拭いきれない違和感
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そう、マンシュ伯爵に下手な誤魔化しや迂遠な表現は必要ない。
これだけのやり手のこと、ある程度こちらの言い分や要望をストレートに伝えておかないと、おそらく後できっと揉め事の種になる。
お互いに納得のゆく結果が出てからでなければ、この人と心の底から手を握り合って対等の取引をすることができない。
この取引が失敗に終わること――それは私にとっても避けたい事態だったけれど、即断は何事も良い結果にはならない。
「何事も急いては事を仕損じる……そうでしょう、マンシュ伯爵?」
私が逆に問い返すと――伯爵の顔が無表情から、一本取られた、というような苦笑顔に徐々に変わっていった。
その苦笑顔のまま、「まいったなぁ」と伯爵は頭を掻いた。
「取引で怒られた事は数あれど、たしなめられたのは初めてかもしれませんなぁ。確かに仰る通り、急いては事を仕損じる――その通りでした」
はははは、と伯爵は笑った。
その笑みを見て、今度はライザールが少し不審そうな表情で口を開いた。
「伯爵……」
「よい、ライザール。私は今とても感心しているよ。手品を見せれば引っ張り込めると思った私の計算違いだ。それにアリシア様の言ったことは正しい。我々は我々の領地にいる害虫のデータしか持っていないのだからな」
伯爵は「よろしい」と大きく頷き、実に興味深い、と言いたげに私を見た。
「それではアリシア様が納得できる効果が実証されるまで、この農場での試験は続ける、ということでどうですかな? あらゆる害虫に対して満足のゆく効果が挙がったその時には、改めてあなた様から太鼓判を捺してもらう……いかがですかな?」
ほっ、と私は安堵のため息をついた。
正直、普通の貴族相手であれば、今の私の物言いはヘソを曲げられる可能性が十分にあった。
今の言葉は、相手がマンシュ伯爵でなければ絶対に言えない言葉だった。
「さぁ、霊薬の効果はお見せしました。他にもこの農場にはお目にかけたいものがたくさんある。視察を続けていただけますかな? さぁ」
気を取り直す一言とともに、伯爵はくるりと背を向けて歩き出した。
それと同時に、ふんふん……という音が私の耳に聞こえてきた。
耳を澄ますと、どうもそれは伯爵が歌う鼻歌であるらしい。
なんだか――随分ご機嫌だなぁ。
気分を害されると思っていたのに、なんだか却って伯爵は私の失礼な物言いに満足してしまったようだ。
この人は一体どういう人なのだろう、と思いながらあるき出したのと同時に「ちょっと」という声が耳元に囁かれ、私は背後を振り返った。
「アリシア……あんまりびっくりさせないでくれ。今のは僕の方がヒヤヒヤしたぞ」
ロランが困惑を満面に湛えて私に耳打ちした。
あはは……と私がその言葉を苦笑でごまかすと、全くもう、というような表情になったロランが再び耳打ちしてきた。
「それにしても……どうしたんだい? あの霊薬の効果は本物だ。いつもの君ならすぐさま飛びつくだろうに。一体何が気になったんだい?」
そう言われて、えっ? と私はロランを見た。
「それは……今言った通りですわ。本当にあの霊薬がカミキリムシやコガネムシにまで効果があるかわからないと思ったから……」
「それは本当? 本当に君の本心かい?」
「ロラン様の方こそ、それはどういう……」
「いや……」
ロランはそこで、前をゆく伯爵の背中をちらりと見た。
「いや、別にそんな大した理由じゃないんだけど……なんだかさっき霊薬を使った時、アリシアがちょっと嫌な顔をした気がしたから」
えっ? と、私の方が驚いた。
霊薬を使った時? 私がそんな表情をしたというのだろうか。
振り返ってみても、自分がそんな顔をした記憶はなかった。
「私……そんな顔しましたっけ?」
戸惑いながらもそう言ってしまうと、ロランが私の耳元から顔を離し、何だか腑に落ちないというように首を傾げた。
「そうか、僕の見間違いかなぁ……てっきり僕はその時のことが気になって、適当に理由をつけて結論を先延ばしにしたんだと思ったんだけど……違うのか」
そう言われて、私の方も困惑してしまった。
ロランの見間違いだろうか……とも思ったが、この人はレオほどではないけれど、私さえ気がつかない私の変化によく気づいてくれる人だし、こう見えて私なんかよりも遥かに勘も鋭い。
私はあの霊薬に関して何か違和感を感じたのだろうか。
頭で考えてみても、そんな記憶は全くない。
それどころかあの霊薬の効果の凄まじさを見て舌を巻いたぐらいなのだ。
嫌な印象などは抱いた記憶はない。
記憶がないなら、感じたこと、か。
感じたこと、なにか私は記憶にも残らない不穏なものを察知したとでも言うのだろうか。
あのとき感じたことと言えば、せいぜいなにかの匂いぐらい――。
と、そのとき、私の側をそよりと風が通り抜けた。
それと同時に、私はふとなにかを感じて立ち止まった。
「ん? どうしたんだいアリシア?」
ロランが不思議そうに私を見た。
私の視線の先には、古びた倉庫がある。
温室以外の他の建物は質素な木造りの小屋であるのに、その倉庫だけは石造りで、しかも厳重に錠前がかかっている。
たかが作業小屋の類にここまで厳重な警戒がいるものだろうか。
いや――それ以上に。
私は一瞬で通り過ぎた違和感の正体を考えてみた。
今、私は何を感じたのだろう。
思わずその石造りの倉庫に駆け寄って見上げると、見れば見るほどその倉庫の異様さが目についた。
窓のたぐいは全くない匣のような建物である上に、扉は分厚い鉄製だった。
その取っ手にはとても引きちぎれそうもない太い鎖が巻きつけられて、ごつい錠前が掛けられている。
農場にこれほどの用心が必要な倉庫? 一体何を保管しているのだろう。
いいや、それよりもこの倉庫からは、気配としか言いようがない何かを感じる。
一体この印象は――私はこの倉庫に似ている印象を頭の中に探した。
これは――おそらく肥料や農機具を格納するためのものではない。
それは、それはまるで、ハノーヴァー邸にあった武器庫のような――。
「アリシア様」
低い声が、背後に聞こえた。
とん、と肩を叩かれた途端――叩かれた肩から私の全身に、異様な感覚が走った。
はっ、と背後を振り返ると、そこには真っ黒い壁のような大男――ライザールが立っていた。
私を睥睨するその赤い瞳の冷たさに、私の胃の腑が急激に冷えた瞬間。
ライザールが、奇妙な無表情で言った。
「この倉庫は肥料に使う可燃性の強い物質の貯蔵庫です。危険ですのであまり近づかれない方がよろしいかと」
ぞわっ、と、私の全身に汗が吹き出た。
なんだ、この威圧感――否、殺気……?
その空気の正体を考える前に、ライザールは私の肩を再びトントンと叩き、背後にいたロランの方を手で示した。
それは力こそ優しかったけれど、今すぐ戻れ、というような、言外に命令のニュアンスを含んだものに感じられた。
私が慌ててロランの側に戻ると、ロランが「アリシア、一体どうした?」と私に訊いてきた。
「突然走り出したと思ったら……あの倉庫が気になったのかい?」
ごくり、と私が唾を飲み込み、「いえ……」と視線を俯けたのを見て、ロランが眉間に皺を寄せた。
「本当に……どうした? なんだか急に顔色も悪くなったような……」
「……なんでもありませんわ。さぁ、視察を続けましょう」
私はそれだけ言って、それ以上の追求を躱した。
今のライザールの言葉や空気の正体を、あまり考えない方がいい気がした。
その正体を考え、知ってしまえば、なにかとんでもないことになるという嫌な予感がした。
そう、あの倉庫はただの可燃物倉庫。そう納得すべきだし、ライザールは私に親切にしてくれただけ、それだけなのだ。
それでも……私は少しだけ背後を振り返った。
振り返った先に、あの倉庫と、広大な実験農場が広がっていた。
この農場は何かがおかしい――。
私の脳裏を、何故なのか、そんな疑念が掠めた。
それは、疑念、というほど確固たるものではない。
だが、幾多の農場を視察し、見学してきた私には、この実験農場の不自然さがどうしても気になっていた。
この農場自体が奇妙に取り繕われているというような、あるべき雑然さがないというような、いうなればそんな不自然さ。
まるで芝居に使うハリボテが整然と並んでいるような違和感――その違和感は、この農場を視察すればするほど、少しずつ大きくなっていた。
何が一体そう感じさせるのだろう、私はこの実験農場に何を感じているのだろう。
そして今のライザールの反応――アレは舞台裏を覗こうとした私への警告であったのだろうか。
いいや――そんなはずはない。
ここはただの農場で、魔女の隠れ家ではないのだから。
余計な取り越し苦労をして、この農場で学ぶべきものを学び忘れることの方こそ、あってはならないことだった。
何だか、濡れた服を着させられているような不快感と不安を感じながらも、私は既に遠く離れてしまっていたマンシュ伯爵の背中を追いかけた。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
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何卒よろしくお願い致します。





