切り裂き魔
「人脈――?」
「ええ。アリシア様、私の背後を御覧ください」
私はスコットの背中越しに後ろを見た。
「あそこで複数の貴族と談笑している、背の高い方です」
私はその人物を注意深く観察した。
年の頃は三十代半ばと見えたが、ぴっちりと整えられた艷やかな黒髪と、ひと目でその切れ者ぶりがわかるような視線の鋭さは、明らかに普通の同年代のそれではない。
まるで海に千年、山に千年暮らしたかのような、妙に老成した雰囲気を持つ美丈夫。その隙のない立ち姿を見て、私はしばらく頭の中の予備知識を掘り起こした。
彼は確か――ジェレミー・マンシュ伯爵、ではなかったか。
王都周辺の最も豊かな穀倉地帯を治める貴族で、その当主であるマンシュ伯爵の代となってからは、彼の領地の勢いはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長しているとは聞いていた。
まさにこの王国のやり手の気鋭貴族の代表格といえる人との人脈とは――一体どういうことだろう。
私が戸惑う視線を向けると、スコットはニヤリと笑った。
「彼の噂は聞いておりますでしょう? 『“リッパー”マンシュ』――クレイドル王国では最も王家の覚えが目出度い貴族のひとりです。ご存知ですよね?」
「リッパー――?」
「ええ、要するに――あまりに切れるのです」
スコットは尊敬半分、羨望半分というような視線でマンシュ伯爵を見た。
「彼はおそらくこの国で最も賢い人間の一人ではないでしょうかな。若くして父であるマンシュ伯爵の跡を継いでからというもの、彼の領地はまさに第二の王都と言えるほどに栄えている。そんな彼ですから、彼はあなた様がやっていることにも当然興味を持っている」
私のやっていること?
どういうことだと視線で訊ねてみても、スコットは肩を竦めただけだった。
「その先は彼から直接聞いたほうがいい。私はただの使いの鳩というわけです。しばらく前から彼はあなた様と話すことを熱望しておられるようですからね。お話ぐらいは聞いてやっても損にはならないかと」
「損にはならない、ですか。あなたのそういう言い方に何度も何度も騙されてきたのですがね」
私が皮肉を返すと、スコットは苦笑した。
「手厳しいなぁ。――それで、どうします? 差し出された手を振り払いますか? 取ってみますか?」
私はしばらく頭の中でソロバンを弾いた。
確かに、スコットは少し意地悪ではあるけれど、反面利益のない話は俎上に上げようともしない性格なのはわかっている。
彼がボーナスとして持ってきた話なら、きっとハノーヴァーには何らかの形で利益があるには違いない。
公爵だの伯爵だのという位の高低は別にして、マンシュ伯爵は今や実質的にこの国の貴族のトップとも言える存在で、その影響力は強い。
王家の覚えもめでたく、王都の事情にも明るいだろうマンシュ伯爵とつながりを持っておくのは悪いことではない気がした。
それに――彼が私のしていることに興味があるというなら、その切れる頭脳が何か新しい発想をもたらしてくれる可能性も大いにある。
ややあって、私は頷いた。
「ハノーヴァー家としてではなく、あくまで個人的に、というお話であれば喜んで」
「そう言っていただけると思っていましたよ」
スコットは満足そうに微笑み、華麗に踵を返してマンシュ伯爵に歩み寄った。
一言二言と会話を交わすと、マンシュ伯爵が私を見た。
瞬間、今まで感じたことのないような感覚が私の身体を通り抜けた。
まるで不可視の光線が全身を貫いたような、心の奥まで見透かされる不思議な感覚――。
人ではない、圧倒的に巨大な怪物を相手にしたような恐れに、私は少しどきりとした。
だが、それも一瞬のことだった。
次の瞬間には不快で不思議な雰囲気は消え、マンシュ伯爵の顔には柔和な笑みが浮かんだ。
「お話は通しました。後はよしなに」
スコットの言葉に頷いてマンシュ伯爵に歩み寄ろうとした時、スコットが私の耳元に顔を寄せ、そっと耳打ちした。
「わかっているとは思いますが、伯爵は相当の切れ者です。くれぐれもご用心を」
わかってる、と私は目で返事をした。
あれほどの視線の鋭さを持つ人には、私は今までに出会ったことがないから。
私の覚悟の視線に、スコットはふっと半笑いになって付け足した。
「それと――伯爵はまだ独身です。そういう意味でもくれぐれもご用心を」
それ一体どういう意味!? と、私はスコットに目だけで噛み付いた。
スコットは例の如くしてやったりの表情を浮かべて舌を出し、ルンルンとした足取りで私から離れていった。
くそスコット! まーた私をオモチャにして面白がって!
キーッと私は沸騰したヤカンのような声なき声を上げ、地団駄を踏みたい気分で人混みに消えてゆくスコットの背中を睨みつけた。
「アリシア……ハーパー様、でよろしかったですな?」
と、そのとき。
低い、まるで合成された音声のような不思議な声が私の耳に届いた。
はっ、と私は正気に戻り、慌てて私はスッと腰を屈めるだけの略礼を返した。
「お……お初お目にかかります、マンシュ伯爵様! アリシア・ハーパーですわ、まだ!」
まだ、の部分に力を入れねばならなかったのは、スコットが余計なことを付け足したせいだった。
私は既に人妻予定なんです、お手つきなんです、というところを強調した私の挨拶に、マンシュ伯爵はきょとんとした表情を浮かべた。
「あ、いや、これは失敬。ハノーヴァー辺境伯の令息と婚約した、とは聞いていたのですが、その後の話は聞いておりませんでしたもので……。そうですか、『まだ』ハーパー様なのですね?」
マンシュ伯爵が戸惑ったように苦笑した。
なんだか、相当に冴えない挨拶になったことだけは確かだった。
私はここから第一印象を挽回するために、ごほん、と咳払いをし、背中と胸に力を込めて立った。
「あ、いえ、不躾な挨拶をお許しくださいませ。改めまして、ハーパー公爵が一女、アリシア・ハーパーでございます。以後お見知りおきを」
私が今度はきっちりと挨拶を返すと、マンシュ伯爵が「これはこれは」と頭を下げた。
「いやはや、失礼ながら――ずっとあなた様とは一度お話がしたいものだと思っておりましたよ、ハノーヴァーの聖女様」
マンシュ伯爵の目が光ったような気がした。
やはり――その呼び方で来るか。
それは前にスコットが私にやったのと同じ手法、こちらが動揺するような呼びかけを発して会話の主導権を握ろうとするテクニックだった。
私は努めて冷静にそれを聞き流してから「聖女様だなんて」と苦笑した。
「私はただの小娘ですわ。聖女様のように乞い願って慈雨を降らせることも、その祈りで民を癒やすことも出来はしません。そのような呼び名は身に余ります」
その手には乗らないぞ、のつもりの言葉に、却ってマンシュ伯爵は満足したようだった。
ほう、と感心するように薄く笑みを浮かべたマンシュ伯爵の雰囲気が、先程とは変わって明確に砕けたものになった。
「これは失敬。あなた様には余計な小細工は却って失礼になるようですな」
「そう言っていただけると有り難いですわね。妙に気を遣われても、私は気の利いた取り繕いなど出来ないタチですので」
「それでも、最低限の潤滑油は必要でしょう。例えばこの蜂蜜酒の味を褒めることとかね」
マンシュ伯爵は一点の曇りもない白い歯を見せて笑った。
「この蜂蜜酒の味は掛け値なく本当に素晴らしい。先程の芝居によれば、これもあなた様の発案であるそうですな。コリンソン子爵が言い触らしている通り、あなたが発案したのはあの青い薬だけではないようですな」
マンシュ伯爵はそこでグラスを口元に持っていき、実に美味そうに残りを流し込んだ。
既にほろ酔い気分が会場の雰囲気を和やかにしているのに、この人からはそういう浮ついた空気は発せられていない。
その視線にも、言葉選びにも、とかくマンシュ伯爵には一切の隙というものが感じられなかった。
間違いなく、この人は私に何かを切り出すタイミングを図っている。
とりあえず、私はその意味深な言い回しに気づかないフリで当たり障りなく礼を述べた。
「お褒めいただきありがとうございます。これを作ったハノーヴァーの農民たちもきっと喜ぶでしょう」
「いえ、喜ぶのはこれから、私の独り言を聞いてからにして頂きたい」
独り言?
本題に入る空気を感じて私がマンシュ伯爵の顔を見ると、マンシュ伯爵はニヤと口元を歪めた。
「アリシア・ハーパー様。実は我々マンシュ家は、あなたにぜひともご紹介したい霊薬を持っておるのです」
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





