荘園と家令
「珍しいでしょう?」
含んだ笑い声とともにそう言われて、私はハッとその人物を見た。
機嫌を悪くされたかと思ったけれど、その赤い瞳の目は笑っていた。
「ライザール・アル=ジャンマールと申します。この国では馴染みがないでしょうから、単にライザールで結構。伯爵により荘園の管理・維持を任されている者です。どうぞお見知りおきを」
そう言って、青年――ライザールは浅黒い顔で微笑を浮かべた。
その不思議な語感の名前を頭の中に繰り返して、私はトラヴィアという国の予備知識を頭の中に引っ張り出した。
トラヴィア――それはこのクレイドル王国の遥か東、「死の大地」と恐れられる灼熱の砂丘を支配する大帝国だ。
クレイドル王国や隣国のヴェルカで信仰されている創造の女神とは異なる神・トラヴを信仰しており、この大陸の東と西を結ぶ交易の十字路を、抜きん出た経済力と武力、長い歴史で培った叡智とで守る行商の国だ。
そしてそこに住まう民たちは、皆一様に特徴的な浅黒い肌と赤い目、そして銀色の髪を持っており、どこにいてもひと目でそれとわかる。
だが、ことクレイドル王国内ではその人口は決して多いとは言えず、集落や居住区のようなものが存在するとは聞いたことがない。
と、いうことは――私が少しだけこの青年の過去に思いを馳せた途端、それを押し止めるようにライザールが口を開いた。
「まぁ、私の素性をお教えする時間は後でたっぷり取りましょう。まずは伯爵に謁見されるといい。あなたの到着を首を長くしてお待ちですから。さぁ奥へどうぞ」
再び、なんだか妖艶な微笑みを浮かべたライザールは、右手で城門の奥を示して先を促した。
不躾な詮索を見透かされたようで、私はモゴモゴとなにかお礼らしきことを言い、馬車の中に引っ込んだ。
私の首が引っ込むと同時に、停車していた馬車もまた走り出した。
◆
「ようこそ我が城へ。ジェレミー・マンシュです。ロラン・ハノーヴァー様ですね? 以後お見知りおきを」
例の如く鋭い目つきのまま、伯爵はロランに手を差し出した。
けれど私の心配とは裏腹に、おそらく覚悟していたのだろう握手したロランには些かの動揺もなかった。
「お会いできて光栄です、伯爵。わざわざ僕まで呼んでいただけるとは思っておりませんでしたよ」
「当然です。あなた様とあなたの婚約者様は二人で一人でしょうからね。片方だけお呼びしても仕方のないことですから」
そうなんでしょう? と言うように、伯爵はちらりと私を見た。
さすが伯爵、あの青い薬の開発が決して私だけのものではないことに気づいているらしい。
座って、と言うように豪壮なソファを示してから、伯爵は足を組んで椅子に座った。
「いやはやそれにしても、昨日のハノーヴァー辺境伯のやり方は見事でした」
余計な挨拶は嫌う人なのはわかっていた。
マンシュ伯爵は、早速、という口調で話し始めた。
「正直ね、我々もアレは面白く思っておりませんでした。国王ではなく、ただ王子であるというだけの若造に、自分に媚を売りに王都まで来いと言われたわけだ。王都までの往復には兎角費用も時間もかかる。我々貴族の忠誠を確かめようという魂胆が見え透いておりましたな」
ロランは苦笑しただけだったが、おそらく同じように思っていたに違いない。
何故ならハノーヴァー辺境伯家はこの国で最も辺境に位置する領地を治めている。
今回の舞踏会の開催で、現実的に一番損をさせられた一族であるのだ。
「しかし流石は辺境伯。逆にあんな形で王子の度肝を抜いてやるとは……あのときのユリアン王子の狼狽ぶりは見ていて溜飲の下がる思いでしたな。立って拍手すらしてやりたいと思った貴族は私だけではないでしょう」
「相変わらずどうにも骨っぽい父で困りますよ。王都ではもう少しお利口さんにしてくれるかと思ったんですがね……」
「ご謙遜めされるな。私は大いに楽しかった」
ロランは苦笑したが、マンシュ伯爵は実に愉快そうだった。
辺境伯がやらなかったら自分がやっていただろう、というような悪戯な微笑みを浮かべる伯爵は、まるでそこらの悪童のように見えた。
その背後に、先程の青年――ライザールが後ろ手を組んで沈黙している。
来客時の私室にまで出入りが許されているということは、やはり彼は伯爵の側近中の側近であるらしい。
何故かわからないが、私は伯爵よりも、その背後にいるライザールが気になって仕方がなかった。
彼は荘園を管理している立場の人間と言っていたから、それは彼こそが伯爵領とそこから得られる財政の管理を任されているということだ。
荘園、という言葉は久しく聞かない単語だったけれど、それはつまり、公権力が及ばない、伯爵が個人的に保有している農地ということだ。
一昔前まではどこの領土でも当たり前であった荘園制だったけれど、最近はよっぽど保守的な貴族でもまず採っていない方式である。
領主が外敵からの農地の防衛を約束するかわり、領主はその土地を農民に貸与という形で分け与え徴税する、それが荘園制の根本だ。
元々は農民と領主の関係が対等であったはずの制度だが、時代が降るに連れ荘園内の農民は半奴隷的な扱い――所謂農奴という扱いを受けるようになった。
農奴たちは過酷な労働、創り出した富の殆どを奪い取る重税に苦しむ他、職業選択の自由などもなく、領主の意向ひとつで生きたり死んだりする弱い存在だった。
だけど貨幣経済が浸透しつつある最近では、荘園は時代遅れのシステムとして形骸化しつつあり、殆どの領主はその権利の大半を農民に売払い、地代を現金で納めさせているだけの場合が多い。
ましてやクレイドル王国は、七年前の飢饉で農村の人口が激減しているのだ。荘園制を取り続ける限り、農地を耕作する人間が減れば農地は荒れ果て、領主の収入も減ってしまう。
それ故、ある程度裕福な農民による土地の集約化が起こるのは当たり前のことで、荘園制の形骸化と荘園の解体は、今殆どの貴族の領土でいわば常識となっていることでもあった。
だが、何故なのかマンシュ伯爵はその荘園制というものをまだ続けているらしい。
これだけの切れ者が何故そんな事をしているのかはわからないが、とにかく伯爵は、裏を返せばその広大で裕福な領土を外敵から防衛する責務を負っているということになる。
となれば――「荘園の管理を任されている」というこのライザールという青年の立場は非常に重いということになる。
来客中のこの部屋にも立ち入りが許されており、荘園制度のトップである荘園差配役も兼ねているということは、要するにライザールは伯爵家の領主代理、家令であることになる。
外国人でありながらマンシュ伯爵ほどの有力貴族にそこまで信頼されるとは、大した出世だと言えた。
いや――大出世の理由はおそらくそれだけではない。
私は再びライザールを盗み見た。
どこで鍛えたものか、あのガッチリとした体躯、そしてその眼光は、どう考えても只者ではない。
ここでなにか伯爵の機嫌を損ねればすぐさま飛んできて、床に組み伏せられそうな剣呑な雰囲気だ。
おそらく彼は家令という立場である上、伯爵の個人的な護衛役――所謂ボディガードでもあるようだ。
「ライザールが気になりますか?」
その一言に、私はマンシュ伯爵の目を見た。
ズバリの指摘に私が「いえ……」と少し慌てると、マンシュ伯爵は満足そうに頷き、椅子の背もたれに背中を預けた。
「さすがアリシア様はお目が高い。この男――ライザールは私の懐刀、いえ、腹心の部下でしてね。これだけ有能な男はちょっと外におりませんよ。私はこの男になら何でも預けられる。我が領地にもうひとりライザールがほしいぐらいですよ」
叶うことならね、とマンシュ伯爵は実に機嫌よく笑った。
やはり、伯爵はライザールをとても信頼しているらしい。
能力あるものなら生まれや血筋に関係なく重用する、やり手貴族らしいクレバーさだった。
「確かに彼はこの国では少数派かもしれない。だが私が信頼するのは出自や血ではない。意志の力だ。この男にはそれがある。この領土の繁栄の半分はこの男の功績ですよ、なぁ?」
伯爵は饒舌に言い、背後にいるライザールを眺めた。
ライザールは彫像のように動かなかったが、目線だけは伯爵を見ている。
正直に言えば、これだけ賢い男がここまで他人を手放しで褒めそやすとは信じられないぐらいだ。
どうも、伯爵はライザールという人間の有能さだけではなく、もっともっと個人的な信頼を寄せている――そのように見えた。
「あの、伯爵。それでなんですが」
と――ロランが本題に入る口調で言った。
伯爵は笑みを消し、「ああ、わかっておりますよ」と微笑みを浮かべた。
途端に――部屋の温度がぐっと下がり、私たちの間を不可視の光線が駆け抜けたように感じた。
ロランの方も伯爵の雰囲気の変わり方に、気圧されたように身動ぎした。
「アリシア様には既にお話しておりますが――魔女の霊薬。あれをご覧になりたいのでしょう?」
伯爵は柔和に微笑んだ。
「もちろん、すぐにご覧に入れましょう。ちょうど我が実験農場でその効果の実験を行っている。この城からすぐのところです。そこまではライザールにご案内させますよ」
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。
【追伸】
活動報告の通り、ここのところ更新が滞っておりますが、書籍の方も「着々」と音が聞こえそうなぐらい着々と出来上がってきております。
もうこの胸を断ち割って私の感動と情熱を皆様に吹き掛けたいぐらい素敵な本になってきておりますので、どうぞご期待ください。





