臨時ボーナス
「い、一体あれはどういうことだアリシア! まさか王太子殿下にあんなことをするなんて――!」
ちょっと見ないうちに老けたなぁ……それが私の感想だった。
久しぶりに見る父、ハーパー公爵は血相変えて私に耳打ちした。
娘二人が片付いた安堵もあったのか、半年前より格段に皺が増えた父が急き込んで言った。
「わかっとるのか!? お前は婚約したとは言え、まだハーパー公爵家の人間なんだぞ! 名乗った上で王太子になんてことをするんだ! おい!」
「そ、そうよ! ノエルはあなたの妹である前に王太子妃で聖女様なのよ!? あの子が場を上手く治めてくれたからいいようなものを……!」
父と同じくらい青くなった母まで加勢に加わり、壁際に追い詰められて私は随分お小言を言われた。
全く、半年ほど前にあの黒幕辺境伯相手への輿入れに乗り気だったのはどこのどいつなのか――。
私はほとほと、両親の日和見主義と事なかれ主義にうんざりした。
「あら、私は心からノエルとユリアン王太子のご成婚を祝賀したつもりですわ。お父様とお母様にはそうは見えなかったのかしら?」
私がシレッと言い返すと、父と母が同時にぎょっとした表情を浮かべた。
一瞬言葉を失った両親に、私は容赦なく追い打ちをかけた。
「お父様、これはあくまで私の発案ではありません。グウェンダル辺境伯様の発案です。お父様はその祝意を否定なさるのかしら?」
「うッ――!?」
「それにお母様、ノエル――おっと、王太子妃様兼聖女様は大変喜んでおりましたわ。この蜂蜜酒で乾杯しようとまで言ってくださった。失礼に当たるならその好意を無視するお母様の方ですわね、違います?」
「な――!」
私がここまでピシャリと言い返してくると思っていなかったのだろう。
父と母が顔を見合わせて絶句している間に、私はまた追い打ちをかけた。
「とにかく、お父様とお母様はおかしなことを仰ってます。我々ハノーヴァー家は王家に対して何の意趣遺恨もございません。これは純粋に祝意からやったことですわ。……それに、仮にその祝意の表明の仕方が仮にめちゃくちゃだったとして、これが何故ハーパー家に関わりのあることだと? 辺境伯様のご子息と私が婚約したということは、つまり既に私はハノーヴァー辺境伯家の人間であり、ハーパー家の人間ではない。故にハーパー公爵家が慌てる理由はまったくない……違いますか?」
私が言うと、両親はシーン、と静まり返った。
私がジロリと父を見ると、父は驚きと憤りにわなわなと震えた。
「な、なんということを言う、この親不孝娘め……! すっかりと黒幕辺境伯に感化されおって! こんなことになるのならあんな田舎貴族になんぞ嫁がせるんでなかったわ! いいかアリシア、お前はな――!」
「やぁハーパー公爵。お久しゅうございますな」
ズシン、と腹に響く低い声に、ぎょっと両親が振り返った。
グウェンダル・ハノーヴァー辺境伯は片手に蜂蜜酒が注がれたグラスを持ち、優雅とは言い難い表情で両親に笑いかけた。
「は、ハノーヴァー辺境伯……!」
「いやいや、これは失礼いたしました。うちの愚息と婚約してくださったご令嬢のご両親に挨拶も済ませていませんでしたな。どうかご容赦を」
す……と、辺境伯は百九十センチ近い長身を屈めた。
その強面に似つかわしくない腰の低さが却って不気味で――どちらかと言えば小柄で、人と較べる必要もないぐらい小心な私の両親は、蛇に睨まれた蛙のように顔を蒼白にした。
固まっている両親に向かい、辺境伯は柔和な口調と表情で言った。
「いかがですかな、蜂蜜酒の味は?」
「は――?」
「この蜂蜜酒はあなた方のご息女の発案でして、今年から当領地で生産を始めたものです。私も初めて口にしましたが、これは実にいい。十二分に我が領地の重要な特産物となり得ますな」
「は、はぁ――そうでしたか。道理で良い味がすると……え、えへへ……」
そう言われて、父は顔中の筋肉を総動員して引きつった笑みを浮かべた。
ホッホッホ……と低く笑った辺境伯は、急に笑みを消して、全てを凍てつかせそうな絶対零度の眼差しで両親を睨んだ。
「ご息女は今や我が領地の未来そのものです。私たちには考えもつかなかった発想で次々と我が領土を豊かにしてくれていっている――先程は少々見苦しく見受けられたかも知れませんがな、彼女をあまり責めないでやってくださいませんか? 私は既に彼女の義理の父なのですからな」
口調は柔和だったが、この身長と、声と、表情で言われれば――それは事実上の命令だった。
辺境伯はその地位や立ち位置以上に、まず圧倒的に顔と声が怖い。
この顔と声に相応しくない丁寧な態度は、その筋の人間たちの頭領と言っても十分通用するような迫力がある。
案の定、生え際が後退しつつある額に冷や汗を浮かべて、父はガクガクと頷き、母はカタカタと震えた。
その反応に満足したらしいハノーヴァー辺境伯は逃げ道を提示するかのように、父の肩を優しく叩いた。
「まぁ、後でゆっくりと両家の親睦を深めることとしましょう。さぁ、夜は長いですぞ――」
失せろ、と言うように辺境伯が視線で向こうを示すと、父と母は振り返ることもなく、そそくさと人の多い方へ戻っていった。
フン、と軽蔑しきったようにその姿を見送った辺境伯に、私は頭を下げた。
「ありがとうございます辺境伯様。恥ずかしながら、両親はどうしても小心者でして……」
「気にすることはない、アリシア。むしろ君のような賢い娘の両親があれとは、全く信じがたいな――」
私の両親に対する眼差しなど、とっくに察している声で辺境伯は言った。
あはは……と苦笑すると、辺境伯がフッ、と笑った。
「いやはやしかし、君の先程の堂々たる振る舞いは見事だったぞ、アリシア。私の予想を遥かに上回ってな。礼を言わせてもらう」
「そ、そこまで上手く行っていたでしょうか。どうにも不安で……」
「完璧だ、まさにな。それに、あの声といい、振る舞いといい、実に堂に入ったものだった。あれはまるで――」
ふと――辺境伯が私の背後に視線を注いだ気がした。
まるで私の背後に誰かが立っているというように、しばらく私ではない誰かを幻視した辺境伯は、やがてまたフッと笑った。
「いや、いい。全く、君は大した娘だよ。今宵は倅と大いに楽しむといい」
「はい、ありがとうございます」
私が微笑みかけると、辺境伯はいつもの無表情に戻り、賑やかに歓談している貴族たちの席に向かって踵を返した。
父親とは本来ああいうものなのかも知れない――なんとなくそう思うのと同時に、ふつふつと心の底に湧いてくる黒い笑いを抑えきれず、私はニヤリと笑った。
『あの若造は少々我が一族を見くびっておるようだ。将来のためにも、伸びた鼻はへし折ってやらねばならん』
出発の直前、辺境伯がそう言い出した時はゾクゾクと来たものだ。
今回の舞踏会の招待状は、他愛ない遊びのお誘いではなく、実際は各貴族――特に、何かと王家とはキナ臭い関係である辺境伯家の忠誠を試すためのものであったことなど、海千山千の辺境伯には見え透いていたのだろう。
そして辺境伯は間違いなく、国王と同一の忠誠を自分にも求めてきたユリアン王子とノエルの浅はかさに苛立っていた。
何の実績も信頼もない、血筋だけを誇示する若造――。
それは辺境伯の性格を考えれば、この地上で最も唾棄すべき傲慢だったはずだ。
それを理解させるために打たれた今回の一芝居は、同時に、ユリアン王子に一方的に婚約を解消された私にとっても最高の意趣返しの舞台だった。
私がその御前に進み出た際、明らかにユリアン王子は私が名乗り出してから動揺を見せた。
ということは、彼は最初、私が誰だったのかわからなかった、ということになる。
彼の元婚約者が誰であったかぐらい、ここに招待された貴族たちなら誰でも知っているだろう。
よりにもよって自身の成婚を祝賀する席上で、元婚約者の登場に激しく動揺する間抜けを演じてしまったユリアン王子は、これでひとつ貴族間での評判を落としたと考えていいだろう。
それでも――はぁ、と私はため息をついた。
今回はちょっと着飾ったとはいえ、本当に彼は私がわからなかったのか――。
それは上手く騙せたという快感とは裏腹に、少し複雑でもあった。
私は、心のどこかでユリアン王子の好意的な反応を期待していた自分を発見していた。
私たちが婚約者であった五年間は、やはりその程度の内容のものだったのか。
私は彼の顔を忘れてはいなかったのに。
やはり私たちは、一度でも婚約した事自体が不幸でしかなかったのかもしれない。
私がそんなことを考えていたときだった。
どん、と、誰かに肩がぶつかってきて、私は物思いを打ち切った。
「あ、すみませ――いえ、ごめんあそばせ」
私が慌てて言い直すと、くっくっく、と低い笑声が聞こえた。
「ごめんあそばせ、ですか。つくづく貴方様はインタレスティング――面白いお方ですなぁ」
インタレスティング!? この口調は――!?
私がぎょっと見上げると、上等な仕立ての礼服に身を包んだスコットが、蜂蜜酒のグラス片手に私を見下ろしていた。
「す、スコットさん――!? どうしてここに!?」
「どうして、とは随分今更ですなぁ」
スコットは呆れたように肩をすくめた。
「そもそもこの舞踏会が開催されるという情報を垂れ込んだのが誰だったのか忘れては困ります。同時に私は言ったはずだ、デカいカネが動く気配がするとね」
「だ、だからって、この会はあくまで貴族向けのもので――!」
「一応貴族ですよ、今夜の間だけはね。きちんと招待状も受け取ってございますよ。ほらね?」
スコットはそう言って、礼服の内ポケットから招待状を覗かせた。
『スコット・マクレディ・コリンソン子爵』――招待状にはそう書いてある。
彼は隣国の零細商人の倅であるはずなのに、一夜で随分出世したものだ。
私は呆れて言った。
「――一夜限りの爵位を買うために、王宮にいくら掴ませたんです?」
「あはは、『掴ませる』なんて物騒な! 『受け取ってもらえるよう気を配った』だけですよ」
確かに、スコットはやり手商人と言うよりは、街の片隅でリュート片手に英雄譚を謡う吟遊詩人や、幾つものパトロンを抱えた新進気鋭の絵描きのような洗練された雰囲気がある。
こういう場所に潜入しても自分から名乗り出さない限りはまずつまみ出される心配などあるまい。
商売意欲の旺盛さに閉口していると、スコットがちょっと声を潜めて言った。
「しかしアリシア様。さっきの小芝居は実に見ものでしたよ。まさか王子相手にあんな大立ち回りをするとは……見ている私は笑いを堪えるのが大変でした」
「お褒めいただきありがとうございます」
私は悪びれる風もなく舌を出した。
「今そこで両親にも大分褒めていただきましたわ。単なる新作蜂蜜酒の発表がこんなに話題になるとは予想していなかったもので」
「ははは、違いない! それにしても、まさかこの蜂蜜酒があなた様の発案だったとは。ヒルデブラントの加工会社に謎の良質蜂蜜が持ち込まれているとは聞いていましたがね。私や私の商会は予想以上にあなた様にお世話になっていたようだ。今回はそのお礼を言いに来たんですよ」
と、いうことは、ハノーヴァーで生産された蜂蜜の出荷先――ヒルデブラント領の蜂蜜酒の流通もマルカノー商会が担当しているということか。
意外な偶然だったけれど、ヒルデブラント産の蜂蜜酒は国外にも広く流通していることを考えると、予想してあたり前のことだったかも知れない。
もちろんスコットのことであるなら、私への評価は言葉ではなく現金でくれるはず。
私は思い切って先を促した。
「それで、その蜂蜜酒の対価として、今回はどんなお話をいただけるんです? 新しい草刈り鎌ですか? それとも芋の皮剥き器?」
「おお、それを理解してくれているなら話が早い。確かに我が商会はあなた様に臨時ボーナスを支払わねばなりません」
スコットはニヤ、と口元を歪めた。
「今回貴方様にご紹介したいのは、さる方との人脈です」
「面白そう」
「続きが気になる」
「頑張れ農協聖女」
そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。
何卒よろしくお願い致します。





