さっきのアリシア様
この所、書籍化準備に追われて更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。
只今、書籍の方もそこそこ作業しております。
毎日毎日暑くて死にそうな中で苦行するみたいにあーでもないこーでもないしております。
そのせいで今後もちょっと更新が凸凹になるかもしれませんが、とりあえず書いております。
私は無言を通したが、否定は出来なかった。
私が公爵令嬢でも、ロランの婚約者でも、元聖女候補者でもなかったら、あのときのネリンガ村を救えたかどうかは甚だ疑問と言わざるを得ない。
病気を治療する薬がある、といくら主張したとしても、おそらく一笑に伏されるか、あるいはとんでもない嘘つきだと面罵されたことだろう。
「悲しいかな、農民とは得てして保守的で頑迷なものだ。未だ我が領地でも、あの薬を使って虫けらどもを駆逐したことで神のお怒りに触れるのではないかと怯えている農民は多いのです。それどころか、病害虫の脅威に立ち向かおうとせず、一方的に罰を受けることこそが女神の御意志であると、領主の私の意向でさえ突っぱねる農民さえ存在しているのです。全く――愚かなことですがね」
伯爵は僅かばかり眉間に皺を寄せ、馬鹿の相手は疲れます、というように苦笑した。
それを聞いた私の脳裏に、葡萄をべと病に冒されたときのカールの声が木霊した。
うちの作物が病気にやられるのは仕方ないことだ――と、カールはあの時、妙に観念した様子で言っていたのだ。
ああいう一種の諦念は、土地の豊かさや僻地・都市部の差もなく共通してくるものであるらしい。
マンシュ伯爵は口元に皮肉な笑みを湛えた。
「ですが、それが女神様のお遣わしになった現人神であるなら? 仮にも聖女と呼ばれる知恵と能力を持った人間が広めるものであるなら? 頑迷な農民たちも聞く耳を持つかもしれない。いや、それどころではないでしょう。その人物が携えてきた薬こそ天の導きであると、先を争って欲しがるに違いない」
私は伯爵が私にさせようとしていることを察し、先回りの口を開いた。
「仰りたいことはわかりました、マンシュ伯爵。ですが何度も繰り返しますが、私は既に聖女ではありません。そんなつまらない小娘が言い出すことが何の権威になりましょう。それに」
私はちらりと宴席の奥の方を見た。
どこへ行ったものか、ノエルもユリアン王子も中座しており、御臨席の座はもぬけの殻になっていた。
「権威がほしいならば、この国にはもっと絶大な権威がありますわ。女神のお遣わしになった本物の聖女様が」
そう、マンシュ家は長らく王家の腹心の部下であり、今もクレイドル王家とは良好な関係を築いているはずだ。
私なんぞに頼らなくても、マンシュ伯爵が依頼すれば、王子経由で聖女を動かし、その鶴の一声で「霊薬」とやらをバラまくのは造作も無い話なはずだった。
しかし、マンシュ伯爵から返ってきたのは、からからという笑い声だった。
「聖女様にあの薬を託す? 御冗談を! 彼女が信用に足る人物ではないことはとっくに調べがついておりますよ。ご存知かどうかは知りませんが、既に彼女は一度大きな失態をやらかしている」
「失態――?」
「ええ。なんでも、雨乞いの方法を誤り、逆に天の怒りを買ったと。それどころか逆上してその農民にこんな儀式はいくらやったところで迷信だと言い放ったそうですな。そこの農民は怒り心頭らしいですよ。度重なる教会の謝罪も突っぱねるどころか、今後は教会に対する寄付を取り止めると言っているそうです」
ノエルのやつ――私は思わず右手を額に添えた。
あのワガママ娘、もうやらかしたというのか。予想よりよっぽど早いじゃないか。
しかも自分の失敗を棚に上げて、あろうことか被害者である農民に向かって逆上するなんて。
それは聖女としても王太子妃としても一番やってはいけないことのオンパレードだった。
愕然とする私を気遣わしげに見て、マンシュ伯爵は「そういうことですよ」と微笑んだ。
「とにかく、彼女は信用に足らない。それは畢竟、彼女は農民の生活の安寧になど興味がないという事実によるものです。そんな者にあの霊薬を預ける? 幼児にオモチャとして爆弾を預けるようなものだ。自分が吹っ飛ぶだけならまだいい。それどころか――」
「わ、わかりました。もう結構ですわ」
私は大きな声でマンシュ伯爵の言わんとすることを遮った。
「仰ることはわかりました。確かにノエル……あ、いや、聖女様にはその御意志がない、それは多分その通りなのでしょう。ですが」
だからってなんで私が必要なんです?
そう言おうとしたが、それより先に伯爵の目が私を見た。
その瞳の鋭さに私が再び気圧されるようなものを感じていると、伯爵が静かに言った。
「――私が信奉するのは、意志ある人間の言葉だけです」
真剣な声、というよりは、自分の中の信念を確認するような声だった。
伯爵は私に向かって淡々とした口調で続けた。
「私は生まれてこの方、意志のない人間の意見に耳を貸したことはない。自らの運命を自らの手で切り開き、どんな困難にも抗って生きると決めた人間の言葉でなければ――最初から聞くには値しない」
伯爵はそこで、大広間で談笑する貴族たちを見渡した。
まるでそこに居並ぶ人間たちの大半がそうではないというように、伯爵の視線には僅かではあるが軽蔑したような色があった。
「私が父の領地を継いで十五年、私は日夜死にもの狂いで領地経営に取り組んできた。領地や農地というのはただそこにいるだけで金の卵を産むガチョウではない。きちんと管理し、困難に抗ってゆかなければ呆気なく足元から瓦解する――」
それはおそらく、伯爵の信念なのだろう。
この国のどの貴族からも羨望の眼差しを向けられる若き秀才は、決してその才覚だけで今日のこの地位までのし上がったわけではない。
そこにはもっと泥臭く、地道な努力と改善の日々があったはずで、なおかつそれは伯爵の中に一本の芯を構成した。
それが――意志ある人間の言葉しか耳に入れないという信念だったのだろう。
私がそんな事を考えていると、一瞬亀裂が入りかけた伯爵の纏う空気が再び砕けた雰囲気に戻った。
「もうつまらないセールストークは要らないと思う。私は名前だけのお飾り聖女様ではなく、聖女たらんとしている方の協力こそがほしいのです。あなたにはその意志がある。心から農民たちの、この国の安寧を祈っているあなたのような人間のね」
伯爵は私に向かって、すっと手を差し伸べた。
私はその手と伯爵の顔を交互に見た。
「明日この舞踏会が終わった後、あなた様とその婚約者様から少しの時間を拝借したい。我が領地にお越し下さり、あの霊薬の効果が如何なるものか見ていただくだけでいい。その後のことはその後に考えていただいて結構です」
ごくっ、と、私の喉が我知らず動いた。
「そしてその霊薬の効果を目の当たりにした後は、それを広めてくださるだけでいいのです。それだけで私は、あなたや、あなたの嫁ぎ先であるハノーヴァー領にあの霊薬を安価で融通する準備がある。あなたが損をすることはない。もちろんハノーヴァーの聖女様という名前は使わせていただくことになりますが、それは農民の生活のためでもある」
悪い話ではないでしょう――と、伯爵は静かに続けた。
確かに、と私は慎重に頭の中で算盤を弾いた。
正直、ハノーヴァーの聖女という呼び名は嫌だが、実際まがい物であっても、聖女という名前が持つ権威は絶大なものだ。
絶望に慣らされ、希望を拒否する農民たちも、聖女という存在がもたらした薬だと言えば使ってくれるかもしれない。
そして、その結果この国の農村から害虫たちが駆逐されれば――農民たちの生活はまた一段と向上することになる。
私は伯爵の手に曖昧に手を差し出しかけて――結局、「わかりました」と頷くだけにした。
「ですが、私だけで決められることではありません。霊薬の効果を確認するまで一週間程度はほしいところです。旅程を変更できるか、婚約者に訊いてからでも構いませんか?」
伯爵は満足気に頷いた。
「もちろん。返事は明日の朝で構いませんよ。それでは、色よい返事をお待ちしております」
私が陥落したことを悟り、マンシュ伯爵はとびきりスマートな微笑みとともに踵を返し、別の貴族の下へ歩いていった。
なんだか疲れる会話だったなぁ――私は正体不明の疲労感を感じながら、背後の方に見知った顔を探した。
そう言えば、さっきユリアン王子に一発カマしてから、ロランの姿を見ていない。
ロランがあれで割と絡み酒であることはネリンガ村で確かめた通りだから、他の貴族に挨拶に回っているのかも知れない。へべれけに酔っ払われる前に今の話を説明したほうがいいだろう。
私はハノーヴァー辺境伯がいた辺りに視線を泳がせ、従者として連れてきた兵士の一人を呼び止めた。
「もし、ちょっとよろしいかしら?」
その声に、若い兵士が立ち止まる。
「ああ、アリシア様。――あれ、アリシア様?」
まだ若い兵士は、私の顔を見るなり怪訝な表情を浮かべた。
えっ? と私が目を丸くすると、兵士は私の顔を見つめて心配そうに眉間に皺を寄せた。
「アリシア様――もう体調はよろしいのですか?」
「えっ?」
私の驚きの表情に、兵士も怪訝に思ったようだった。
「先程、ご気分が優れないので王宮の貴賓室でお休みになられると言って――それに令息様が付き添われたはずでしたよね?」
「何を言ってるんです? 私はずっとこの会場にいましたわよ」
私の言葉に、「は、はぁ――?」と若い兵士は目を白黒させた。
私が体調不良? そんなことは言い出した覚えはないし、だいたい懇親の場が始まってから、私はロランとは顔を合わせてはいない。
一体何が起こっているんだと戸惑った私は、とりあえず兵士の肩に手を置いて落ち着かせた。
「落ち着いて。体調が優れないと言ってロラン様を連れ出した人は確かに私だったんですね?」
「え、ええ、もちろん! 見慣れたアリシア様を見間違うはずは――」
そこで兵士は何かに気づいたように、はっと目を見開き、私の顔から視線を下に落とした。
途端に、兵士の顔が真っ青になった。
「あ、アリシア様――」
「ど、どうしたの?」
「アリシア様、さっきの青いお召し物は……!? いっ、いつお召し替えになったので……!?」
今度は、私が狼狽する番だった。
「な――何を言ってるんです! 私はここに来たときからこの服装ですわ! あなただって見ていたでしょう? だいたいそんな時間があるわけが――!」
「そんな……! そ、そ、それじゃあ、さっき令息様に付き添われて出ていったアリシア様は……!?」
さっきのアリシア様だと?
私はその一言に引っかかるものを感じた。
さっきロランをこの会場から連れ出した人間は、私だったのか。
少なくとも、私と同じ顔、もしくは酷似した顔をしていたのか。
誰かが私に変装したというのか?
いや、まだこの会場に入って二時間も経っていない。
顔の変装だけならこの従者をも誤認させるほど精巧だったのに、ドレスの色だけは私のそれと似通わせなかったというのか。
同じ顔。
ふと、私の脳裏に嫌な想像が浮かんだ。
私は顔を上げた。
大広間の最も上座、この夜会を主宰する人間が臨席する御座席。
そこに――聖女の姿はなかった。
同じ顔、同じ顔、同じ顔――。
焦って繰り返す度に、私の心の中に黒雲が広がった。
確かに、私と同じ顔をした人間が、この世に一人だけいる。
私と血肉を分けた人間。
魂の片割れが――この世にたった一人だけ。
その先の想像に――目眩がした。
まさか、まさか。
一体何を考えている?
そんな事をして一体何になる?
私の顔と私の声を使って、あろうことか私の婚約者を連れ出したというのか。
そして――そうして一体何をする気なのだ。
ざーっと、頭から血潮が引いていく音が聞こえた気がした。
私は空席となった御座席を見つめながら、一瞬で乾いて貼り付いた喉をやっとのことで震わせた。
「まさか――! ロラン様――!?」
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





