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初めてのトマト

「先にも説明しました通り、この農場ではありとあらゆる状況を想定できるようになっております。作物の種類はもちろん、生育の状況や日当たり、そして施肥のタイミングや量まで事細かにデータを採っている」


マンシュ伯爵は大股で歩きながら説明した。

身長が高いロランならいざしらず、私ぐらい小柄だと、伯爵の早足についていくためにはほとんど駆け足のようになってしまう。

説明を聞きながら、そして農場を観察しながら、なおかつ伯爵の足についていくのはなかなか苦労の要ることだった。


「まずは温室の中からご覧に入れましょう」


そう言って、伯爵はライザールに目で指示した。

ライザールは頷くこともなくのしのしと温室のドアに近づき、ドアを開け放った。


途端に、むわあっ、と湿った空気が爆発するかのように溢れてきて、私たちの側を駆け抜けた。

うっと呻いて顔をそむけた私は――次の瞬間、目に飛び込んできた光景に言葉を失った。




「わぁ――」




天井にガラス板が嵌められているせいか、温室内は外で見たときよりも格段に天井が高く感じた。

湿気の煙が徐々に晴れてきて、まず目に入ったのは、レンガでがっちりと組まれた複数基の暖炉だった。

暖炉の中には赤々と炎が燃やされており、そこにかけられた大鍋の中には湯がぐつぐつと煮立っていて、もうもうと盛大に湯気を吐き出している。

加温と加湿を一挙に行っているためか、温室の中は文字通り汗ばむほどに暖かく、湿度も高かった。

温室の中で作業している農民たちの格好は初秋だというのに半袖で、時折首にかけた布で顔の汗を拭っている。

なんという不思議な温かさと湿り気――温室、という呼び名は言い得て妙な呼び名だと思った。


だがそれ以上に目を引くのは、そこにずらりと並んで枝葉を伸ばす、まるで宝石のような野菜たちだった。

大きめの鉢植えに植えられ、整然と台の上に載せられた緑色の茎の先に、私も名前のわからない赤い果実が鈴なりに実っている。


思わず、私はその中のひとつに歩み寄って、その赤い実をしげしげと観察した。

茎は青々としていて力強く、緑一色の表面には一体何の働きをするのか、ごくごく細い棘が何本も生えている。

果実は有毒植物として知られるベラドンナに少し似ている気がするが、基本的に胡桃大のベラドンナの実とは違い、大きさは拳ほどもある。

そして色合いはまるで地平線の向こうに沈む夕日のように赤く、表面は艷やかで私の顔さえ映り込みそうだ。

はちきれそうにパンパンに膨らんだ実はいびつな丸をしているものの、外から見ただけでも齧りついたときの瑞々しさを思わせた。


「伯爵、この果実は――」

「ああ、それはトマトという植物ですよ。馬鈴薯はご存知でしょう? あの馬鈴薯と同じ大陸から持ち込まれた野菜です。この国ではこの温室以外で見ることが出来ない野菜でしょうな」


伯爵は淡々と説明した。


「このトマトという植物は百年ほど前、新大陸に進出してゆく中で見いだされた植物であるようです。最初は観賞用として栽培されていたようですが、徐々に食用にも好適することがわかって、ここより西の諸国ではそれなりに料理方法も工夫されているようですね」


トマト。私はその不思議な語感の言葉を、声に出さずに口の中に繰り返した。

私は見たことがなかったが、伯爵の言葉だと外国では栽培もされているというから、もしかしたら先代の聖女様は周遊先の国外で見たことがあったかもしれない。


「このトマトは将来、大陸全土で食される有望な野菜となりうる。それを見越して私はこのトマトの栽培をはじめましたが、やはりクレイドル王国は海沿いの西方諸国よりも気候が冷涼だ。ここでの栽培実験によれば、トマトの発芽には積算温度が1000度程度必要なこともわかっています。ということは、露地栽培より温室のほうがトマトの栽培には適しているということです」

「積算温度……とはなんです?」

「ある植物が発芽するまでにかかる気温の総和(そうわ)のことですわ」


明らかに話についていけていないロランの質問に、私が代わりに説明した。


「つまりこのトマトの発芽温度が1000度だとして、一日の平均気温が20度なら、発芽までには50日が必要だということになりますわね」


伯爵がその通りだと言うように満足気に頷くと、ロランは却って驚いた表情になり、うーんと唸った。


「伯爵はそんな詳細なデータまで持っているのですね……」

「私も脱帽ですわ。この農園はこの大陸で最も先進的な農作物栽培のデータがある農場かも……」

「それはそうですよ。この農場には少なくない額の投資もしましたからね。データを採るぐらいは当然です」


伯爵は涼やかに微笑み、ライザールに何か指示した。

ライザールは温室の壁にかけてあった鋏を持つと、その赤く腫れたような果実を二つ収穫し、私たちに差し出した。


「トマトは生でも食べられます。とても不思議な味がしますよ。もしお嫌いでないならどうぞ」


ライザールの低い声に、私たちは顔を見合わせた。

一体どんな味がするんだろう……小さく頭を下げて礼をしてから、私は意を決してトマトに齧りついた。


齧りついた途端、今まで一度も嗅いだことのない、不思議な青臭さを感じた。

だがそれも一瞬のことで、次の瞬間にはどろりとした果汁の食感と、舌をひりつかせる鮮烈な酸っぱさが口内になだれ込んできた。

予想に反して、砂糖的な甘さはほとんど感じなかった。味わえば味わうほど不思議なその味に、んんっ、と唸ってから、注意深く味わってみた。


しばらく無言でもぐもぐと口を動かしていると、まだトマトを食べていないロランがおそるおそるという感じで訊いてきた。


「……どうだいアリシア? 美味しいかい?」

「これは――なんだか一度も食べたことはない味ですわ。酸っぱい――いや、甘い――? とにかく、リンゴやイチゴとは似ても似つかない味です。ちょっと青臭いのと、この果汁の多さはスイカのような……」


その味の表現に困った私は、二口目を齧った。

神妙な表情のまましばらく考えて……結局私は近しい表現を探すことを諦めた。


「トマトの味、としか言いようがない味ですわね……とても不思議な味……。ともかく、なんだか癖になる味ではありますね……」


私の言葉に、伯爵とライザールが同時に低く笑声を漏らした。


「その通り。最初食べた時は私も驚きました。ですが不思議とこの味が忘れられませんでね。この温室を作ったときに真っ先に思いついたのはこのトマトの栽培でしたよ。西方の諸国ではこれをスープにしたりして常食しているようです」


加熱しても食べられるのか……私はこのトマトと呼ばれる赤い果実のポテンシャルに驚いていた。

今まで果実は菓子にするものであると考えているこの国の人間とって、この料理のバリエーションの豊富さは大いに魅力だろう。

マンシュ伯爵がこのトマトにビジネスチャンスを見出したのも自然なことだったかも知れない。


「おまけにこのトマトはどんなに痩せた大地、涸れた大地でも育つ救荒作物としての一面も持っている。もしお気に召していただけたのであれば、お帰りの際にこのトマトの株もお土産としてお渡ししましょうか」


伯爵の思わぬ申し出に、残りのトマトを噛んでいた私は大いに驚いた。

私はトマトの残りを無理やり飲み下して言った。


「えっ、いいのですか? これはマンシュ伯爵のもので……」

「あなたのお墨付きが得られるならそれに越したことはありませんからね。さぁ、次はいよいよ霊薬の効能をお見せします」


伯爵は実にスマートにそう言い、さっさと農場を出ていってしまった。

ライザールに視線で促され、私たちも外に出た。


「なぁ、なんだか話が上手く行きすぎてる気がしないか、アリシア」


ふと、ロランがライザールに聞こえないように耳打ちしてきた。


「霊薬だけじゃなくお土産までもらって対価は結局タダみたいなものだ。僕はなんだか後が怖い気がしてきたよ」

「確かにそうですけれど……今は伯爵のご厚意に甘えておきましょう」


私は当てずっぽうにそう答えて、ロランの手元を見た。

食べないの? と視線で尋ねると、ロランがそこでやっと存在を思い出したかのように手の中のトマトを見た。


おそるおそる、まるでリンゴを齧るかのようにトマトにかぶりついたロランの顔が――一瞬、物凄い勢いで変化した。

慎重、不審、驚き、神妙……というような感じで変化したロランの顔が……最終的には困惑の表情になった。


「うん……トマトの味としか言えないな……」


ロランのそのときの表情と発言が少しだけ可笑しくて、私は思わず苦笑してしまった。




「面白そう」

「続きが気になる」

「頑張れ農協聖女」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

何卒よろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 足早に歩きながら施設の説明をするマンシュ伯爵。 これではじっくりと観察することは出来なかっただろう。 なかなかに胡散臭い男だ。
[良い点] 救荒作物としての重要性に加えて、日本のいわゆる「洋食」におけるトマト(ケチャップを含む)の存在感を思えば、食文化に与えるインパクトは平民一般のみならず、貴族対象の料理にも大でしょうね。 王…
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