聖女様のお墨付き
きちんと整備された道を馬車に揺られること二十分少々。
馬車の窓から首を出しっぱなしにしていた私は、柵に囲われた広大な農地と、ずらりと並んだレンガ造りの建物を目の当たりにした。
あれが実験農場? 私はまるで子供のようにわくわくしていた。
農場と言うからには広大な畑を想像していたのだけれど、そこにはいくつか建物もある。
その建物の天井にはどれも非常に高価なはずのガラスの一枚板がはめ込まれていて、きらきらと宝石のように光り輝いている。
そのレンガ造りの建物に特徴的なのは、そのどれもに煙突が伸びていて、まだ寒くはない季節の今も細長く煙を吐き出している点だった。
どう考えても人が住んでいる風ではない。私は首を引っ込め、ロランの斜向いに座ったマンシュ伯爵に訊ねた。
「伯爵、あれは……」
「ああ、お気づきになりましたか。あれは温室、というものですよ」
「温室……? なんです、それは?」
ロランが不思議そうに尋ねると、伯爵は得意げに頭をひと撫でした。
「ここより遥か東方に存在する技術、と聞いております。まぁ古代には我が国にも存在はしたらしいですがね。ああやって太陽光を取り入れ、冬でも加温してやることで、冬場でも夏野菜を収穫できる施設――いや、一種の装置ですな。維持するのに随分カネがかかるのが困りものですがね」
「冬でも夏野菜を……? そんなことが可能なのですか?」
ロランが不思議そうな顔で訊ねた。
馬車の窓から顔を引っ込めた私が代わりに応えた。
「今見たところ、煙突からは煙が伸びています。おそらく、床暖房のようなシステムで施設全体を加温している……そうでしょう?」
私の言葉に、伯爵が「流石ですなぁ」と苦笑した。
「仰る通り、火を絶やさず燃やして、その熱で施設内を一定の温度に保っています。他にもガラスを用いて太陽光を取り入れておりますな。稀に厩肥の発酵熱などを利用することもありますが、アレは匂いが少々キツいのでね」
素晴らしい――私は随分久しぶりに心の底から興奮する気分を味わった。
私も温室に関する技術は聞いたことがあって、それは古代、この地を征服していた大帝国の皇帝が、その非常識的な財力と権力を誇示するために造らせたものだと聞く。
昔は熱帯産の果物などを、ほんのささやかな楽しみのような形で栽培していたのだろうけれど、それが本格的に今の農業に導入されるなら、夏野菜の冬季栽培だけでなく、普通の野菜の栽培日数短縮にも繋がる。
「おっと、まだ驚かないでくださいよ、アリシア様」
私の興奮を見透かしたかのような声で、伯爵は私を窘めた。
「あくまであの温室は資金と技術さえあれば誰でも再現可能なものです。我々が持っている真の神秘は――あんなものではない」
そう言って、伯爵は右手を私たちに差し出してきた。
そこには小さな紙の包みがある。
「これこそが神秘――我々が霊薬と呼んでいるものです。先にお見せしておきましょう」
「これが――魔女の霊薬ですか」
「ええ、これこそが神秘というものですよ」
伯爵は柔和に微笑んだ。
「手間暇かければ再現できる神秘など神秘ではない。また、あの温室も結局は遊びのようなものです。建築や維持に資金がかかりすぎて、あの中で栽培される野菜を食べることができるのはごく一部の王侯貴族に限られるでしょう。しかしこれは違う」
伯爵は流れるように説明した。
「元手も殆どかからず、しかも効果は高い。あなたが発明したあの青い薬と同価値だと私は確信しております。我が国の発展により大きな貢献をするのはこちらの方でしょう。これが本格的に実用化されれば、我が領土はますます安泰になる」
その言葉に、私とロランは顔を見合わせた。
「あの、伯爵――」
私はおそるおそる切り出した。
「失礼ですが、その――この霊薬を私に紹介して下さるのは、一体どのような理由なのでしょうか」
そう、それは私がずっと疑問に思っていたこと。
転んでもタダでは起きなさそうなマンシュ伯爵のこと、こんなものを紹介しておいて、見物料はタダ、ということもないだろう。
この人が私たちに一体何を望み、何を対価として望むのか。それはこの霊薬とやらの効果を視察する前に明らかにしておかなければならないことだった。
「生憎ですが、この薬を買い取れ、という話であれば、申し訳ありませんが当家にはそのような財力は――」
私が言うと、伯爵は静かに首を振った。
「まさか。そんなことを望むのであればマルカノー商会に直接依頼したほうが余程話が早い。そうですな――一言で言えば、あなた様にこれを見ていただき、驚いていただくだけで我々は十分な対価を得ることが出来る」
「私に、ですか?」
「ええ、先日も申し上げましたが……ハノーヴァーの聖女様、アリシア・ハーパー様のお墨付きを得ること、それが私が得る対価です」
聖女。その言葉に、私はちょっとドキリとする気分を味わった。
マンシュ伯爵の目が鋭くなる。
「この霊薬を、ただ効果がある、革新的な薬だと言っても、農民は得てして保守的なものだ。しかしこれをワガママでその意志のない聖女様に預けることは我々は考えていない。だが既に青い薬という実績のあるハノーヴァーの聖女様であれば? 農民たち、否、その農民たちを抱える領主たちも先を争ってこの薬を買い求めるでしょう」
伯爵はさっと髪を撫で付けてから続けた。
「ハッキリ申し上げましょう。私が欲しいのは、あなた様の名前なのです。アリシア様」
「名前――」
「ええ、名前です。この薬が、あの青い薬を作った聖女様が新たに作った薬であると、そう喧伝できればそれでいい。要するに評価がほしいのですよ」
そこで伯爵は私の顔を覗き込むようにした。
ハノーヴァーの聖女――そのあだ名が既に王都にまで響いていることへの驚きもあったし、そんな神がかり的な薬にまた名前を連ねてしまうかもしれないことへの不安もあった。
第一、私はそのハノーヴァーの聖女という呼び名を、ハッキリ言って気に入っていないのだ。
私が本当に聖女ならいざしらず、自分の関係ないところで騒がれ、持ち上げられるのも好きではない。
どうしよう……私は思わず押し黙ってしまった。
まさか伯爵ほどの人間が私のお墨付きとやらを対価として求めてくるなんて。
私の沈黙を見て、ロランが何かを言おうとして口を開いた。
「伯爵、あの……」
「いいえ、ロラン様。大丈夫ですわ」
私の言葉に、ロランが口を閉じた。
「マンシュ伯爵。正直に言って、私はその聖女というあだ名を気に入ってはいません。けれど、そのあだ名が農民を救う、そして勇気づけるのなら――そう呼ばれることにやぶさかではありませんわ」
私は静かに告げた。
にぃ、と伯爵は唇を持ち上げ、私を見つめた。
「私はやはりあなたを選んで正解だったようだ、アリシア様。きっとご納得いただけると思っていましたよ」
目だけは笑っていない伯爵の表情を見て、この表情はどこかで見た顔だと思った。
そう、昨晩、意志ある人間の言葉しか自分は耳に入れないと言ったときの顔。
強固な意志、それが伯爵の人生哲学であり、それがない人間の言葉は信用してもらえない。
この人と対等に話をするには、ある程度自分も覚悟を決めなければならないことはわかっていた。
戸惑ったように私を見つめるロランに、伯爵はカラカラと笑った。
「ロラン様もご安心ください。決して悪いようにはしませんよ。それに、これにお墨付きを与えるかどうかは、実際にその効果を目の当たりにしてからでも遅くはない――」
伯爵が言ったその途端に、ぎしっ、と音がして、馬車がゆっくりとスピードを落とすのがわかった。
窓から外を見ると、馬車は農場の巨大な門の中に入っていくところだった。
「さぁ、農場内は私が案内しましょう。珍しいものをこれでもかとお見せいたしますよ」
伯爵はそう言うなり、さっさと馬車を降りていってしまった。
少しだけ気後れして、ふう、と私はため息をついた。
「アリシア、あんなことを約束して大丈夫かい?」
「覚悟を決めるしかありませんわ。伯爵は――たぶんそういう方ですから」
不安そうに私に訊ねてきたロランに、私は無理くりの言葉で応えた。
正直な話、かなり無理のいる覚悟には違いなかったけれど、ここまで来て何の収穫もなく帰るわけにはいかない。
なんとしてもその霊薬とやらの効能を確かめ、今後につながる話にしていかなければ――ここまでついてきてくれたロランに申し訳が立たない。
そう、全ては農民たちのため、そしてロランのためだ。
そう決意し直して、私は馬車から降りた。
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。
【追伸】
活動報告の通り、ここのところ更新が滞っておりますが、書籍の方も「着々」と音が聞こえそうなぐらい着々と出来上がってきております。
もうこの胸を断ち割って私の感動と情熱を皆様に吹き掛けたいぐらい素敵な本になってきておりますので、どうぞご期待ください。





