝室に内鍵がかかるかどうかを確認したわけか。
確かに、黒幕辺境伯の息子、しかも成人済の青年が抱き枕がないと夜泣きするなんて噂が立った日には、辺境伯家の威信はある意味丸潰れだろう。
なんとか本人は一日ぐらいなら我慢して寝られると思っていたらしいが、身に染み付いた癖というのはなかなか恐ろしいものがある。
「ご、ごめんアリシア。次からは気をつけるからさ……」
「もう本当に気にしてませんわ」
私は半笑いの声で首を振った。
まぁ、びっくりしたことはびっくりしたけれど――内心、私は遂にこの完璧な青年のウィークポイントを掴んだ優越感も同時に感じていた。
そうか、抱き枕がないと眠れないのか――と考えると、どうにも可笑しくて可笑しくて仕方がなくなってしまう。
私は朝の活気あふれる王都の商業地区を歩いていると、剣呑な武器を整然と並べた武器屋が目に入った。
「あ、ロラン様。ご覧くださいませ、アレ」
「え――? ど、どれ?」
「あの人形。ほら、あの武器屋に飾ってあるやつ」
「あ、ああ、訓練用のカカシかい?」
「あの藁人形、買っていきませんか?」
「え、どうして?」
「どうしてって、抱き枕にちょうどよさそうですし」
私が半笑いの声で言うと、ロランの頬がぶうっと膨れた。
「アリシア……」
「え、どうしました? 少し大きいですかね?」
「もう……からかわないでくれないか。それに僕はカカシを抱き枕なんかにはしないよ」
「そうですわねぇ、素材が麻布と藁だと寝た時にチクチクしそうですものね」
私がますますからかうと、ロランが視線を逸らした。
スネてしまったその所作が可愛くて、私は何だかちょっとゾクゾクする気分を味わった。
「お気に召しませんか――それじゃ、あの絨毯屋の店先! あの丸めた絨毯はどうでしょう? 肌触りがよさそうですし」
「あ、アリシア――! 勘弁してよ……!」
「だってロラン様、抱き枕がないと眠れないんですよね? 今夜はどうしましょう?」
ヒヒヒ、と私が笑うと、ぐっ、とロランが答えに詰まった。
拳を握り締め、目を鋭くさせ、下唇を突き出してロランはこちらを睨んでくる。
おっ、これはいけない、いくらなんでもからかいすぎたか……と私がちょっと反省した途端、ロランがスッと視線を外した。
ん? なんだろう、この反応……と私が目を丸くすると、ロランの口が何事かボソボソと動いた。
「――じゃないか」
「えっ?」
「だから――じゃないかと言ったんだ」
「何? よく聞こえません――」
実際、ロランの声は王都の喧噪に掻き消されてよく聞こえなかった。
私が大袈裟に耳に手をやって近づくと、キッ! と音がしそうな勢いでロランが私を見た。
「そんな意地悪言わないで、きっ、君が抱き枕になってくれればいいじゃないかッ!」
ざわっ、と、周囲の人が驚いてロランを見た。
ふぁ――!? と私が慌てると、ロランは顔を紅潮させ、プルプルと小刻みに震えながら続けた。
「アリシアはそんなに僕に触れられるのが嫌か!? ぼっ、僕は全然そんなこと思わなかったぞ! むしろこんな幸せな気持ちになったのは生まれて初めてだったんだぞ――!」
「ちょ、ちょっとロラン様! おっ、落ち着いてください……!」
一体何を言い出すんだこの人は!?
仰天した私が宥めても、やけっぱちになったのか、顔を真っ赤にしたロランの怒りと憤りは止まらなかった。
「ぼっ、ぼぼ、僕らは婚約者同士じゃないか! そ、そりゃちょっと重くて息苦しいかもしれないけど……あっ、アリシアは僕がそんなに嫌か!? 夜中に寝ぼけて甘えて頬ずりしてきたくせに!」
「ほっ――頬ずりしたんですか、私が!?」
「してたとも! それに僕のローブの襟元に齧りついてくっちゃくっちゃ噛んだ後、もう食べられないって寝言も言った! 証拠ならあるぞ! 君の唾液と歯型がたっぷりついたローブがな!」
「なっ、何を言い出すんですのロラン様!? そんなこっ恥ずかしいことを公衆の面前で……!」
「公衆の面前もへったくれもあるか! だいたい君は起きた時に僕に何をシてたんだよ!? 僕の鎖骨と言わず胸元と言わずゴソゴソとまさぐってたのも気づいてたんだぞ! あんなにうっとりした表情で一方的に僕の身体を弄んだくせに……!」
「あっ、ああああああ! それは言っちゃダメですってば! ちょっと本当に落ち着いてくださいロラン様! ねえちょっと――!」
私が大いに慌ててロランの大声をかき消そうとした、その途端だった。
ガチャン! という、何かが砕ける音が聞こえて、私たちは罵り合うのをやめた。
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